第一占 虎の尻尾に気をつけて ① 

 ――山林・川谷・丘陵、能く雲を出し、風雨を為し、怪物を見わす。みな神という。――


「この辺りの人間は、誰でも知っている話なんだよ」


 その男性は、道すがら昔話を教えてくれた。


「昔々、男と女がいた。二人は幼い頃から互いを思い合い、ついにめでたく夫婦となった。しかし祝言を挙げてすぐ夫は戦に取られてしまい、そして帰ってこなかった」


 もう一人の男性も、一緒になって語ってくれた。


「夫婦の幼馴染みである男は、そんな彼女の姿を見てはいられなかった。なぜなら、彼女のことを愛していたからだ。男は幸せにしたいと、妻に再婚を申し込んだ。妻は中々首を縦に振らなかったが、周囲のすすめもあり、男の求婚を受け入れた」

「その直後に夫が帰ってきた。戦で囚われていたけど、隙を突いて逃げ出してきたんだ」

「二人の夫に同時に仕えるのは、天に背く重罪だ。報いとして、この辺りは様々な天変地異に見舞われ、穀物も実らなくなった。妻は責任を感じ、自ら命を絶った」


「重罪人を村の墓場に葬ることはできない。二人の夫は妻の亡骸を車に乗せ、嘆き悲しみながら車を牽いてこの山――れん山まで運び、そこに葬った。その日の夜、この辺りの住民の夢に鄻山の神が現れて告げた。『死をもって償ったことで赦す。女は神の妃とする』と。次の日から災いは収まり、作物も再び実るようになった」

「その後この辺りでは、天災や凶作に見舞われると、鄻山に若い女性を捧げるようになった。その女性を、生贄の妃と呼ぶのさ」


「なるほど! 大変興味深いです!」


 月麗は目を輝かせた。身に纏うのは、動きやすさ優先の胡服。髪も動く時邪魔にならないよう短くしている。荷物を入れた袋も、太い肩紐を二つ取り付け背負えるようにしている。両手が自由になり、動くにあたってすこぶる便利だというわけだ。


 何でもかんでも動くことを前提にしているが、当然のことである。旅の占筮者は、一にも二にも身軽さが大事なのだ。


「鄻って字、珍しいなーと思ったんですけど、その昔話に由来しているんですね」


 月麗は、うんうんと頷く。鄻という字の右側にあるおおざとは、むら――人が住む集落を表す。「郡」や「郷」、「邦」辺りを思い浮かべると分かりやすい。鄻は、村から二人の男が車を牽いて出発した様子を表しているようだ。


「ただ、筋書きはどうでしょう。妻だけが死んで、求婚した人や勧めた周囲はお咎めなしって。無理に求婚したり勧めたりしなきゃ、最初の夫が帰ってきて大団円だったのに」


 月麗は昔話にダメ出しをする。お話がめでたしめでたしで終わる必要もないだろうが、逆に可哀想な悲劇で終わることが必須というわけでもあるまい。話の重みと、聞き終えた後の気分の重苦しさとは、別物じゃないかなー?


「いやあ、そうかもしれないけど」


 二人の男性は、顔を見合わせる。


「それよりも、君は今の状況が分かってるのかい」


 一方の男性が、そう訊ねてきた。


「えーと、二人の男性が牽く車に載せられて、山道を行ってます。楽しいですね!」


 車と言っても、立派なものではない。板に車輪と牽くための棒を二本取り付けた、米を積んで牛に牽かせるようなつくりだ。乗り心地は、お世辞にもいいとは言えない。

しかし、米でもないのにそんな車の乗り心地を体験できるというのは大変貴重なことだろう。


「いや、そういうことではなく――ああ、もう着いてしまった」

「そうだな。ここまでだな」


 男性たちは、揃って足を止めた。


「俺たちは帰る。済まないが、ここで降りてくれ」

「はい!」


 鞄を背負った月麗は、元気よく車から飛び降りる。


「何だか気が咎めるよ」

「そう災いもない年に、お嬢さんのような年端もいかない子を生贄の妃にするとは」


 二人とも、痛ましそうに月麗を見てくる。今のご時世、珍しいほどにいい人たちである。いつ果てるともない乱世は、人の心をひどく荒ませているのだから。


 ――天下があいという国の元で平和だったのも、遠い昔の話だ。九代目の荒厲帝こうれいていの代に藹は滅亡。その後八つの王朝が次々に代替わりしながら、天下は数え切れぬほどの国に分裂した。後世に八代群国と称される乱世の、その真っ只中に月麗たちは生きている。


「わたし、子供じゃないですよ。まあ、この見た目なのでそう思われがちですけど」


 月麗は、えへんと胸を張ってみせる。


「それに、まあまあ己の行いによるところもありますし」


 

 ――昨日のことだ。


「もう一度言ってみろ!」


 丸々と太った男性が、顔を真っ赤にして怒鳴った。


「この儂の優秀な息子が、進士科を得解した我が嫡子が、省試で不正を行うだと!」


 彼の隣では、ひょろひょろと痩せっぽちな息子が真っ青になっている。体型といい顔色といい、実に鮮やかな対比だ。若干の詩情さえ漂っている。


 旅の途中で立ち寄った、鄻山。その麓一帯の権力者であるという男性が、息子の将来を占ってくれと頼んできた。お安いご用と占ったところ、大変宜しくない結果が出た。そこで包み隠さず伝えつつ助言を行おうとしたところ、こうなってしまったのだった。


「まあ、そもそも旅の占者風情、しかも女に何が分かるというものか。得解にせよ省試にせよ、言葉の意味すら理解できまい?」


 殊更小馬鹿にするような口調で、太った男性が聞いてくる。


「進士科とは、官僚を選抜する科挙の科目の一つで、最難関のものです。得解とは、解試と呼ばれる段階に及第したことを指します。省試とは、解試の次の段階ですね」


 月麗はすらすらと回答した。


「調子に乗りおって!」


 男性は余計に怒る。黙っていれば、「分からないのに偉そうなことを!」と怒っていただろう。それとどちらがマシかと考えて、びしっと口答えをする道を選んだのだ。占筮者としての体面は、大事なのである。


「そもそも、何を根拠に我が息子が不正を行うなどと放言するのだ!」


 男性は、次なる質問を投げつけてきた。


「占筮は、明白にそう告げております。それに――」

「それになんだ!」


 三度目の問いに、月麗は初めて口をつぐんだ。

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