リオの気持ち
正直、勝手がわからなかった。
リオは部屋のスイッチを押す。
ラブホって、どういうシステム?
「えっ、どうするの?」
「いいんだよ、これで」
「来たこと、あるの?」
「教えない」
戦う前から心が折れそうな俺。
言われるがままに、ルームナンバーが光っている部屋に入る。
薄暗い部屋の雰囲気が、これから始まる厳しい戦闘のことを俺の頭から飛ばしてしまおうとする。
戦いが長引けば、ここにしばらく居ることになるかもしれないと思っていた俺は、とりあえず持ってきた荷物をテーブルのあたりへ置いた。
部屋の内装をまじまじと観察する。
セックスをするための部屋だと思うと、そんなところに女子高生と二人っきりで入ったことに、もう正気を保つのが精一杯になってくる。
振り返ると、リオは、突っ立ったまま、じっと俺を見つめていた。
すかさず俺は目をそらす。
というか、あちこちに目線を飛ばす。
俺はイスに座り、熱くなった顔を見せないようにして、どうしていいかわからず膝の上で手をモミモミしていた。
そんな俺の隣に座るリオ。制服姿の女子高生が、身体が引っ付くほどの距離に。そのせいで頭がフワフワして、心臓がドキドキして、イマイチ思考が回らない。
「あの、」
「……絶対に、無理しないでね」
沈んだ顔でつぶやくリオの様子が、浮ついた俺の意識をようやく正気へと引き戻した。
ふう、っと息を吐き、俺はリオへ言う。
「ああ。大丈夫、この前みたいには、ならないように……」
「嘘つき」
「…………」
「あたし、すごくショックだった。ネムが、あんなふうに、自分の命を捨てるみたいにして」
「ごめん」
こう言われれば、謝るしかないように思った。
「あんなの、もう見たくないよ」
「うん……」
「でも、『もうしない』なんて、本当は約束するつもりないでしょ」
「…………」
「お願いがあるの」
「なに?」
「もし、敵に
「リオ……」
「だって、そもそも、戦って、どういうメリットがあるの? 敵の仲間になったら、何が悪いの?」
「あいつらは、仲間にならないやつを殺して回るんだ。俺たちはそんなことしたくない」
「じゃあ、誰も殺さない、って条件で敵の仲間になって!」
「理由も
リオは立ち上がった。
「でも、今からは違うかもしれないじゃない。交渉すれば、大丈夫かもしれないじゃない」
「田中さんを助けなきゃいけない」
「弱い者が死ぬのは必然だよ! それがわからないの? なんで弱い者を助けるの? 自分が生きるために、なんで最善を尽くさないの?」
これから戦うのは俺たちであって、リオではない。リオには、命の危険はない。
なのに、心の悲鳴をあげていたのは、リオのほうだった。
大粒の涙が頬を伝う。
拳を握りしめ、肩で息をして、一ミリの余裕すら感じられない。
さっきまで、ホテルがどうのと言って俺をおちょくっていたのに、もう、彼女は必死だった。
「前にも言ったね。君の理屈のとおりなら、仮に俺たちが死んだら、俺たちが弱かった、ってことだよ」
「そんなの、納得できない」
「そうだね……」
俺は、隣に座るようにリオへ促す。
リオは、さっきより少しだけ間隔をあけて座った。
「自分のことより大事なものが危険にさらされていたら、どうだろうね」
「…………」
「自分の家族、お父さんやお母さんかもしれないし、兄ちゃん、姉ちゃん、弟、妹かも。夫や妻、子供かもしれない。大事なものが危険にさらされた時、助けなくて、後悔しない?」
「……お父さんなんて、大嫌いだし」
「お父さんは、どういう人?」
「いつも仕事ばっかりで、家にも帰ってこなくて、お母さんは一人でいっつも寂しそうだった。病気で死んじゃう時にも、お父さんは病院へ来なかった。遊んでもらったこともないし、いい思い出なんてひとつもない」
「そっか」
こんな話をしていると、ラブホの部屋もエロさが感じられなくなってくる。
リオは、もう、見るからにいっぱいいっぱいだった。
なぜ彼女がこんなに追い詰められているのかはわからないが、ミーが撃たれた時に俺があんな姿を見せてしまったことが原因なら、俺は彼女に話をする責任があるだろうと思った。
「俺、最初に襲ってきたアーティファクトの時、ミーと中原が殺されかけてさ。俺は安全なところに居たんだけど、二錠目の睡眠薬を使って助けに行くか、迷って」
「…………」
「敵はすごく強くて。勝てるかどうか、微妙だった。その時に、俺は命が惜しくなっちゃって、『俺は十分やった、十分にこいつらを助けた』って考えるようにしたんだ。中原はウェアウルフに目覚めていたし、あいつらだけで対応できるんじゃないか、俺がやらなくてもいいんじゃないか、って」
「うん」
「決断する前に、自分に問いかけたんだ。『今行かなくて、後悔しないか?』って」
「それで?」
「後悔すると思った。ミーと中原が殺害された、って、あとでニュースで知ったら」
「…………」
「結果的に、行って正解だったんだ。敵は、すごくしぶとくて、強かった」
「でも、今回は正解じゃないかも」
「正解かどうかは、」
「そうだね」
リオは、また立ち上がる。
「後悔しないかどうか。……だもんね」
俺は、できるだけ優しい顔に見えるように、ニコッとした。
すると、リオは、俺の顔を優しく両手で掴み。
唇と唇は、触れていた。
さやとも、ミーとも違って、何かしょっぱい味がする。
顔が離れてから俺が確認したリオの表情は、涙に濡れ、鼻水でびしゃびしゃの、さっきからずっと見続けていた、いっぱいいっぱいの顔。
リオを喜ばせる嘘をつくこともできず、ただ見つめることしかできなかった俺は、六錠で一つのシートになっている、ヒュプノスのパッケージを取り出す。その様子をじっと見つめるリオが、俺に問いかけた。
「正直に、答えて」
「ああ」
「どうしようと、思ってる?」
こんなに真剣な顔をしているリオに、嘘をつくのは罪だと思った。
だから、俺も、真剣に返してやる。
「たとえ、何錠飲むことになっても後悔はない。大切なものを、護るためなら」
リオは、下唇をキュッと噛んで、涙をいっぱいに溜めて、それから、にっ、と笑った。
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