第一占 虎の尻尾に気をつけて ⑨

 表情に出さないように気をつけながら、月麗は思う。うん、これはヤバい。


「どうであった?」


 帝が聞いてきた。実に真剣な様子だ。この想いに懸けているのが伝わってくる。


「大事ですから、よく聞いてくださいね」


 ヤバいものを伝える時には、慎重になる。ヤバい未来に備えるには、それがどんなものか相手にしっかり理解してもらうのが絶対の条件だ。


 こりゃあヤバいですね、で終わらせたら本当に一巻の終わりになりかねない。


「分かった」


 伝わったか、帝が真面目な面持ちで頷く。まあ帝は大体いつも必要以上に厳格な表情なのだが。


「では、お伝えしますね」


 月麗は、筆置きに置かれていた筆を手にした。


「いい筆」


 そんな言葉が漏れる。握っただけで分かる。逸品と呼んで差し支えない一本だ。

 墨を含ませ、筆を走らせる。そして唸る。筆は勿論のこと、墨もいい。滑らかに伸び、美しくかすれる。黒一色の中にいくつもの彩りがあり、眩い墨痕を象っていく。


 それを受ける紙もまた素晴らしい。墨をしっかりと吸い込み、程よく滲ませ、線の一本一本に生き生きとした表情を与えていく。


「――『履』、か」


 帝は、月麗の書き上げた字を読み上げた。


「これが結果なのだな。どういう意味だ?」

「この字には『踏む』という意味があります。草で作ったものを足で踏む、だから『草履』。自分の足で踏みしめて歩いてきた経歴、だから『履歴』。そんな感じです」


 筆を筆置きに置き、紙を帝の方に向けながら、その様子を窺う。帝は小さく頷き、字を見ている。意味はよく分かったようだ。


「すると、俺は何かを踏んでしまうのだな」


 飲み込みも早い。説明しやすい相手だ。


「はい。今回踏んでしまうのは、虎の尻尾です」


 帝が、硬直した。元々言葉も表情も硬い帝なのに、なお固まっている。会って一日やそこらの月麗が読み取れるのだから、相当な変化のはずだ。


「大丈夫ですか?」


 月麗は帝を気遣う。予想以上の反応だ。よほど衝撃だったのだろうか。


「ああ。続けよ」


 硬い面持ちのまま、帝は言った。


「見えないのに見ようとして、歩けないのに歩こうと無理をして、その結果として虎の尻尾を踏んづけて食われるのです。柔弱なものが、剛強なものを踏んでしまうわけです」

「無理をしたせいで、か」


 そこで言葉を切って、改めて帝の様子を観察する。こちらの投げかけた言葉に、どのような反応をするか。それを見るのだ。


 占いとは、答えを求めて終わりというものではない。占った相手の反応、言葉。抱えている何か。それらを付き合わせながら、未来を読み取っていくものだ。


 帝は、何も言わない。先程のように、内心が表に出てきているということもない。それはそれで、一つの反応だ。出たものを、引っ込めた。出したくなかったということだ。


「何か『無理してるなあ』って思ってること、ありますか」


 そう質問を投げかけてみる。


「あるといえば、ある」



 帝はそう答え、口を閉ざした。少し待つが、続きを話すことはない。もう少し待つ。やはり話してくれない。どうやら、言いづらいことのようだ。あるいは言いたくないのか。


「『履』は、『帝の位を踏んでもやましくなければ、光明が見える』とも言われます」


 更に付け加えてみる。普通は何かのたとえとして読み取る一文だが、今回占っている相手は本当に帝位にある。比喩だけではなく、重大な意味があるはずだ。


「やましくはない。『位を踏む』とは、その地位につくことだろう? 俺は、帝であることにやましさを感じてはいない」


 呟くように、帝が言う。そこに、言い訳めいた響きはない。本音とみていいようだ。


「なるほど」


 月麗は内容を整理する。


 ――「何か無理しているのではないか」と占筮は告げ、帝はそれを認めた。しかし、具体的な部分は伏せた。

 ――「帝の位を踏んでもやましくなければ、光明が見える」という暗示には、帝はやましさはないと返した。


 月麗は小さく頷く。ある程度、伝えるべき言葉が見出せた。


「未来というものは、あらかじめ決まったものではありません」


 月麗は、意識して柔らかい声を出す。


「占筮の結果は、あくまで兆しを告げるもの。それを『踏まえて』行動することで、道は必ずひらかれます」


 帝が月麗の方を見てくる。その視線をしっかりと受け止め、月麗は言葉を続ける。


「『今のままなら、虎の尾を踏むようなことになる』。そういう警告だと今回は受け止めるべきでしょう。男女の気持ちの細かいところについては、わたしも自信ありません。ただ、無理矢理にどうこうするものではないということは言えます」


 帝の視線が、揺れた。気にかかっている部分なのだろう。


「帝の位にありながら、誰かを好きになること。それは、難しいことだと思います。責任の重さからすれば、好きになることそれ自体が重大で深刻な場合もあるでしょう。


 しかし、その気持ちに陛下がやましさを抱いてないのであれば、きっと光明が見えるはず。占筮はそう励ましていると、わたしは読みます」


 帝の視線が、斜め下で動きを止める。その瞳に、何かを考え込むような色合いが宿る。


「そうか」


 帝が、再び月麗を見つめてきた。眼差しに、落ち着きが感じられる。何か、胸に落ちるところがあったようだ。


「心持ちが、軽くなった。その言葉を、ゆっくりと噛み締めることとする」


 そう言うと、帝は唇を緩め微かに微笑んだ。


「あ、いえ。お役に立てたのでしたら、何よりです」


 狼狽えてしまう月麗である。普段からにこにこしていない分、破壊力が半端ない。


「やはり俺の目に狂いはなかった。せん尚書に任じたことは、正解だったな」

「うっ」


 月麗は呻く。余計な評価までついてきてしまった。



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