第一占 虎の尻尾に気をつけて ③

 月麗は、受け身も取れず背中から地面に叩きつけられた。息が詰まる。繰り返しになるが、月麗は武術に関して素人である。こんな鮮やかな技を繰り出されては、対応しようがない。


占いで攻撃を予想する? 無茶言わないでよね。そんな芸当ができるなら、さっさと最強の武人になって乱世武勇伝に物語を切り替えてるって。


「どこの家の者だ」


 などと頭の中で軽口を叩いている余裕などなかった。


白仙はくせんではないな。灰仙かいせんか? それとも黄仙こうせんか?」


 女性が、月麗の喉元に棍を突きつけてきた。切れ長な瞳。面立ちは整っている。表情はなく、凛とした厳しさだけが充溢している。


「あの、仰ることがよく分からないのですが」


 月麗はそう答えてみた。


「しらを切るのはやめた方が身のためだ」


 女性が、棍の先を一瞬だけ喉に押し当てた。ただそれだけのことで、月麗は咳き込んでしまう。このまま強く押し込まれれば、と恐ろしくなってくる。


「我らが妃をどこに拐かした。言わねば、ここで討ち果たす」


 女性が言う。一大事である。多少なりとも意味が分かれば弁明もできようが、本当に皆目見当がつかない。このままでは、何が何だか分からない間に討伐されてしまう。


「うう、あいたた」


 遠くから間の抜けた声が聞こえてきた。茂みから飛び出してきた女性のものだ。


「ああ、よく寝た。って寝てる場合じゃなかった」


 飛び出してきた女性の声が続く。意識を取り戻したようだ。


「あの、あの。人間っぽいですよ、その女性」

「人間? しかも女?」


 月麗を尋問する女性の顔に、初めて表情が生まれた。何かを考え込むような、検討するような、そんな雰囲気だ。


「――麻姑まこは何をやっても駄目なだけで、鼻の良さは境世きょうせいで一番だ。麻姑が人間の女だと言うなら、間違いなく人間の女だな」


 呟きながら、女性が棍を月麗の喉元から外した。月麗は恐る恐る身を起こす。


「何か、全然褒められた気がしないですよ姐姐じぇじぇ


 茂みから飛び出してきた女性が、棍を持ってとことこ駆け寄ってきた。

 彼女もまた、目が細い。しかし雰囲気は違う。やや目尻が垂れ気味で、温和そうだ。


 気絶する勢いで木に顔からぶつかったというのに、特に怪我をした様子もない。額が少しばかり赤くなっているくらいだ。この様子だと、むしろぶつかられた木の方を心配すべきかもしれない。


「勿論だ。褒めてはいない。あとわたしのことはせんと呼べ。――さあ、せんを探すぞ。もたもたしている時間はない」


 月麗を問い詰めた女性がそう言い、次の瞬間二人は姿を消した。


「えっ」


 月麗は息を呑む。本当に、消えたのだ。

 辺りを見回す。人っ子ひとりいない。棍の一本も落ちていない。


 歩きながら夢でも見ていたのだろうか。だが、背中は痛いし、喉元には棍の感触が残っている。夢にしては、あまりに現実味がありすぎる。一体、何だったのか――


「まるで、狐に化かされたみたいでしょう」


 そんな言葉が、すぐ横から聞こえてきた。


「わわっ!」


 びっくりして、声から反対側に離れる。


「まあ、本当にそうだとも言えますが」


 声の主は、そんなことを言った。


「あなたは――」


 月麗は、声の主を見やる。


「――誰?」


 浮かんできた第一声は、そんなものだった。第二声は、今のところ浮かんでこない。


「わたしは、ええと――何と名乗ればいいでしょう」


 またもや女性である。またもや山道にそぐわしくない服装をしている。


 もう見るからに上質な布で作られた、鮮やかな深紅の服。色とりどりの糸で、細かな模様がこれでもかとばかりに縫い取られている。


 頭には黄金に輝く髪飾り――いや、冠だろうか。そういうものを被っている。


 咲き乱れる花々を象ったような、豪華極まりない意匠の冠だ。これは婚礼の衣装。しかも、やんごとない身分のそれではないだろうか。


「通りすがりの女狐さん――ということで、いかがでしょうか」


 女性が言う。冠から一枚の布が垂らされていて表情ははっきりと伺えないが、声や仕草には服装にふさわしい上品さが漂っている。


「はあ、よろしくお願いします」


 会釈を返しつつ、月麗は目をぱちくりさせる。言うまでもないことだが、女狐とは自称するような肩書きではない。高貴な人の間で通じる愉快な冗談なのだろうか。高貴な人の世界を知らないので判断がつかない。


「あ、すいません。顔を隠したままでしたね」


 月麗が反応に困っているのを何か違う風に取ったのか、女性が布を取った。


 現れた顔は、服にふさわしく艶やかに粧われていた。月麗も魅入られてしまうほどに、美しい。

 その目は、やはり切れ長である。ほんわかと優しそうで、同時にしっかりとした芯の強さも感じさせる。


 そんな女性は、じっと月麗を見てきた。どぎまぎしてしまう。綺麗な人を見ることは楽しいことだけれど、見られるのも何だかドキドキしてしまう。


「失礼します」


 女性は月麗に近づいてくると、手を伸ばしてぐにーと月麗のほっぺたを引っ張ってきた。背丈は同じくらいなので、真っ直ぐ手を伸ばしてきてつまんでくる感じである。


「いた、いたた。何ですか一体」


 月麗は悲鳴を上げる。さすがに頬をつねられてドキドキするなんてことはない。


「ああ、ごめんなさい。東の方では狐が頬をつまんだりするそうですが、ここではちょっと馴れ馴れしいですよね」


 そんなことを言って、女性は手を離した。


「その、わたしと背格好が似ていらっしゃるので。丁度いいかもしれないと思いまして」

「丁度いいって、どういう――」


 その時、出し抜けに訪れた。

 目の前にいる誰かの、未来の光景が。


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