焔と風の緋国後宮 ~忘却公主と記憶の封じ師のあやかし帖~

青木桃子

第一章 緋国に嫁入り

第1話 燿国の忘れられた公主

 

 夢の中でしか会えないあの人——


 顔がわからない


 だけど、懐かしい。思い出そうとすると泣けてくる


 会いたいような会いたくないような


 でも会いたくてたまらない


 教えて……あなたは、だれ?



 ***



 二千年も続く栄華を極めたよう国は幾度も危機に陥りながらも復活するので、他国からは不死鳥の国、あるいは鳳凰に愛された国と呼ばれている大国だ。


 先帝の五番目の娘、凛風リンファ 公主は十六歳のある時期、記憶が欠落している。思い出そうとしても靄がかかっていて、それは記憶に扉があって鍵をかけられているような感覚だった――。



「それは、封じられたのではないのですか? 記憶の封じ師に――」


 最近、後宮に入ったばかりの十六歳、噂好きで人懐っこい侍女の小鈴シャオリンが凛風にいった。


「記憶の、封じ師?」


「ふふ。凛風さまに限ってそのようなことはないでしょうが、世の中には不思議な職業があるのです。事件や事故に巻き込まれて精神が保てない場合、記憶を消してくれる呪術をもった方がいるのですよ」

「まあ。いったいどんな方なのかしら」


「たぶん殿方。顔はよくわからないけれど、噂では虹彩異色オッドアイだとか。なぜはっきりわからないかというと、封じ師の記憶も消されるからなんですって」


「どうして消しちゃうのかしら?」

「それは、わからないですね」

「……そう」

「貿易が盛んで各国の人が行き交う街だから、案外すれ違っているのかもしれないですね。さあ、お忍びで来ていることが見つかっては大変です。城に戻りましょうか」

「ええ……。久しぶりに花陽かようの街は楽しかった」



 ***



 帝都、花陽かようの街の中心に皇族が住まう紫微星城が建っている。権力の象徴、青龍と鳳凰の像が黄瑠璃瓦の屋根上に鎮座する。


 広い城の敷地には絢爛豪華な宮が建ち並ぶその後宮に、お茶会にも儀式にも参加できず、いつしか名も忘れられ、玻璃はり宮にひっそり暮らしている公主がいた。

 ――凛風リンファ公主のことだ。


 庭の木は手入れされておらず、玻璃宮は木々に覆われ、ほとんど人が寄り付かない。だから凛風は時々お忍びで街にでても誰にも咎められないのだ。


 玻璃宮に戻ると、珍しく長官が待っていた。


「長官! すみません、その――」

 小鈴シャオリンが慌ててお茶の用意をしようとしたら遮られ、長官は咳払いしてからおもむろに巻き物を読み上げた。それは何とも意外な勅命ちょくめいだった。

 

「主上のお言葉です。凛風さま。長年の戦争を終わらせるべく停戦協定を結ぶため、国の君主の下に嫁いでいただきます――」


「皇帝の……?」


 凛風は思わず目を瞬かせた。

「ええ! あの緋国ですか……わたしが⁉ だって行き遅れの二十三歳ですよ? しかも妃だなんて荷が重いです」


 燿国の公主や貴族令嬢のほとんどが十五、六で嫁ぐもの。ましてや皇帝の公主は生まれながら婚約者がいるはずなのだ。しかし凛風公主に婚約者はおらず、二十三歳ということは、臣下に賜下されない限り後宮ここに留まるはずだった。


「かまいません。緋国にとって凛風さまは数多いる妃嬪の一人にすぎないのです。それでも、戦争の停戦交渉になるかもしれないのです」


「……緋国の君主って、残酷で冷酷無比、氷のように冷たい氷王って言われているのでしょう。なんだか心配だわ」

「……」


 急成長を遂げる国とは、二千年の歴史を持つ燿国とは違い、建国百年のまだ若い国である。ほとんどが他国と争い奪うことで得られた領土。油が採れるため、千年もの間、国が幾度も変わっていた。緋国の百年は血塗られた歴史でもあるのだ。


 近年は燿国に侵略してこないが、国境付近のいざこざは続いていた。


 戦争真っ只中、和平交渉の切り札として、燿国の公主が緋国に後宮入りすることになった——いわゆる政略結婚だ。

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