犯人

 さやに向こうへ行くよう指示してから、俺はその男の相手をする。

 かなり酔っているらしいこの男は、俺が何を言ったとしてもきっと覚えていないだろう。だから、俺は遠慮なく情報を聞き出すことにした。 


「あの、もしかして、国家公務員のお友達、いらっしゃいますか?」

「あぁあ……? いるけどぉ? いや、『いた』、かなぁ……」

「いた?」

「死んじゃったんだよう。つい最近……」

 

 死んだって? 

 だって、あの男、この前、中原のこと、刺したところだった。あのまま警察に連れて行かれて、どうなったかは知らないが……。


 俺が呆然としていると、男は続きを話し始める。


「あいつよう、俺と一緒にいたのによう。便所行くって言って。そんで、帰ってこなくてよう。見に行ったら。ああ。ああああ! 焼け死んじゃってよう! あいつ、俺に、やばいんだって言っててよう。自分もやばいって」


 その死に様は、もう何回か聞いたことのあるものだ。

 死んだ後に焼いたわけではないと。生きたまま、火炎放射器で……


「俺も、死ぬんだよう。ああ、きっとそうなんだよう」


 男は、しゃがみ込んで涙を流した。正気を失い、人の目を全く気にしない男の振る舞いに、周囲の人々もざわめき始める。

 さすがに目立ちすぎた。仕方がないので、かがみ込んで男の背中に手をやっていると、お得意先の同僚がやってきて、「大丈夫だからもう行っていい」と俺にジェスチャーで合図する。


「どう思うよ?」


 俺は、声に出さずに、意識の中にいるノアに尋ねた。


「言えない」

「……久しぶりに聞いたな、それ」


 つまり、「敵」の仕業。間違いなくグリムリーパーだ。

 なら、生きたまま焼いたというのも納得できるというものだ。俺が懸念した通り、あの二人のうち、一人は消されてしまったのだ。


 暗雲は、音もなく心の中に立ち込めていく。

 俺は、今度こそ忘れずに持ってきたヒュプノスを、ポケットの中で握りしめた。


      ◾️ ◾️ ◾️ 


 いくら暖かい季節になってきたといっても、ここは長野だ。季節的にもまだ真夏ではないから夜になると肌寒い。なので、この旅行には防寒着を持ってくるよう周知がされていた。

 バーベキューはまだまだ続く午後八時頃。それぞれが、それぞれの場所で思い思いに集まって飲んでいる。


「ねえ、ネム。一緒に星を見ようよっ! めっちゃキレイから!」


 男たちから引く手あまたのさやは、隙を見計らい、スッと寄ってきて、俺の手を引いて歩き出す。

 さやに誘われて二人一緒に別荘を離れ、見上げれば異常なほどに大量の星が見える草原の斜面に、二人して並んで寝っ転がった。


 天の川まで見える、真っ黒な天のボードに散りばめられた星々。

 生まれの地を離れてからは、こんな大自然に親しむ機会のなかった俺。久しぶりに満天の星を目の当たりにし、素直に感動してしまった。


「わあ、すごいな! すっげえキレイ」

「でしょ? わたしもさっき気付いてさ! 一番に、ネムに知らせたかったの」


 その一言が、俺の理性を守る壁に風穴を開ける。


 二人とも酒が入っていて、しかも二人っきりで、もう少しで肩が触れ合うくらいの位置で、並んで寝っ転がっているわけで。

 ちょっと横を向けば、互いに至近距離で向かい合う位置。


 俺はミーから言われたことを思い出す。

 

「同じ部屋で二人っきりにならないで」


 ミーはそう言った。

 俺は、それは全くもって守っている。

 なぜなら、ここは草原であって、部屋じゃないから……。


 もう無理だ。さやのことを見たい。

 

 耐えられずに俺が顔を横に向けると、さやは、すでに身体ごとこちらを向いていて……。


 理性が消え去り、記憶が曖昧になる境目は、いったいどこだったか。

 星の光だけが微風に揺らされる草原を照らす中、じっと目が合い続ける無言の時間。


 すでに一度、さやとはキスをしている。

 あの時は、ジェットコースターの順番待ちの列だったから。

 でも、そんな場所であるにもかかわらず、さやは、してきた。


 じゃあ、ここでは? 


 時間のことも、周りの目も、どこまでするかも。

 真剣に考えるとかどうとか。

 選ぶのがどうとか。

 そんなものは、目の前にいるさやの存在が全て吹き飛ばした。

 それは、もう、意志の問題ではなかった。

 

 冷たくなったさやの手に触れる。


「冷たい」

「ん……」


 温めてあげたい。

 そう思って握りしめる。

 


 と……

 


 ああああ、という低い音。

 あまり聞いたことのない音だった。だが、何か背筋を凍らせるような……。


 目を見開いた俺は、今現在もさやと目が合ってはいるが、すでにそれは「顔を見合わせる」というのが相応ふさわしかった。


 一刻をおいて、再度、その「音」が聞こえる。

 その時には、それが何か、すぐにわかるものだった。


「うわああああ!」


 俺たちは、ガバッと上半身を起こす。


 別荘のほうだ。

 同時に、ノアとルナが俺の頭の中で、いつになく声を荒げて警告する。


「「ネム! 気をつけろ!」」


 俺とさやは、こんな時だったが、手を握ったまま走っていた。

 別荘で何かが起こったのだろうとは思ったが、俺は、まだ頭の中の半分くらいは、彼女のことを考えていたのだ。

 が、別荘に着いて以降、俺の頭はさや以外のことで完全に占められた。

 

「誰か、救急車を!」

「火を消せ! 消防だ!」

「警察を呼べ!」


 怒号が飛び交う中、俺は、さやへここで待っているように言い、人だかりのほうへ向かう。


 現実に起こるかもしれないと、わかっていたはずだった。

 しかし、それがまさかこの旅行中だとは考えていなかった。目の前で見せつけられると、全くもって現実感のないものだった。



 今のところ、辛うじて人だとわかる程度に焼かれている人間……

 今もなお、炎に包まれ燃え続けている。



 鼻をつくツーンとした刺激臭が辺り一帯にまとわりつく。

 人間と思われる物体とともに、その後ろの壁に火が燃え移っていた。男たちが消火器を持ってきて初期消火を試みているところだ。俺は、片手で鼻を覆いながら後ずさる。


「どうしたの? なに、このにおい」

「ダメだ! こっちに来ちゃ」


 さやが寄ってきてしまったので、俺は彼女を押し下げた。

 同じくして、ノアが俺へと伝達する。

 

「ネム。お前が望むなら、教えてやれることがある」

「なんだ?」

「街の防犯カメラで……たぶん、見つけた」

「…………よし」


 俺は中原を探す。

 奴は初期消火をしている男たちに混じって、最前線にいた。

 

「中原!」

「あっ、センパイ! 大変っす、これ……」


 この時点から、俺はゼウスで中原に話しかける。


「ノアとルナが、敵を見つけた。戦うかもしれない」

「……わかりました」

「酔いは大丈夫かよ?」


 昼にはベロンベロンだったこいつは、どうやらそれから寝たらしく、当然今もシラフとまではいかないものの、かなり回復しているようだった。

 さやには事情を説明できない。俺たちは、黙ってその場を離れることにした。

 


 ゼウス・システムが俺たちの頭の中にリアルな立体地図を表示して、俺の目で見た視界の中で架空の矢印が「敵」の位置を指し示す。その方向を見ると、街の方向の上空に「目的地」のアイコンが浮かんでいた。 

 防犯カメラによって取得した情報からノアが地図上へ示した敵の位置は、温泉街のほう。敵は街の中心地へ向かっているようだった。俺たちは、人っこひとりいない温泉街の道路を駆けていく。


 しかし、これだと追いつけるか微妙な気がした。なので、俺はノアとルナへ調査を指示する。


「おい! 俺たちがいるこの周辺に、防犯カメラはあるか?」

「大丈夫だ。中原たっちゃんが変身しても問題ない」


 俺の思考を理解して正確に回答するノア。同時に、

 


 ガウッ



 獰猛どうもうな動物の鳴き声が聞こえたかと思うと、


「センパイ! 乗ってください!」


 ガラガラの低い声で俺へ指示するオオカミ男。中原が変化へんげしていたのだ。俺はこいつの背中から抱きついて乗っかった。


 明らかに自動車よりも速い速度で、中原は風のように走る。正面からの風圧で目が開けられない俺は、目的地への移動は完全に中原へ任せた。

 頭の中にある地図を確認すると、目標はもう、すぐそこにあるはずだ。


「もうすぐだ。速度からして、きっと敵はこの道路を、俺たちと同じ方向へ走ってる」

「センパイはそこら辺に隠れてください。俺は、この状態になりさえすれば、変身前の正体はバレませんから」


 中原は、俺を温泉街の脇道へ下ろした。


 ゼウス上で「友達」となったユーザー同士の視覚映像・聴覚情報は、当人の「承認」さえあれば神の力など無くとも共有することができる。これは、ゼウスの通常機能だった。

 中原に「承認」させたと同時に、俺の頭の中には例の仮想映画館が出現する。まるで風のように俺から離れていく中原自身の視覚映像へ、俺は意識を移した。

 

 冷たい風が頬を撫でる、少ない街灯に照らされたおもむきのある暗い街並みの中、やがて正面の薄暗い空間に一人の人影が浮かび上がる。

 地図が示す敵の位置と、現実に見えるその人物の位置は、地図上における座標が完全に一致していた。加えてその人物の頭上には「目的地」のアイコンが表示されており、間違うことなどあり得ない。


 その人物は、俺たちの気配に気付いたのか、ピタッと立ち止まる。

 

「そのまま動くなよ」


 中原の警告を受け、その人物は少し上を見るような動作をしてから、ゆっくりとこちらへ振り向く。


 見慣れた姿なのにもかかわらず、脳は直ちに現状を認識してはくれなかった。

 

 このタイミングで出会うことなど、全くもって現実感のない人物。

 さびれた照明灯が照らし出す、美しい人影。


 そこにいたのは、田中さんだった。

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