序「境帝を占い高官に昇る」③

 帝が、きっと月麗を見据えてきた。しまった。悪手だったか。


「えー、あー、そう! 星の巡りとか何かそういうのが――」

「陛下! 恐れながら申し上げます!」


 必死で誤魔化していると、部屋の外から甲高い声が聞こえてきた。


「工部尚書が参上されております! 至急陛下への上奏を取り次ぐべしとの仰せです!」


 甲高い声が、そう続けた。不思議な声だ。勿論男性のものではないが、女性のものでもない。少年や少女というのも、何か違う。


「今は忙しい。明日の朝に受け付けると伝えろ。そもそも、工部の専門は土木ではないか。夜の内に俺の採決が必要となる用事などあるまい」


 帝がそう答えた。やや不機嫌そうにも聞こえる。


「それでも、何としても今上奏なさりたいとのことです。忠義の魂に突き動かされて参られたそうで、『陛下のお怒りを買い、肝脳地に塗ることも覚悟の上』との仰せです」

「やめさせろ。あの年寄りの肝や脳髄を地面にぶちまけられたところで、俺にもこの国にも何の益もない。――ああ、分かった。行くと伝えろ」


 帝は深々と溜め息をつく。


「俺は仕事が入った。行かねばならぬ」

「そうですか!」


 思わず声が弾んだ。あわやというところで助けが入ったといえる。工部尚書さんへの感謝の気持ちで、月麗の胸はいっぱいだ。肝も脳味噌も大事にしてね。


「ああ。手早くやってくれ」


 ほっとした月麗だったが、そうはいなかった。帝が、そんなことを命じてきたのだ。


「え? 手早く?」

「いかにも。時間がない」


 思わず聞き返すと、帝はそう言ってきた。


「それは、ちょっと。占うには道具とか何とか色々準備が必要ですし、占筮の理論や文言は難解なんです。お伝えするには、丁寧に分かりやすく説明する必要があります」


 道具を準備し、占い、結果が出ればそれを依頼者と共に読み取る。これが占筮の流れだ。未来とは、手続きなしで直接観ることができるものではない。


――まあ、本当にごく希に本当に『観える』人間はいるのだけど。月麗は、それをよく知ってもいるのだけど。


「そう真面目にやらなくてもいい」


 帝の言葉に、月麗は引っかかった。ちょっと扱いが軽い。気がする。


「難しい話は必要ない。されても理解できんだろう。それらしく要点が分かればよい」


 違う。ちょっとどころではなく、軽い。相当、とんでもなく――なめられている。


「いたしかねます」


 そう感じた瞬間には、月麗の口から強い言葉が飛び出していた。


「何だと」


 帝は、驚いたように目を見開く。


「分かりやすく説明するというのは、いい加減に省略するということではありません。その意味する所を正しく伝えられるよう、真心を尽くすということです」


 そんな帝の目を、月麗は真っ直ぐ見据える。目線ごと帝をとっ捕まえるつもりで、睨みつける。たとえ帝でも、月麗の占筮をいい加減に扱うことは許せない。


「占筮は、天に問い、地に訊ね、人と計るものです。真面目じゃなくていい、テキトーな占いでいいと仰るなら、そこら辺の花の花びらでも一枚一枚千切ってくださいませ」


 啖呵を切り倒してから、月麗ははっと我に返る。言い過ぎた。これは大変だ。肝や脳味噌が危機に晒されているのは、工部尚書さんではなく月麗の方である。


「そうか」


 帝は静かに頷いた。ああ、処刑されてしまう。梟首(晒し首の刑)だろうか。腰斬(体真つ二つの刑)だろうか。車裂(馬で引つ張り八つ裂きの刑)だろうか。どれもいやだ。死ぬほどいやだ。いや死ぬんだけど。


「すまなかった。急ぐあまり、失礼なことを言ってしまったようだ」


 絶望する月麗の前で、帝がそう言った。


「え? すまない?」


「いかにも。これは俺の過ちだ。俺は自らを罪せねばならぬ。許せ」


 思わず聞き返すと、帝はそう詫びてきた。


「お前にとって、占筮とは本当に大切なものなのだな。今後、それを侮るかのような言動は厳に慎む。これでいいだろうか」


 少しだけ、頭を下げることさえした。


「俺はお前の占いに興味がある。一度、それがいかなるものか体験してみたいのだ」


 そして、そう頼んでくる。


「――一から六十四までの数字の中から、一つ選んでください」


 両の袖を体の前で合わせると、月麗はそう言った。


「どういうことだ」


 帝が、不思議そうに首を傾げる。


「心易という占筮法です。心に浮かんだ数字や、身の回りにある数を元に占います」


 月麗にとって、専門とする方法ではない。なのでどうしても大味になってしまうが、まあ今回ばかりはいいだろう。反省しているようだし、占ってやるとしよう。


「――四十七」


 帝は、少し考えてから数字を選んだ。


「はい。次は、零から六の中から一つ選んでください」

「三だ」


 ――困の三番目。速やかに、月麗は答えを導き出す。


「良くないですね。川の水が涸れて流れなくなったような状態です。口にする言葉は相手に信じられませんし、つまらない人に立派な人が遮られるという意味もあります」

「ふむ」


 帝は、月麗の言葉に真剣に聞き入る。ついつい興に乗って、更に話してしまう。


「もう少し詳しく現状を述べるなら、『行く手には石が立ち塞がり進めず、腰を下ろそうとするとそこには茨があって休めない』という感じです。つらいですね。あと、『その宮に入るも、その妻と見(まみ)えず』という言葉もありまして。この言葉の意味は――」


 そこではっと気づく。宮に入ったけれど、その妻に会えない。偽物の妃を前にしている帝のこの状態を、ぴたりと言い当てている。さすが自分。天下無双の占い上手だ。

しかもそれを、わざわざ帝に教えてしまっている。さすが自分。間抜けさも天下無双だ。


「なるほどな」


 凍りつく月麗の目の前で、帝が口を開く。正体が、バレてしまったのだろうか。


「つまりそれは――」


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