第二章
仲間たちも
一錠を超えて服用すると命を落とすという魔薬・ヒュプノスを使って「不眠症の沼」から脱出した俺は、ようやく出社できる体調を整えた。
今日は雨が降っていて、建築現場の作業は全て停止。だから、俺は現場へは直行せず、会社への出勤なのだ。
うちの事務所は、学校の教室が三個くらい横並びに引っ付いたような細長い形で、三〇名くらいの社員が働いている。ちなみに、俺の自席は、この事務所の出入り口から見ると一番奥のほうだ。
一〇名いる女性社員のうち、俺の所属する部署には、昨日俺に電話をかけてきた例の小生意気な後輩女性社員、ミーがいる。
そのミーが出社し、俺の右隣にある自席のところまで来て俺に挨拶をした。
「っすー」
「ざぁす……」
俺はキレイに二度見した。
ミーの瞳が、真っ赤に染まっていたのだ。
カラコンとかそういうのじゃなくて、完全に赤く「光っている」。ライトのように煌々と光っているのではないが、内部に光源があるのは明白な程度に。
近付いてじっと観察してみると、瞳の紋様……「
「え……な、何? 何っ?」
ミーは、目をぱちくりさせながら、顔を赤くしてあたふたする。その拍子に、黒髪のポニーテールがプイッと跳ねた。
「おま、その目……」
「え? あ、……目って、ゼウスにログインしとる時になるやつか?」
人差し指で自分の目を指さしながら言う。
「えー? 知らんかったん? 『生ける金属』とかいうやつが移植されとるんは、脳だけやないで。瞳にも移植するって、手術前に言うてたやろ」
よく考えれば、確かにそんなこと言ってたような気が。それに、術後に何やら目薬も渡された。でも、瞳の色が変わるなんて、誰にも説明された記憶はない。俺が聞き逃したのだろうか。
というか、そもそも取説には、そのくらいのことは記載しておくべきだろう。俺が確認した限り、取説にはほとんど何も書かれていないに等しかった。書かれていたことはただ一つ、
全ては「思うこと」によって動き出す
の一言。
だから、取説に書いていないことを知っていたミーへ、俺は懐疑の念を抱いた。
「お前、なんでそんなこと知ってんの?」
「決まっとるやろ、ゼウスに聞くんや。なんでも答えてくれるで」
得意げに、人差し指を立てて言う。
「そっちこそ、発注忘れの王様が、ゼウスを仕事に使わんでどないすんねん。さっさとログインしいや!」
「言われなくても、そのつもりだよ」
キレイな丸顔の中に収まったバランスの良い目鼻立ち。別に美人というほどじゃないと俺は思うが、悪くもない。……まあ、どちらかというと良い方なのかもしれないし、断じてかわいくないとは思ってない。
が、いつものように半目で俺をおちょくってくるこいつの顔は、例外なく子憎たらしい表情をしているのだ。
「めっちゃめちゃ雨降っとんなぁ今日。そやから現場も止まっとるし、外に行かんでええから、そんなふうに朝イチからゆったりと缶コーヒーが飲めるわけやし。嬉しいやろ? 現場動いとると、チョンボばっかやもんなぁ、ネムちゃんは」
「うるさいよ。あのなぁ、いつもいつもお前は、先輩に対する礼儀というものがなってねえぞ」
「慕われとる証拠やって、気にすんなや」
「……ああ、嬉しいよ。とっても」
俺は立ち上がってため息をつきつつ、俺と比べて頭一つ分は背がちっこいこいつの頭を、いつものようにポンポンしてやる。
するとミーはいつものように、無言で下からじっと睨み返してきた。
そこに中原が出勤してきた。こいつの机は俺の左隣だ。
「っすー」
「ざぁす……」
俺は本日二度目の二度見をする。
なんと、中原も瞳が赤色に光っていたのだ。
ガテン系で短い髪、高校・大学とアメフトをやっていたせいか、体型もゴツく背も高いこいつが瞳を赤く光らせると俺たちとは迫力が桁違いで、何やらアニメのラスボスを彷彿させる感が。
「お前も、仕事にゼウスを使おうって口か?」
「はあ。それ以外にどうするんすか?」
バカを見る目で見やがって。
ったく、この後輩どもはどいつもこいつも……。
「はいはい、俺がバカですよ、俺だって仕事に使うために手術したんだよ、今日はまだログインしてなかっただけだよ、……」
「はいはい、文句言ってないで早くログインしてください。みんなで、これで仕事しましょ」
難なく俺をあしらって席につく中原。
中原にとっては、ゼウスのことも、ミーとの距離を縮める貴重なチャンスなんだろう。だから俺は、とりあえず黙ってこいつの言うとおりにしてやることにした。
ゼウスよ、起動しろ!
と、心の中だけで叫んだのと同じくして、俺の頭の中に例のゼウス・ロゴが浮かぶ。
それが消えると同時に、仮想空間──例の「子供部屋」が鮮やかに広がっていく。
そこには、ノアが一人で立っていた。
まるで積年の恨みを募らせたかのような表情のノア。
幼く柔らかそうな肌のあちこちにシワが寄って、上目遣いに俺をにらむ目は、一目で怒っているのがわかる。このアバターは、作りのキメ細やかさがまるで実物の人間を思わせるほどにリアリティに溢れていた。
「おい。てめえ、ルナに謝れ」
「はあ? いきなり何言ってんの?」
と返したものの、俺はノアが言わんとすることに見当がついていた。昨日ルナは、俺が強く当たったせいで、顔を真っ赤にして怒りながら消えてしまったのだから。
早くゼウスを使える状態にしたいが、どうもこいつらがそれを許してくれそうにない。まずは話をする必要があるようだった。
俺は、口を使うことなく「思うこと」によって、俺の意識の中にだけ存在するノアと会話する。
「ルナは泣いてた。ちゃんと謝れ」
静かに、怒りを我慢するように言葉を吐き出すノア。
ゼウスにログインした俺たちと同じように瞳は紅蓮の光に灯され、それがより一層、怒りのイメージを強くする。マジで怒っているのは紛れもない。
俺が先にディスられたのに?
はあ、とため息が出る。意識の中だけじゃなく、現実の身体がきちんとため息を吐き出した。
「どうしたん? なにボケッとしとんねや」
現実世界で俺に話しかけるミー。外からの声か、頭の中だけの声か、一瞬わからなくなった。
「いや、ちょっと待ってくれ。トラブル発生で」
はあ? と言うミーを、俺は手を挙げて制止し、ノアへ意識を向ける。
「わかったよ。ルナを呼んでくれ」
俺がノアへ要求した直後、旋回する綺麗な光が子供部屋の中央に輝き、光の中心に人の姿が現れていく。
足から順に、光によってその場に物質化されたかのようだった。ルナは、完全再生されると光を消した。
俺の前に出たことで感情が昂ったのか、肩を震わせ、涙で揺らぐ紅い瞳からポロポロと雫を垂らす。
謎に責任を感じた俺は、とりあえず……
「ごめんな。泣いてたなんて知らなくて」
「うる、さい、ドー、テー」
嗚咽しながらなお悪態をつく可愛げのないAI。
「どうしたら、許してくれる?」
うんざりする気持ちを抑えて、できるだけ優しい声を取り繕う俺。
ノアが心配そうにルナを見守る。ルナは、しばらくひっく、ひっくと声を漏らしていたが、やがて要求を述べた。
「……大好きだって、言え」
ん?
なんだって? 散々俺に童貞童貞言っといて?
AIだろ所詮。なんなんだこれ?
……でも、子供設定のAIなんだよな。まあしょうがねえか……。
あまりにも人間臭いこいつらの態度に引きずられたのかもしれない。とりあえず俺は、本物の子供だと思って接してやることにした。
だから、気持ちを込めて、目をちゃんと見て……。
「怒鳴ったりしてごめん。大好きだよ、ルナ」
ルナは、目を大きく見開いて俺をじっと見つめたあと、下唇を出してプイッと向こうを向いた。
はあ。これで良かったのかよ。よくわからん。
しかし反応のリアルさが突き抜けている。つい「マジでこれAIか?」と思ってしまうのだ。
すると、ルナの横にいたノアが、モジモジし始める。
「なんだよ、どうした?」
「……なあ、僕は?」
「え?」
「僕のことは、どうなんだよ」
俺と目線を合わさずに、スネたような顔で言うノア。
なんだよ。こいつら、本当に、人間の子供みたいだ。
「ああ、お前のことも大好きさ、ノア」
「お前って言うな」
少し顔が赤くなって口元がニヤけたノアは、小さな声で言った。
◾️ ◾️ ◾️
昼になり、俺は、背の高い中原、背の低いミーの凸凹コンビと一緒に昼メシを食いに外へ出ることにした。
事務所を出る前に、同じフロアにいる別の部署の女性社員、俺の大好きな例の愛原さんに目線を送る。
昨日見た、美しい裸体。
彼女のことが一瞬目に入っただけで、昨日脳裏に焼き付けた身体が、鮮明に、俺の意識にフラッシュバックした。
なにか小っ恥ずかしくなってしまって、彼女の後ろ姿でさえまともに見ることができずチラチラと横目で眺めていると、愛原さんは、おもむろにこちらへ振り向いた。
目線が合ったわけではなかったが、俺は、彼女の顔が視界に入った瞬間、身体を乗り出す勢いで凝視することになった。
なんと、彼女の瞳が、綺麗な赤色に光っていたのだ!
ドクン! と暴れた鼓動を合図にして、高揚感がジリジリと心を加熱する。
一瞬たりとも目線を外せなくなり、俺はぼんやりとして立ち尽くす。ミーと中原が俺の顔のすぐ前で手を振って、放心状態となった俺の意識を回復させようと努力しているのがまるで気にならないほどに。
ガン!
「痛たっ!」
後頭部に衝撃。顔をしかめて舌打ちしながら振り返ると、そこには半目のミーが。
「お前、家帰ったらどうせゼウス使ってさやに似た女が出てる動画検索すんのやろ。あー、男ってほんま、しょうもない奴ばっかやわー」
「アホ、叩かなくてもいいじゃねえかイッテェな。お前と違って、愛原さんは美しいんだよ」
「はあ? イキって金髪ショートボブにしとるメガネザルが。本気出したあたしを知らんから舐めとんな! あたし、結構モテるしな! 見とけよ、いずれ吠え面かかしたる」
いつものように勝気なミー。だけど、いつもよりは、なんだか語気強めだ。
事務所を出て廊下を歩き始め、ミーの後ろ頭を眺めるうち、俺はどんどんムカついてきた。
俺が誰を好きになろうが勝手だろうが。
売られたケンカだ、買ってやろうじゃないか!
よーし……。
「ま、お前みたいなのが愛原さんに勝てるわけねえけどな」
「お前かって、さやから相手にされるような男ちゃうやろ。帰って動画見て一人寂しく慰めとき」
「へっ、どうせお前も理想の王子様を検索してんだろ、チビで丸顔で男勝りなおめえだって貰い手がねえもんな。だからって俺の女神様をひがむんじゃねえよ!」
ミーは立ち止まり、振り返って俺をキッと睨む。
「ひっ……」
すぐさま俺は
が、逃げ初めてほんの一秒くらいしか経っていないタイミングで首根っこを掴まれる。
「バスケでインターハイ行ったあたしに、ダッシュで敵うと思うとんか!」
「いやあ、だから太ももだって太っといしな。女として見れねえよ」
捨て台詞で俺はこう言ってやった。
俺は、ただ、俺にムカつくことを言うこいつに、ちょっとだけ言い返してやりたかっただけだった。
なのに、こいつは、俺の想定したのとはまるで違う態度をとった。
掴んでいた俺の服をゆっくり離す。
下唇を噛んで、潤んだ目になって、こぶしをぎゅっと握る。
俺は言葉を出せなくなった。ミーはすぐに目線を切り、一人、廊下を歩いていった。
「センパイ……」
俺の肩に、ゴツい手がポンと置かれる。
頬にとてつもない衝撃が走ったかと思うと身体ごと吹っ飛ばされ、気が付くと俺は床に倒れていた。
「言い過ぎです。俺の女神様に対して」
「……スミマセン」
恐ろしすぎる中原の眼光。俺は素直に謝った。
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