第6話 教育係になる

「力を借りたいんだ」


 凛風リンファは憂炎の縋るような瞳に応えたいと思った。


 ……これは天啓だ。別に恋とか愛ではなく、憂炎さまの力になろう。わたしは九つも年が離れているし妃という立場じゃなくていいんだ。命を狙われることなく立派な皇帝になってもらい。小さな公主たちを淑女に育て上げ、皇帝の子を産んでもらう――その教育係にわたしはなってみせる。


(自国では何も求められなかったわたしに、天から与えられた使命だわ)


 それともう一つ


 皇太后を追い出して終わりではなく、これから百年先まで緋国が平和で争いのない国を作るためにはどうしたらいいのか……。


 凛風は小鈴シャオリンが用意した緋国の宮廷菓子、味は甜甜圈ドーナツのようなグオズをつまみ、考えあぐねる。


「そうだ!」


 憂炎に会えるように宮女長の静に拝謁はいえつを頼んでおいたら、ちょうど遠征から帰ってきた。まだ若い皇帝なので戦の最前線に出て指揮する必要はないが、戦場そこにいるだけで兵士の士気があがるので、ときどき赴く。


 数日後、梓晴ズーチンが部屋にやってきて、憂炎から連絡がきたことを報告する。しかし、呼び出されたのは意外な場所だった。


「え……ね、ねや?」

「さようでございます」


 皇帝陛下の閨に呼ばれるとは、夜伽をするということだ。夜伽は陛下の任務である。子供をたくさん産み育て次の皇帝を決め、国を安定させる。そのために公主がたくさんいるのだ。


「ちょっと待って! わたし、わたしそんなつもりじゃ……! 心の準備っていうかなんていうか……拝謁を頼んだはずでしょう?」

 凛風は頭が真っ白になりうろたえる。


(わたしは妃じゃなくて陛下を支えるつもりなのに……。それに万が一、子供ができてそれが男だったら憂炎さまが殺されてしまうかもしれないのに……)


「――しかしながら、閨に来るようにとの返答ですので。まさか、陛下に断ることなどできませんよ」

「待って! だってわたし、しょ…」

「凛風さま。はしたない言葉は慎んでください」

 言葉を遮るように梓晴ズーチンは凛風の目の前に絵図を見せた。


「えっと、突然なあに?」


「男女交接の手引き入門編の春宮秘戯図でございます。これで勉強なさったらどうですか」

「えええええっ!」

 春宮秘戯図――いわゆる春画だ。梓晴はその冊子を凛風に強引に持たせて去る。

「梓晴さん、これ――」

 凛風は勇気を出し恐る恐る春画なる男女のアレコレを拝見したが、衝撃絵図で手の力が入らなくなり、床に滑り落ちた。


 小鈴シャオリンは床に落ちた春画の冊子を秒で取り、ぱらぱらとめくって目を爛々とさせた。

「きゃー! 凛風さま。これは……エグいですぅ~」

「もう! 小鈴ったら他人事だと思って!」

 顔を真っ赤にして凛風は小鈴から冊子を取り上げた。



 ***



 夜伽は国によって違った。例えば国の後宮では、刺客も考慮して、刀など忍ばせられないよう湯浴みをしてから服を一切着させてもらえず、裸のまま絨毯のような厚手の布に包まされ、閨に連れていかれるそうだ。だから燿国の公主は誰も嫁に行きたがらなかった。


 緋国はそこまで警戒している様子はなかった。湯浴みをして、艶やかな色気のある長めのデールという紅い衣装に燿国産の香を染み込ませたものを羽織った。


 凛風リンファは顔を曇らせる。


「拝謁を申し込んだだけなのに……はぁ……」

「まあ、まあ、女は度胸ですよ。凛風さま」

 小鈴は祈るように後ろから見ていた。



 キィ……

 ためらいながら少しだけ扉を開ける。


「憂炎さま……」

 小さい声で囁く。すると豪華で大きな寝台の方から振動がする。憂炎は寝台の上でぴょんぴょん飛び跳ねていた。


(あれ? これから夜伽という雰囲気じゃないけど……)


 胸に手をおいて深呼吸してから凛風が扉を開けた。憂炎は凛風と目が合うと元気に手を振った。


「おーい。入ってきて! 夜伽じゃなくてすまないな。時間とれなくて部屋に来てもらった。それに拝謁なんて堅苦しい感じが僕は苦手なんだ……」

「そうだったのですね」

 凛風はホッと胸をなでおろした。


「凛風は、これできるか?」

 そういって憂炎は寝台の上で両手をつくと、頭を下に足を上にして三点倒立をした。真っ直ぐに伸びる足先。どうして急に見せたかったのかはわからないが、褒めてもらいたいのかと察した。


「憂炎さま。絶妙なバランス! 雑技団のような身のこなし。すばらしいです。残念ながらわたしにはできません」

 パチパチと手をたたく。凛風は夜伽の大役で緊張と緩和が相まって、興奮気味にいった。


「なんだよ。大げさだなぁ。でも運動神経はすごくいいって、俊軒ジュンシェン武官にも褒められたんだ。だから毎日、稽古しているんだよ」

「ふふっ。憂炎さまったら」

 口元に手をおき、ひかえめに微笑む凛風に憂炎は驚く。

 

「……笑った。そなたは笑うとかわいいな」

 屈託のない笑顔で憂炎はいう。

「……」


(な、なかなかの人たらしよね。さすが皇帝陛下だけあるわ)


 憂炎は寝台に横になって、凛風を長椅子に座らせる。

「もう眠いからさ、僕が寝たら適当に帰っていいよ。あー……そういえば、梓晴ズーチンから話があると聞いたが。何かな?」


「はい。以前、国を変えたいっておっしゃっていましたよね」

「ああ。僕は国を変えたい」

「それで、相談なのですが……」

「?」


「世間を実際に、この目で見たいと思いませんか?」

「視察なら行っておる。民とのふれあいも大切にしているし不要だと思うが」

 憂炎は横たわりながら頬杖ついて話をする。

「違います。そんな取り繕った人達の視察に意味はないですよ。お忍びで街に出かけましょう。何かいい情報が得られるかもしれませんよ」


「なるほど。それはよい案だ、話を進めるよう高官に話しておく」

「はい」

 

 憂炎が眠ったので、閨を後にした。

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