第104話(最終話) 三月二十六日(日)ー2 イソヒヨドリ
そして春休みに入ったこの日曜日、居間のテーブルの上には、つぎつぎと大皿料理が並べられていく。川野は朝九時からやってきて、前日に私とおばあちゃんが下ごしらえしておいた材料で、てきぱきと料理を完成させてくれた。
「おいしそうやねえ、いい匂いやわ。つまみ食いしたくなるわあ」
おばあちゃんがお皿を居間に運びながらにこにこと笑う。私はチキンカツの油と格闘している。揚げ物は初挑戦なのだ。隣で川野がミモザサラダ用の茹で卵の殻をむき、ニシの茹で加減を見つつ、こちらに気を配っている。
「焦らんでいいで。やけどせんようにな」
「うん、わかってる」
「もう少し色が付いたら取り出して、よく油切っといて」
「了解!」
川野が手を止めてこちらを見つめた。しみじみと言う。
「﨑里ちゃん、手際よくなったわ。以前と比べたら別人やな。ほんと、安心して見ていられるようになったで」
「ちょっと、それ、誉めてるというより、すごく失礼な発言に聞こえるんだけど。そりゃあ私だって成長します。明日には川野の歳に追いつくし」
川野が目を見張った。
「は? ちょっと待て、明日、誕生日ってこと? もう、﨑里ちゃん、そういうこと何でもっと早よう言わんの?! えー……」
川野は台所をきょろきょろと見まわした。
「卵と牛乳はあったよな、あと……金柑があって、食パンがある、と……」
「チキンカツ、もう取り出していいね?」
川野はフライパンで揚げていたチキンカツの色を見ると、OKを出した。私はチキンカツを油切りの上に上げ、火を止めた。大皿にはすでにキャベツの千切りがたっぷり乗っている。
「﨑里ちゃん、こっち、仕上げといて」
川野がミモザサラダの盛り付けを私に命じた。ミモザサラダは調理実習で作ったことのある数少ない料理のひとつなので、私ひとりでもできる。ドレッシングとなじませておいたレタスとキュウリをサラダボウルに入れ、その上から茹で卵を裏ごししながら振りかける。まずは白身、そして黄身。緑の上に白と黄色の花が咲いていく。この瞬間がこの一品の最大の醍醐味だ。
川野に目をやると、金柑をスライスしている。瞬く間に、まな板の上には鮮烈な香りを漂わせる金色のスライスの小山が出来上がる。賽の目切りにされた食パンが耐熱皿の中で牛乳を加えた卵液に浸かっている。
「デザートなら、おばあちゃんが作った梅酒のゼリーがあるよ? 何か追加で作るの?」
「うん、ケーキにはならんけど、まあ、少しでも、それっぽい雰囲気を出せるもの」
「ケーキ? どうして?」
「せっかく食事会するんやけん、一日早いけど、今日、﨑里ちゃんの誕生日会ってことにしようや。だって、明日ばあちゃんとふたりだけでお祝いするなんて、寂しいやん?」
そう言いながら、鮮やかな手つきで、卵液に浸った食パンの上に金柑のスライスを敷き詰めると、オーブンで焼き始めた。
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。川野のお父さんだ。玄関に出迎えにいくと、川野のお父さんはかすかに頬を緩めて、こんにちはと挨拶した。おばあちゃんも出てきて、竹史くん、早よ上がって上がって、もう準備はほとんどできとるんよ、おいしそうよ、あ、ほとんど、お宅の章くんの手料理やけどなあと笑った。
居間には、開け放たれた南向きの窓から、春本番の日差しが燦々と降りそそいでいる。川野のお父さんが花を持ってきてくれた――それを告げると川野はまた目をむいた――ので、おばあちゃんは花瓶を探しに居間を出て行った。川野は台所で豚の角煮を盛り付けている。川野のお父さんは座卓に座り目を伏せているが、そのこけた頬はまばゆい光の中で以前の憔悴しきったものとは別物に見えた。台所から居間にフレンチトーストが焼ける甘く香ばしい香りが漂ってきた。
再び玄関が開く音がした。そのまま部屋に上がってくる気配がする。
「母さん、裕佳子、ただいま」
竹史さんがはじかれたように目を上げた。青ざめた端麗な横顔。
はっとするほど近くでイソヒヨドリが歌い始めた。
イソヒヨドリの町で 佐藤宇佳子 @satoukako
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