狂気

 勢いよく突っ込んだ中原は、子供を抱きかかえたまま慣性の法則に従ってズズーっと滑っていき、摩擦によってやがて止まる。

 俺たちはすぐさま駆け寄ろうとしたが、前にいた野次馬のせいで思うように進めなかった。


 やば。これってマズくね?

 あいつ、オオカミのまま……


「ちょ……すみません! すみません!」

 

 大声を出して群衆をかき分け、息を呑んで中原の姿を探す。

 俺の心配をよそに、中原はきちんとオオカミモードを解除していた。


 近くにいた観衆たちは、

「うえええい!」と叫んだり、

「すげえよ、あんた!」とか

「わあ、カッコいい!」とか

「でも、なんかケモノみたいじゃなかった?」

 なんて言ったりして。


 中原もまたその声を聞いて調子に乗り、子供を片手で抱きながら「うおおお!」と腕を高々と挙げて言ってみたりして。


 ミーとさやは、俺と中原が目覚めさせた秘密の能力のことをまだ知らなかったから、俺は、二人の女子がどんな顔をしているのだろうとヒヤヒヤしていた。

 

 ミーは、慌てて中原に駆け寄っていて、何かに気付いた素振りは見られない。

 しかし、さやは、特にその場から動かず怪訝けげんそうな顔。唇に人差し指を当てて、何やら考え込んでいる。もしかして、何か怪しんだのだろうか。


 とはいえ、こいつの動きは速すぎたから、「ケモノみたいだ」って気付いた奴は相当な動体視力だったに違いない。

 つまり、他の一般人は、突然オオカミ男がこんな遊園地に現れたことにはまず気付いていないだろうし、その正体が中原だなんて当然わからないだろう。仮にさやが気付いたのだとしても、その場合には俺がきちんと説明し、他言しないように言い含めればいいだけだ。


 なにはともあれ、中原の横で、無邪気な顔で目をぱちくりさせる小学校高学年くらいの少年を眺め、俺たちは顔をほころばせた。その中で俺だけは、中原の正体がバレなかったことにも顔を綻ばせていたのだった。


      ◾️ ◾️ ◾️


 あんなことがあったから、さっき休憩したばかりだったが俺たちはまた休憩することにした。パーク内のベンチに中原を座らせ、その周りを囲うようにして三人が立つ。


「お前、よくあの場面で瞬間的に走ったな。ったく、すげえよ」


 と俺は素直にこいつを褒めてやる。これには、さすがのミーも、さやも、俺と同じく素直に褒め称えていた。


「いやあ、当たり前のことをしたまでですよ!」


 頭を掻きながらドヤ顔の中原。

 これに気をよくして、どんどん調子に乗りそうに見えたが、それなりのことをしたのだからある程度は許してやるしかないだろう。

 


「あの。ちょっといいですか」


 

 俺とさやの後ろから、見知らぬ声が掛けられる。


 そこに立っていたのは、俺よりも年上で、きっと三十代くらいの男。

 高級感漂うスーツに身を包んでいて、いい会社に勤める人なのかな、と俺は思った。その男性は、さっきまでの「中原を褒めちぎる人々」とは明らかに異なる表情をしていた。 


「あなた、さっき、ジェットコースターから落下した子供を助けた人ですよね」

「はい、そうですよ! すごかったでしょ」


 男性は、浮かれた中原の声に迎合する様子を全く見せず、観察するようにジロジロと覗き込む。なぜか疑念を持ったかのような表情で中原へ顔を近づけた。


「狼男……ですよね?」

 

 この一言で、子供を助けた高揚感はまたたく間に消え去っていた。中原は、目線をあちこちに飛ばしながら口ごもる。


「あ……はあ? 何をおっしゃってるんでしょうかね」

「ごまかさないでください」

「そんな……俺は別に」

「私は見たんだ。この前も」


 目を見開いて、再度よく観察したこの男の外観に俺の記憶は揺り起こされる。

 まずいと思った俺は、話に割って入った。


「ちょっとあなた……意味のわからないことを言わないでください」


 俺の記憶に微かにあった、この男の特徴。

 それは、防犯カメラで見た外観、スマホマイクが取得した声。

 そうだ。あの居酒屋。中原と一緒に行った居酒屋にいた、国家公務員の!


「あなたも、仲間ですか?」


 今度は俺に向けられる、確信めいた表情。


「はあ? なに言ってるんですか。意味わかんないよ」


 とぼけながら言い返し、怪訝そうな表情を作って適当に誤魔化しつつも、俺は、頭の中にいる子供二人へ確認を急いだ。

 

「ノア、ルナ! この男、確か……」

「うん。警備員がスマホで撮影した監視カメラの映像を、見たって言ってた男だよ」


 ルナが回答する。続いてノアが、


「この男は、中原たっちゃんが家を出てから遊園地内を移動する間に至るまで、常に半径一〇〇メートル以内に居続けた。複数の監視カメラが捉えていたんだ。さっき言おうとしたんだけど……」

「そういうことは押し切ってでも言えよ、バカ!」

「大事なところだって言ったじゃないか、ドアホ!」


 くそっ……尾行されていた!

 しかし、どうして?


「ノア。中原は、波動との戦いが終わってから今まで、一度も変身していないはずなんだ。なのに、なんでだ?」

「尾行の対象はオオカミ男ではなく、『人間の中原達也』のほうだったということになるな」

「そんな……。でも、どうしてバレたんだよ?」 

「どうやら、こいつが見たスマホ映像には、オオカミ男に変化へんげするところまで映っていた……ってことだろう」


 その上で、俺と飲んでいたあの居酒屋で中原の顔を見て、同一人物だと疑った……か。

 

 中原に突っかかるこの男をあしらいながらも、俺は可能な限りポーカーフェイスを装ってベストな対応を考えた。

 その結果、「けむに巻いて逃げるしかない!」という結論に達する。


 俺は、行動方針を固めてその男を睨んだ。


「これ以上よくわからないことをおっしゃるようでしたら、警察を呼びますよ。では、これで失礼します。おい、行くぞ」

「あっ、ちょっと……だめだ、待ちなさい!」


 立ち去ろうとする俺たちを、男は執拗に追いすがってくる。

 その声は、全く周りの目を気にしていない音量だった。俺たちの周囲にいた他の一般客たちが、それに気付いてこちらを向く。

 

「人が死んでるんだ! 現場のビルは地下鉄駅の構内まで続く大穴が開けられて、駅では死体が見つかった! きっとそのオオカミ男に違いないんだ。あんただろう、国の指示でやってるのか? そうだろ!」


 男は、俺たちが制御する余地もないほどに、わずかな時間でどんどんヒートアップした。


「それに、警備員を一人、焼き殺したな! 奴は俺の知り合いだった。口を封じたつもりかもしれないが、俺は、そうはいかんぞっ」

「なにわけのわかんないこと言ってんすか! 俺は関係ないっすよっ」 

 

 パシャ! と音が鳴る。

 男は、反論する中原のことを、スマホで無断撮影した。


「おい……! あんた、いい加減にしろよ」

 

 さすがに頭にきたらしい中原が、凄みを利かせて男に詰め寄る。目を紅蓮に光らせた体格の良い中原は、さすがの威圧感を称えていた。


「わかってるんだ! お前なんだ! おおやけにしてやる! お前の存在を……」

「何を言ってんだ! 消せ、この……」

「あ、待て! 殺すのか? そんなことをすれば……」


 中原が男の胸ぐらを掴み、二人は揉み合いになる。


 最初は、エリートの雰囲気を纏った、至極まともな印象だった。

 だが、事が進むにつれて、きちんとした社会人っぽさというべきものが急速に消え去っていた事実にうすうす気付きながら、俺はそれを重要視できていなかった。


 その結果……


「あ……?」


 中原の腹部に、何か、持ち手のようなものが見える。

 あまりにも非現実的な光景ゆえに、それがナイフの柄だとわかるのに、数秒を要した。


「……いっつ……」


 呻き、ひざまづく中原を前に、男はヘラヘラと笑いながら、中原に刺さったナイフから手を離して後ずさる。


 辺り一帯に響いたさやの絶叫。

 反射的に動いた俺は、すぐさま男を押し倒し、取り押さえた。


「ミー、パーク職員を呼べ! 救急車だ! それと警察……」

 

 さやは口に手を当てて青ざめていたが、ミーはすぐさまうなずいて、片手を耳の辺りに触れたまま口をぱくぱくさせていた。おそらく、ゼウスを使って緊急通報しているのだろう。

 俺は、ミーの行動を確認した後、中原に目を向ける。


 腹からは大量に出血していた。

 仰向けで、刺さったナイフに手を当てたまま、顔中から汗が滲み出ていた。


「今、救急車を呼んでる! しっかりしろよ、中原!」


 バカな。

 なんで、急にこんなことに?

 

 目の前で起こったことが未だ飲み込めずに、頭の中はどこか呆然としたまま、次第に周りの客のざわめきと叫び声が増えていくのを感じる。


 俺の下からは、イヒヒヒヒ、という気味の悪い小さな笑い声と、ブツブツと念じるように発された男の言葉。

 

 倒れた中原は、喋ることもできず、焦点の定まらない目をゆっくりとウロウロさせていた。腹の辺りを中心として、地面に血溜まりが広がっていく。

 

 誰か。

 早く。救急隊……

 中原が、死んじまう。


 祈ることしかできなかった。強く目を閉じ、男を抑える手に力が入る。

 

 こいつ……こいつが。こいつのせいで!


 男の腕を力いっぱいに掴む。この場に似合わないニヤニヤ顔をぐちゃぐちゃに潰してやるつもりで、俺は真上から男を睨みつけた。



 と……



 沸騰した感情で薄れる俺の視界の端に、歩く人の足が見える。

 周囲の人々は、俺たちから距離をとって遠巻きに見ていたはずだ。こんな近くに誰かいるはずはなかった。

 だから、俺はパーク職員が来たのかと思い、顔を上げる。


 そこには、一人の少女がいた。


 少女は、中原のほうへ真っ直ぐに歩いていたのだ。彼女は中原のすぐ前まで来て、スッとしゃがんで──


「ちょっと見せてね」

「あっ、ちょっと……」


 俺がそう言うのも聞かず、その少女──ブレザーの制服を着た、おそらく女子高生くらいの、ピンク色でセミロングの髪をした女の子は、中原の様子を見守る俺に背を向けた状態で、中原に覆い被さるようにかがむ。


 何をやっているのか理解できなかった。


 しばらくすると、その女の子は、うろたえる俺の目の前で不意にガバッと起き上がる。

 なんだ? と思う間もなく、首だけくるっと俺のほうを向き、よくわからないセリフを一言発した。


「なんか、大したことないみたい。ほれ」


 警備員とパーク職員が駆けつける。

 俺は、まだブツブツと意味不明な呪文を唱える男を、乱暴に警備員へ押し付けた。


 直後、急いで中原のそばへ。俺は、ナイフが刺さっていたはずの腹部を覗き込む。

 服は血液で真っ赤に染まっていたものの、女の子が中原の服をめくりあげ、腹に付着していた血だまりを手で払うと──


 その女の子の言う通り、中原の腹部には、なんの傷も見られなかった。

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