第一占 虎の尻尾に気をつけて ⑪
胡仙だけ色に関係なくないですか、と聞きかけて慌てて止める。それを知らないのは、いくら何でもおかしい。
「でも、何だ」
帝は月麗の言葉尻を捉えてきた。こんな時に限って、と月麗は内心狼狽える。
「あの、帝は何の妖怪なんですか? 代々何かの妖怪なんですよね?」
――月麗としては、誤魔化すためにした適当な質問だった。
「教える必要は、ない」
それに帝は、態度を硬化させた。表情はかすかに、しかしはっきりと、険しい。
「ごめんなさい」
聞いてはいけないことだったようだ。さては、帝の正体はニワトリの妖怪だとかそういうことだろうか。だとしたら確かに聞いてはいけなかった。
毎日帝がコケコッコーと朝を告げたりしたら、たまったものではない。処刑覚悟で抱腹絶倒してしまう。
それはさておき。帝はすっかり黙り込んでしまった。気まずい。空気を変えないと。
「――あの。妃は今五人いるわけですが、皇后はどちらに?」
月麗は、どうにか質問をひねり出した。妃とは、普通側室のことを言う。正室たる皇后が、他にいるはずだ。
「皇后はいない。五名の妃の中から選ばれる」
帝は、元の雰囲気に戻っていた。それはよかったが、話の内容はよろしくない。
「他の妃を罠にはめたり逆に陥れられたりとか、しないといけないわけですか」
やはり地獄な後宮なのか。
「今はもう実際に闘争に及ぶことはない。俺がさせぬ」
「じゃあ、平和なんですか? みんなで優雅にお茶を楽しむような」
帝の言葉に、月麗は微かな希望を持った。そういえば宦官は可愛いもふもふなわけだし、ここではほのぼの後宮絵巻が繰り広げられるのかもしれない。みんなでお料理したりお菓子を作ったりしているうちに一日が終わるとか。
「そういうわけではない。五家はそれぞれ反目しあっている」
「あう」
空想の中でまったりする月麗に、帝が現実を突きつけた。
「それもあり、後宮に身を置く女は日々苦しんでいる。しばしば憂いを深くし、心神を患う。理に合わぬ古いしきたりのせいだ。俺は、それを改めようと取り組んでいる」
がっくりする月麗に、帝は話す。
「しかし、抵抗も大きい。実現するのはまだまだ先のことだ。今すぐに、後宮の者たちの悩みに癒やしをもたらす必要がある」
「――なるほど」
あまり、気が進まない。悩んでいる人に、占いで力を貸すこと自体はよい。占筮者として、望むところである。
しかし、突然後宮に閉じ込められて妃にされた挙げ句、やれと命令されてやるのは何だか違う。それに、用が済んだら喰らうつもりだろうし。
「改めてお前に占われて、確信した。お前なら、きっと俺の期待に応えることができる」
だが、こうして正面から真っ直ぐ見つめられて頼まれると、何も言えなくなる。
「答えを聞かせろ」
帝が手を伸ばし、筆を持ったままの月麗の手を握りしめてきた。その力強さに、胸がどくんと弾む。頭がぽうっとなって、何も考えられなくなる――
「お時間にございます!」
突然、そんな声が外から飛び込んできた。月麗は、はっと我に返る。
「お時間にございます!」
再び声がした。宦官のものだ。
「陛下?」
月麗は帝の様子を窺ってみる。帝は、月麗の手を握ったまま動きを止めていた。
「お時間にございます! お時間にございます!」
宦官が、必死の気配で繰り返す。
「止むを得ぬか」
帝は月麗から手を離した。ほっとしたような、残念なような、妙な気分に月麗はなる。
「お時間にございます! お時間にございます! お時間にございます! おじか――」
「聞こえている。すぐに出る」
小声で、帝は忌々しそうに言った。――そう、忌々しそうに。
月麗は驚く。それは何だか駄々をこねる子供のようで、どこか可愛かったのだ。
「かしこまりました!」
宦官が、ほっとした声色でそう答えてきた。
「筆や墨はどうする。使うならば、これからも持ってこさせるが」
椅子から立ち上がると、帝が訊ねてきた。
「はい、お願いします」
月麗は目を輝かせてそう答えた。この部屋で過ごす時間は退屈だ。しかし、書くものがあれば随分と気も紛れるだろう。
「うむ。紙は宦官に言えば好きなだけ届くように手配しておく。占部尚書の務めを果たすにあたっては、必要となるだろうしな」
「え? いや、そういうわけでは――」
「これだけはもらっていこう」
「履」と書かれた紙を手にすると、帝は出て行く。
「これからの働きに期待しているぞ、占部尚書よ」
入り口で、帝は振り返ってそう言った。
「――うう」
一人になり、月麗は呻く。
「何でこうなるのよう」
嘆きの言葉が、広い部屋に哀しく響いたのだった。
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