第四章
久しぶりの休日
いつも通りに自分の部屋で目が覚める……ということが、いかに幸せなことか心底実感したのは恐らくこれが初めてだろう。命懸けの戦いを生き延びた悦びを、いつもの殺風景な天井を見ながら噛み締める。
ベッドの上で上半身を起こした俺は、自分の部屋を見渡した。
床は足の踏み場もないほどに服や本やゴミを入れたコンビニ袋が置かれ、部屋の中央にある背の低いテーブル上に置かれた無数のペットボトルはゾンビでも現れそうな墓場を連想させる。
一見すると散らかり放題に見える俺の部屋ではあるが、全ては計算しつくされた配置となっていた。動かなくても取れる位置に必要なものがあり、すぐさま捨てなくても良いものはそのまま放置されているだけなのだから、これは完璧な合理性に基づいた理想状態なのだ。つまり、まあ言ってしまえばただ汚いだけであった。
波動に襲われてド平日に一時入院したことと、さやとの飲み会のために先送りした仕事のせいで、せっかくの土曜にもかかわらず今日の午前中は仕事だ。
が、憂鬱ではない。なぜなら、今夜には一大イベントが俺を待ち受けているからだ。
なんと、さやと飲みに行くのだ!
と言っても、前に俺がドタキャンしちゃった件の続きだ。だからあの目立たない大人しい子……田中さんも来る。
さやはあの日、俺に何度も連絡してくれたようなのだが、トラック内で気絶していた俺は一向に反応せず。
目を覚ました俺へ着信履歴を知らせるノアの前で、サアッと身体が冷たくなっていくのを感じながら、ああ、もう二度とこんなチャンスは訪れないだろうなと気落ちしていたのだが……
連絡も無しにドタキャンした俺を、なんとさやは、また誘ってくれたのだった。
それどころか、大丈夫だった? とか、調子が悪いなら家まで行こうか? とまで言ってくれた。飛び上がりそうに嬉しかったが、この完璧に計算し尽くされた合理的な部屋の状況がさすがの俺にも拒絶反応を起こさせた。仮に好かれていたとしても、一目で幻滅されるのがオチだ。
部屋の掃除なんて限りなく面倒くさいが、飲みに行くとなると、一次会の終了後、田中さんを帰らせておいて俺の部屋で続きを……なんてことがあるかも。「家まで行こうか?」とまで言ってくれているのだから、十分に可能性はある!
つまり、今後のことを考えると、千載一遇のチャンスを確実に活かすために、今すぐにでも全面的な部屋の掃除を始めなければならないのだが。
とりあえず、床に座ってタバコを吸う。いつものルーティーンを消化しない限り、俺は一歩たりとも先へは進めないのだ。
シュボ、とタバコに火を入れてからテレビをつける。そろそろ電子タバコにするべきかと迷いながらも俺は変えられずにいた。もちろん、日常的にストレスを解消する良い方法が見つからない俺は、今のところ禁煙など歯牙にもかけていない。
ちなみに付け加えておくと、前にも説明した通り、電話すらゼウスで掛かってくる俺は、今や常にゼウスにログインした状態なので、「テレビ」というのはあくまでテレビ番組のことを指していて、断じて部屋内でとっくに置物と化している物体のことではない。
配信される映像も音声も、全ては俺の意識の中にある映画館のようなスクリーンに映され、俺は頭の中だけで全てを堪能することが可能なのだ。
ただ、一つだけ、どうしても不満なことがある。それは、ゼウスの化身であるノアとルナは、ゼウスにログインしている俺の視覚映像・聴覚情報の全てをいつでも確認できるということだ。この事実を知らされた時、俺は、冗談ではなく本当に、戦慄で身体が震えた。
ゼウス・システムの起動と、ログイン──つまり本人認証は、同時に行われるらしい。
そして、ゼウスと完全遮断する手段を確保するため、ログアウトしさえすればゼウスとのありとあらゆる繋がりは断たれる仕様だ。当初この仕様は存在しなかったが、数多くの議員からの反対意見に押されて必須要件となったらしい。つまり、ログアウトしさえすれば、ノアとルナは俺の私生活など覗くことはできないのだ。
そんな仕組みなどつゆ知らず、俺はしばらくの間、ログアウトせずに普通に生活してしまった。
いつものようにルーティーンをこなす俺の私生活を、こいつらは全て見ていたのだ。それも、俺視点で。
ノアの話によると、予期せぬ場面にまともに直面してしまったルナは目を見開いて放心し、これ以降、ことあるごとに「心ここに在らず」の状態となることが頻発しているという。
「ルナが壊れちゃった! どうしてくれるんだ!」と、叫びながら涙目になるノア。
いやいや。泣きたいのは俺なんだが。
腹が減ったので、昨日コンビニで買っておいたカルビ丼を冷蔵庫から取り出してレンジへ入れた。
ブウウウン、というレンジの作動音を聞きながら、俺は妄想する。「起きている間にも『神の力』が使えればなあ」……と。
今、思いついたのは……
まず、デリバリー・フードサービスをオンラインで注文する。
俺の注文を配達する奴がどの位置から出発するかを確認し、俺の家までの経路にある信号を、こっそり青に変えていく! たとえゼウスにログインしているユーザーであっても、俺以外は誰もこんなことできやしないだろう。
うーん……なんか、やってることの割に、得られるものが小さすぎる気が。
世の中にはもっとエゲツナイ犯罪が山ほどあるのだ。デリバリーフードサービスにしても、決済システムを操作したり……いや、そもそも銀行のシステムを操作すれば大金が手に入るのでは。そう、俺は、もうそんなこともできちゃうのだ!
しかし……よくわからないが、うまくやらないと何かしらバレる気がする。なんだかうまくいかない気がする。
あーあ、と声に出し、タバコの火を消してベッドにもたれ、天井を見上げた。
もし俺がゼウスを使って犯罪を犯すとしたら、そんな知能犯的なものではなく、もっと本能に根ざした単純な犯罪に違いない。一発目からさやの部屋をのぞいている俺は、この低俗な方向に自分の狂気が伸びることを、今、最も危惧している。
その気になれば、神の力を行使する俺を止められる奴など一人もいない。だから、いくら高尚とはいえ俺の良心がいつまで猛獣のような本能や欲望を抑えられるか心配だ。
チーン、という音。なんかもう、何度もレンジのところへ行くのもだるい。
テーブルの上にある大量のペットボトルを床に移動させてカルビ丼を置くスペースを作り、頭の中で流されるテレビ番組のニュースに意識をやる。
通常、俺はテレビなんてただ流しているだけなので意識をやるなんてことはない。
だが、この時流されたニュースは、そんな俺の興味を引いた。
巨大地下都市の建設計画。
ニュースキャスターの話を聞く限り、単純に店舗系のテナントが入るだけじゃない。
住居、学校、病院、役所などインフラが整備され、有事の際には命と生活が保障される核シェルターを兼ねた、一つの市区町村が丸ごと入るほどの巨大地下都市の開発計画だ。
こんなものを開発しようと考える理由について、番組で話されていた。
外国からの核ミサイルの脅威が高まったからだとか、核保有国同士であるがゆえに保たれた戦略的均衡は、表面張力で辛うじてこぼれないコップの水と変わりないとか。だから、多少の状況変化でバランスを崩し、一瞬のうちに全てが無に帰すだろうとか……。
俺の脳は、ここら辺の会話をオートでスルーした。
今日の仕事をどう乗り切るかだけが生きるために大事なことだ。そして、夜な夜な新たなアニメを探索しながら、俺の心の琴線に触れる作品と出会えることを楽しみに……。
だから、ニュースキャスターと専門家たちの小難しい話など俺の脳に爪痕すら残さない。
地下というと、電灯だけが闇を照らす唯一の光という印象で、太陽光の当たらぬ空間で永続的に生活するなどまっぴらごめんと思われそうだ。
案の定、ニュース番組の中で街頭インタビューをされていた通行人の若い女性二人組は、
「えーっ? でも、地下って、なんか暗くないですかぁ?」
「そうだよねー。ジメジメしてそうだし、ちょっとね……」
と、顔を見合わせて
すると、ここでインタビュアーが二人に映像を見せる。
視聴者にも同時に流されたこの映像を見るに、噂の地下都市は、俺の想像を遥かに超えていそうだった。
海を模した海岸エリアの天井には、本物と見分けのつかない青空が広がっている。
さざなみが海岸へ押し寄せ、太陽の光はそのまま日焼けができそうなくらいリアルで、これが室内だとは到底思えないほどに作り込まれたビーチ。浜辺に寝っ転がる可愛い水着姿の女の子モデルたちの様子が、至極単純な男たちの移住意欲をかき立てそうだ。
映像は、次に居住エリアを映し出す。
そこには、都市部の街並みが広がっていた。
高層ビルがいくつも建っている。
数え切れないほどのマンション、商業ビルが見える。
事前に知らされずにこの映像を見れば、百人中が百人、間違いなく東京だと言うだろう。
「え──っ! マジ? これ地下なの?」
「すっごー! これだったら住んでも良いよね!」
インタビューを受けていた大学生くらいの女性たちは、目を丸くしてテンションを上げる。
番組を見る俺も、気づけば口をポカンと開けながら、その女の子たちと同じく心を踊らせていた。
地下にこれほどの世界が広がることなど、少し前には考えられなかったことだ。
核の危機から命を護り、夢のような生活が待っているかのような印象を与えるこの地下都市の名は「ルミナ・シティ」。
「地下」という場所から抱くイメージとは正反対のネーミング。おそらく、今回インタビューを受けたこの女性二人組みのような初期反応を、あらかじめ想定していたのだろうと思った。
カルビ丼を食べ終えた俺はトラックに乗って家を出発し、午前中の仕事をこなしながらも、魅惑の地下都市の情報をゼウスを使ってかき集め始めた。
移住するかどうかは別として、アミューズメントパークなども豊富に建設されるこの最新鋭の地下都市は、さやとのデートに最適だ!
もしかしたら、うまくいけば「二人で住もうか」なんて話になるかもしれない。そして俺たちは結ばれ、昼も夜も好きなようにへへへ、でへへへへへ……。
いつものように夢想しながら運転したせいで道路脇の植栽へ突っ込みそうになるのを、運よくたまたま回避し肝を冷やす。
頭の中では、いつものガキ二人組が、呆れた顔で腕を組んでいた。
「付き合ってすらないのに二人で住むことまで考え始めるなんて、まさにドーテー的発想としかいえないね」
「はあっ? なんでわかった!? 今、俺、『ルナに話しかける』って念じてなかったぞ! どうなってんだよ」
「キモい妄想が節々から漏れてんだよ、この単細胞!」
ルナはいつもの冷たい言葉で、妄想に浮かび上がる俺を地の底へ叩き落とした。
そして……ふと。
ゼウスを使ってネット情報を物色する俺の意識に、気になる一つの情報が舞い込んだ。
その情報の発信者曰く、「現在建設中の地下都市……『ルミナ・シティ』は、ただ住むだけの街などではない」という。
地下に広がる建物の全ては生ける金属「ネオ・ライム」で作られており、仮に地中貫通弾などによって装甲を破壊されてもすぐさま自動再生し復元する。それは建物というよりもはや「要塞」の
場合によっては地下でゆっくり移動するとか。
ネオ・ライムの影響で多少の形態は変化させることができるとか。
必要に応じて地対空ミサイルを自在に出すことができるとか。
政府の重要機関をそこへ移設することによって、有事の際には指揮・反撃能力の低下を最低限に抑えて首都機能を防衛できるとか……。
すなわち、目的は軍事利用。
その巨大生物要塞の正式名称は「ギガント・アーマー」だというのだ。
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