第一占 虎の尻尾に気をつけて ⑤

 そのまま月麗は控えの間らしき所に拉致された。そして猛烈な勢いで化粧を施され、特髻かつらをかぶせられた。


「時間がないので結論のみ伝えます。お前は――否、貴方は輿入れをするのです」


 そして、そう命じられた。


「本来輿入れするはずだった方はそれを拒み、貴方と我々を化かし行方をくらませました。代わりをお願いします」


 月麗に化粧を施しながら、頭目の女性はそう言った。


「誰か、別の人にお願いしてもいいですか?」


 月麗がそう聞くと、頭目は首を横に振った。


「侍女の数は後宮を管理する内侍ないし省に報告しており、増えるにせよ減るにせよその都度申し立てる義務があります。数が合わないことを他宮に勘づかれれば、万事休すです」


 月麗の理解も納得も同意も置き去りにして、頭目は話を進めていく。


「輿入れの儀はもう始まります。皇后を出し、幽世ゆうせいへと至り、妖怪から神となるのはせんの悲願。もう後には引けません。――ご安心ください。我々が貴方の手となり足となり、粉骨砕身お仕えすることを誓います」


 頭目は、笑顔で月麗を見つめてきた。


「ですが、もし胡仙妃の名を辱めるかの如き御振る舞いありとお見受けしましたならば、手足をもぎ取り骨まで喰ろうて差し上げます故、ゆめゆめ怠られませぬよう」


 その視線は、刃のように鋭かった。



 そんな仕打ちを受けてはたまらない。月麗は必死で輿入れの儀をつつがなく済ませた。いや、実際につつがなく行動できたかどうかは分からないが、終わってから食べられたりはしなかったので、大丈夫だったのだろう。多分。多分ね。


 その後も召し替えをされたり改めて化粧を施されたり、コセンキが住まうコセンキュウなるところへ連れて行かれたりと大わらわだった。途中「みだりにその姿を人目にさらしてはならぬ」ということで常に輿に乗せられていたため、自分がどういう場所にいるのかはさっぱり分からないままだった。


 そして夜になり、帝が部屋に来たり占い大臣に任命されたりした。そんな一日だった。



「うん、訳が分からないな」


 起こった出来事を整理し直した上で、月麗はそう結論づけた。


 翌日。月麗は、コセンキュウのあの部屋に閉じ込められたままだった。コセンキ入れ替わり問題への対策が確立されるまで、出歩くことはまかりならんということらしい。


 突然占い大臣に任命されたことで(しかも妃という立場はそのままらしい)、余計に色々ややこしくなったようだ。


 扱いそのものは、悪くない。食べ物(超おいしい)とかは持ってきてくれるし、厠(超きれい)にも連れて行ってくれる。しかも輿移動で。用を足すだけで輿を使うとか、亡国の贅沢王族のような趣がある。これは隠すための措置なのか、それともこれが普通なのか。さっぱり分からない。


「そう、そうなんだよね」


 分からない。まさにその通りである。


 侍女たちは、必要最低限のこと以外何も教えてくれないのだ。ここ(コセンキュウ)は一体どこ? わたし(コセンヒ)は誰?


 部屋を見回す。最初に「閉じ込められた」と表現はしたものの、実際のところ幽閉されているような気持ちにはならない。部屋が広いのだ。というか広すぎる。ちょっとした寺院の本堂くらいはあるのではないか。


 しかも豪華すぎる。たとえば今、月麗はしょうとうの上でごろごろしている。要するに寝台なのだが、冗談みたいに大きい。女性としても小柄な月麗だと、一度に何十人も寝ることができるほどだ。月麗ひとりでは大半の部分が余っていて、勿体ないことこの上ない。使いこなせずすいません。


 他にも、墨で山や谷が美しく描かれた衝立や、大きくすべすべの壺やら、どう見ても財宝な感じの調度品がいっぱいある。あれ? もしかしてこの部屋で一番安上がりなのって、他ならぬわたしでは?


「邪魔するぞ」


 自分の価値とは何なのかと悩み始めた月麗の耳に、そんな声が聞こえてきた。


「あ、陛下」


 帝である。昨日と同じ出で立ち、同じ美形が部屋の入り口にいた。


「なぜ横になっている。体調が優れないのか。それとも気分が悪いのか」


 寝転がっている月麗を見て、帝はそんなことを訊ねてくる。


「いえ、とんでもございません。陛下に億歳のあらんことを」


 月麗は寝台から降りて膝を突き、その状態で拱手きょうしゅした。何も教えてくれない侍女たちだが、さすがに礼儀作法については教えてくれた。むしろ滅茶苦茶細かかった。拱手の角度とか膝の付き方とかについて、大変うるさく言われた。


「礼を免ず。立て。いや立つな。寝ていろ」


 帝が矢継ぎ早に言う。皇帝の命令とは汗のようなもの、一度下せば取り消せないのが基本のはずなのだが、やたらめったら連発されている。


「いえ、ご心配なく。ちょっとだらだらしてただけでして」


 三つ四つ出された帝の勅命の中から、月麗は最初の方のものを選んで立ち上がった。


「そうか。無理はするな」


 帝が頷く。


「陛下こそ、まつりごとはよろしいのですか。わたくしめなどは放っておいて、どうぞ国を治め天下を平らかにしてくださいませ」


 元気に仕事してて留守でいいんですよということを、遠回しに告げる。そうしてくれると、逃げ出す好機も見つかるかもしれないし。


「臣下に任せてきた。俺は自らの身や家となる後宮のことにも力を入れて取り組みたい」


 帝が言う。普通なら家族を大事にするいい夫なのかもしれないが、国の頂点に立つ者としては問題発言ではないだろうか。大丈夫なのかなこの国。


「さて。昨日の続きだ。今日は時間がある。突然工部尚書が直訴しに来ることもない」


 帝が、一歩踏み出してきた。月麗は青くなる。やはり、喰らいにきたのだろうか。

 神は生贄を求める、という鄻山の昔話。骨まで喰らうという脅し。それらを合わせると、やっぱり自分は生贄として捧げられたのだろうと思えてしまう。


「あの、いいですか。わたしに期待してもいいことないですよ」


 後退あとずさりながら、月麗は言う。転んだらまた捕まってしまうので、慎重に後退っている。


「いや。俺の目に狂いはない」


 月麗に近づきながら、帝が言う。


「ほんと、ほんとです。お腹壊しますよ」


 月麗はなおも後退る。


「いや。俺の五臓に問題はない」


 帝はなおも進む。


「もっと他に、いるでしょう」


 そこまで言ったところで、月麗は立ち止まった。壁にぶつかったのだ。


「いや。俺の気持ちに変わりはない」


 月麗を壁際に追い詰め、帝は言った。


「お前でなければ駄目だ」


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