四、『渦巻くモノの名は、悔悟』その6
灰色の天井。
あれだけ晴れていた空が曇天に染まり、やがてぽつぽつと雨粒が落ちてきた。
僕らは今、屋上に居る。天華と〈三角定規〉。殺し合って壊し合って上へ上へと登り詰め、やがて行き止まりみたいな此所へ来た。
普段、僕ら生徒は屋上には立ち入れない。十年くらい前に、自殺騒動があったからだ。それからずっと屋上は立ち入り禁止。管理する学校すら忘れ去った空間は、落ち葉やゴミが堆積して廃墟みたいになっている。
「・・・・・・マジだったんだな」
血に塗れた左手で〈
「馬鹿と煙が高いところ好きだってヤツ」
「その言葉、臓腑へ飲み込む前に刻んで差し上げます」
魔法が、〈三角定規〉の口から言葉として紡がれる。
あの巨大な三角定規に、特殊能力は無い。取り回しの悪いちょっと変わった大剣みたいなモノだ。正直、名は体を表すをやりたいだけの気がする。多分、あの
「――
彼女の強さは、魔法。
鍔競り合う接近戦中でさえ、正確に詠唱し行使する出鱈目さ。
「雷よ、雷獣よ、その顎を開け――――」
落雷が、蛇のように地面を這い回る。
この距離。回避など、到底不可能。肉の焦げた臭いが、雨垂れに混じる。筋繊維を灼かれ神経を切られた細腕に、〈
だが。
「どうした、性悪。声が震えて、魔法の威力が落ちてるぜ」
それでも、天華は〈
満身創痍なのは天華だけではない。優性のように振る舞っているが、左腕を肩口まで失い右目は血に溺れている。
発動した〝
発動させた張本人さえ、その影響からは逃れられない。
「下らないですね、まだ歯向かうとは」
互いに、限界を超えた肉体。
優劣雌雄を決するは、殺意という名の精神力。
「どちらにせよ、結果は覆りません。儀式は成功し魔法は発現した。全ては我が師の思惑通り」
「思惑だァ? 妄想の間違いだろう。あのクソ女、パンツに手を突っ込んで一人で絶頂してる暇があったら、オレを直接殺しに来やがれ!!」
「下品な口ですね。閉じるのも面倒なので、口ごと壊してしまいましょうか」
己の得物で〈
三角形が幾つか、廃墟じみた屋上に浮かび上がる。
前に、数学の
それは魔法に於いても同じらしく、発動した魔法に不安定さはなく正確に天華を狙った。
「クソが、こんな電流如きでこのオレが――――」
腕が、飛ぶ。
吹き飛んだ〈
「・・・・・・その台詞、悪役っぽくて非常に良いですね」
カツン、と雨粒を割るようにヒールが響き渡る。
「さて、どうしますか? 既に万策尽きた状態ですが、これから何か一発逆転でも見せて頂けるのでしょうか?」
例えば、と〈三角定規〉は三角形に嗤う。
「〝
「!?」
天華の顔色が変わる。
目を見張り、やがて諦観したように小さく笑った。
「成る程・・・・・・そういう事か」
「〝
「正確には、彼女の事を指す言葉ではありません」
雨に濡れる天華へ〈三角定規〉は蔑んだ視線を送る。
「〝
至る前に、逃げ出しましたから。〈三角定規〉は吐き捨てるように付け加えた。
「我が師は、そこの淫売が〝
「それが・・・・・・お前が、天華を追い詰めた目的か」
「ええ。よくお気付きで」
「・・・・・・天華が〝
「薄々、気付いているんでしょう?」
僕に対し、〈三角定規〉は微笑んだ。
三角形の笑みだった。
「かの怪物は、名も無く姿も無い。純然たる力こそ、存在の理由であり証明。そのようなモノに、果たして自我はあるでしょうか?」
「だから・・・・・・鎖」
〝
推察するに〝
「――勝手に、オレ抜きで盛り上がってんじゃねぇよ」
ガン、と〈
片腕を失い、もう片方は碌に力が入らない。完全に詰んでいる。それでも天華は諦める事なく、殺意に滾る視線を〈三角定規〉へ叩き付けた。
「オレがそんな安い挑発に乗ると思うか?」
「ええ、乗るとは思えませんね」
「なら――――」
「残念ながら、条件さえ揃えば自動発動なんですよ〝
「――――――――ッ!?」
どくん、と大気が揺れる。
それが天華の心音だと気付いた時には、彼女の口からは夥しい量の血液が噴き出していた。
「改造時、彼女の心臓に少し細工を。普段なら心臓に杭が刺さっても死ぬ事はありませんが、〝
「テ・・・・・・ざけて――」
「おや、まだ喋れるとは。リモコンとかあれば、もっと楽だったんですけどね。そこはまあ、改造した師の趣味なので。曰く、〝HPが0になった時に発動する効果とか浪漫がある〟だそうで」
双眼を三角形に細め、〈
「さて、試運転を始めましょうか。精々、気に入っていたこの世界を自分の手で好き放題壊して下さい」
「!?」
刹那。天華の背中から、光が八方に噴き出した。
それは、血のように赤く黒い。
彼女の小さな背中から溢れ出すように広がる光は、皮膜状の翼に見えて僕に竜を連想させた。
昔、何かの本で読んだ事がある。吸血鬼とは、曾て竜と交わった者達の末裔だと。禁忌を犯した事で呪われ、陽を歩めず血を渇望する化け物に成り果てたという。
〈三角定規〉は言った。吸血鬼とは伝承に縛られた存在であると。伝承で縛られる前、〝
赤い、存在。
竜のように思えたが、狼みたいな獣にも見える。
恐らく、観測者によってその姿は自在に変容するのだろう。
それぐらい、あの赤の存在は脆く儚い。
赤の中央に、辛うじて天華の姿が視認出来る。しかしそれは核でも何でもなく、言うなれば蝉の抜け殻。そこが弱点なんて温い攻略方法ではないだろう。
しかし。
「たった一体、ただ一個、それだけでこの大きな世界が滅びるなんて有り得るのか・・・・・・?」
「大きな世界?」
僕の言葉に、〈三角定規〉は声を上げて笑った。
「こんな小さくか細い世界が、貴方にとっては大きいのですか。確かに、それはそうですね。市町村単位どころか丁目番地ですら、一匹の蟻にとっては広大な世界に思えるものですから」
「まあ・・・・・・それもそうだな」
「怒らないのですか」
「膨大な話過ぎて、お前にぶつける怒りすら湧かない」
肩を竦め、僕は〈三角定規〉を真っ直ぐ見た。
もう、彼女の面影は無い。
全部、三角形に塗りつぶされている。
「やっぱ滅びるのか、この世界」
「ええ」
「コイツだったのか、恐怖の大王」
「わたしは、アンゴルモアでもマルスでもありませんが」
〈三角定規〉は笑った。
僕の嫌いな、三角形の笑い方で。
「どうせ滅びるなら、もうちょっと厳かな所で最期を迎えたかったな。こんな汚い屋上ではなくて」
「少しネタバレをしますと、この世界はとっくに滅びているんですよ。今在る世界は、曾て在った世界の陽炎。だから、何処で滅びようとも些末なモノです」
「・・・・・・でもそれは、外側の世界からの言い分だ」
正直、世界とかどうでもいい。
僕が生きているのはこのダセぇ市内で、それだって十分過ぎるぐらい大きい。
大きいくせに、何もない。世界は平成なのに、此所は昭和だ。何か欲しい物があれば、京王線に乗って都心に行かないとならない。CMでやっている最新映画も、南部線に乗って立川へ見へ行く。テレビで出てくる憧れの東京は精々吉祥寺ぐらいまでで、この辺りは完全に無視されている。
そんなちっぽけな世界で、僕は暮らしている。
日々に苛つき、空に紫煙を浮かべながら。
「滅びる訳には・・・・・・というより、死ぬ訳にはいかねぇんだよ、僕は」
ああ、クソ。重てぇな。
あの小娘、こんな
「〈
「
安全装置、解除。
巨大なディバイダーが展開し、両脚が地面に深々と突き刺さる。
対異質存在専用個人兵装〈
中央には巨大な杭。びっしりと刻印された古代文字が、一つ一つ光り輝いた。
「今更わたしに復讐を? その無様な行動に対し、何の意味も見出せませんが」
「僕が狙うのは、お前じゃあない」
照準を〝
この杭は、どのような存在であれ滅する事の出来る殺戮兵器。例え〝
「付けてやるんだよ、
放たれた杭が、〝
反動は、想像していたよりずっと少ない。恐らく〈
「確かにあの杭であれば、〝
「――そんな
「!?」
頭上。雨粒と共に僕の頭上へ降ってくる声。
「要するに、
「馬鹿な・・・・・・白の〝
復活。
抜け殻だった天華の身体が再起動し、再び地上へ降り立った。
「天華、お前本当に天華・・・・・・」
「なかなか、キツい目覚ましだったぜ」
ふわりと、血の混じった白い髪が舞う。
自我を取り戻したとはいえ、天華は満身創痍。そもそも心臓は破壊されている。〈三角定規〉に立ち向かう事など、不可能。
というかコイツ、一体どうやって自分の生命活動を維持しているんだ・・・・・・?
「いや、完全に予想外・・・・・・」
「はぁ? そりゃねぇだろ」
「何処まで出鱈目なのですか!!」
降りしきる雨の中、〈三角定規〉の声が響く。
初めて聞く怒声だった。どうやら向こうも、予想外だったらしい。
「出鱈目だァ? こちとら、きちんとルールに則ってるぜ。何ならジャッジでも呼ぶか? ほら、呼んでみろよ。媚びを売るような涙目でさ」
ガン、と天華は地面を殴り付ける。
それは喪った筈の左腕。それが赤く、存在を明滅させながら地面にめり込んでいた。
「簡単な話だ。〝
「それが、出鱈目なのですよ! ピュリフレゲトンへ沈んだ自我をどうやってサルベージしたというのですか!!」
「知らねぇよ、そんな事」
ただまあ、と天華は口を歪める。
その背中には、八対の翼。
「〝
「――――――――――」
すっ、と〈三角定規〉の存在が薄くなる。
結果は見えた。これ以上の戦闘は無意味と判断し、投了したのだろう。
だが。
「――言ったろう? テメェは逃がさねぇよ」
がしり、と〈三角定規〉の右肩を天華は掴む。
幾ら存在が薄れようとも、〝
「この淫売・・・・・・!」
「最期に良い事を教えてやるよ、
天華は笑った。
僕が知る限り、一番の笑顔だった。
「〈
「殺す・・・・・・必ず、
「逆だろう。殺されるんだ、お前は」
尤も、と天華は僕へ視線を向けた。
「殺すのはオレじゃねぇ。コイツだがな」
「は――――――」
〈三角定規〉は僕をまじまじと見る。
値踏みをする視線は、淫靡であると同時に慢心を孕んでいた。
「・・・・・・君には、出来ないよ」
声が、茂里 羅慈亜に入れ替わる。
「ね、言ったでしょ? 楽しくないなら、止めようって」
「そうだな・・・・・・そう、だったな」
僕は鉄パイプを拾い上げた。
思えば、この鉄パイプ。全てはコレから始まったんだ。
「けれど僕は、今、とても愉しいんだ」
フルスイング。
顔面を殴り付けられた〈三角定規〉は、血と雨で穢れきった地面へ倒れ伏す。
「・・・・・・救われたんだよ、その言葉に」
「ねぇ、止めてよ」
それでも〈三角定規〉は、茂里 羅慈亜の擬態を止めない。
赤い光によって拘束されている彼女にとって、擬態とは最大の攻撃だから。
「本当に、僕は救われたんだ。一瞬だけど、一瞬で良かったんだ」
「お願い、止めて」
「そんな大切な言葉、お前如きが発していい訳がないだろう」
「この身体、好きに使わせてあげる。何でもして良いよ、何でも。普通の子が嫌がる事だって、やってあげる。構わないよ、お尻だって。今はちょっと損傷が激しいけれど、〝
「いい加減、そのクソの溜まった口を閉じやがれ! 僕は、お前を殺すんだ。殺すと決めた。茂里 羅慈亜ではなく、〈三角定規〉をッ!!」
突き刺す。
デトマール・ワーズワース戦で鋭くなった鉄パイプを。
何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。
動いていても、動かなくなっても。
全身隈なく、丁寧に。
血が噴き出して内臓が零れようとも。
何度も。何度も。
何度も。何度も。何度も。
「――気が、済んだか?」
「・・・・・・ああ」
からん、と僕は握っていた鉄パイプを放り投げた。
「気は済んだけど、気は晴れねぇな」
「よく言うぜ。顔、こんな滅茶苦茶にしちまって。これじゃあ、誰だか分からねぇ」
「それで良いんだ」
僕はポケットから煙草を取り出し、一本口に咥えた。それから百円ライターを擦って先端を点す。
「彼女だって、嫌だろう。〈三角定規〉の顔で死ぬのは」
紫煙が、雨粒を縫うように天へと昇っていく。
今日、世界は滅びなかった。
けれど、僕の世界は今日、滅んだ。
「天華、ありがとう。僕の為に怒ってくれて」
「気持ち悪いな、お前。別にそんなんじゃねぇよ」
「じゃあ、何だったんだ」
「オレは甘ちゃんなテメェに、童貞を捨てさせただけだ」
現代最強の吸血鬼は、僕へ向けて蠱惑的に微笑む。
伸ばした左手に骨が構築され、徐々に這い出した筋肉と神経が再結合を始めていた。
「・・・・・・どんな大人になるんだろうな、お前」
「何だよ、急に」
魔法が、解け掛けている。
「お前は今日、殺人の童貞を捨てた。殺し方を感覚で知った。そんな奴がさ、大人になったらどんな奴になるんだろうってな。別に善悪とか下らねぇ二極論じゃねぇぞ? 単純な興味だ。一線を越えたお前が、一線を越えられると知ったお前が、これからどんな道を選び掴み取るのか」
魔法使いの時間は終わりを告げ、これから始まるのは。
「好きに生きろよ。〝昼〟でも〝夜〟でも」
「言われなくても、そうするよ」
多分、下らない。
いつもの日常。
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