暗雲

 居酒屋から帰ってきた俺は、ベッドに寝転がりながら、盗み聞いた見知らぬ男たちの会話を頭の中で思い返していた。

 

 神経がピリピリし、居ても立ってもいられない。その感覚に耐えられずに俺は立ち上がり、部屋の中でウロウロし、またベッドに寝転がる。

 これの繰り返しだった。


 自分の家の中では、ずっと一人だ。もちろん一人暮らしなのだから当然。

 別に、「一人でいるのがイヤ」って言うほど、さみしがり屋なわけじゃない。自分の部屋にいる時くらい、一人でも全く問題はない性格だ。


 でも、今は、俺の頭の中には、二人の子供がいる。

 ノアとルナ。俺は、最近よく、悩んでいることを二人に相談していた。


「なあ。居酒屋でいたあの人たち。やっぱ、命を狙われちゃうのかな」

「かもね」

「冷たいよなあ、お前らは。やっぱAIだよな。人間の心がわかってねえっつうか……」

「じゃあ、どうしろっての?」

「そりゃあ……まあ、俺だって別に、ミーとか中原みたいに『困ってる人がいたら助けちゃう』ってタイプじゃないけどよ。放っとくと、きっと死んじゃうんだろ? 波動みたいな奴らに、狙われてさ」


 さすがに、そう考えると罪の意識が芽生えてくるのだ。


「俺たちは知ってる。あの人たちが、狙われてることを。それに、俺が一番気になってるのは、あの人たちが死ぬことより、別のことなんだ」


 あの夢……俺んちにミーとさやが来て、散々、吐くわ争うわ、と大変だったあの日に見た夢。

 眠りから覚めた瞬間にさやの誘惑が始まってすっかり忘れていたが。


 しかし、この件については、ノアとルナにこれ以上質問しても、こいつらは何も話せないだろう。

 田中さんはグリムリーパー……つまり「敵の仲間」であることはわかっているのだから。敵の情報を漏らせないようにシステム管理者から縛られたこいつら二人は、何も喋れないのだ。


「なあ。田中さんに、話をするべきかな」

「何を?」

「何をって。当然、彼女はアーティファクトなんだからよ。俺には、どうしてもあの子が、本心から国家の陰謀みたいなのに加担する人には見えないんだよな……」

  

 ノアは、ふうっ、っとため息をつく。


「性格と、陰謀に加担する人物かどうかは、因果関係が無いこともあるさ」

「なんでだよ? だって、敵の仲間になりたくないのに、仲間になるなんておかしいだろ」


 じっと俺を見つめるノア。

 遊んでいたおもちゃを床に置いて、俺のほうを向くルナ。 


「……お前はさ。どうしたいの?」

「夜だったし、はっきりと見えたわけじゃない。でも……」

「でも?」

「なんていうか……。思い詰めた顔、してたんだ。きっと、彼女は元々そんな明るい性格じゃないように思うけど。でも、だからってあんな顔、普通はしないと思う」

「だから?」

「お前さあ……。その言い方、なんか冷たくない?」


 俺はムカっとして、話の途中だったがノアに文句をつけてやった。


「気にすんな。要領を得ないから促しただけだ」

「……へいへい。つまり俺は、なんとかして田中さんを敵の組織から引き抜けないかと思ってる、ってことなんだけど。きっと、さやだって、こんなこと知ったらすごく悲しむ。俺は、さやの悲しむ顔を、もう見たくないんだ」

 

 マンションの一室で行われようとしたユウキ率いる男たちの所業と、男たちから必死で逃げるさやのことを思い出す。


 さやは、確かにちょっとぶりっ子なところがあるかもしれないが、俺は、さやを見ていて、少し考えを改めたところがあるのだ。


 美人は、全てにおいて得をしていると思っていた。


 あらゆる男から言い寄られ、チヤホヤされ、場合によっては貢がれ。

 人生なんてちょろい、俺たちと違って貴族なんだと、ずっと思ってた。


 でも、彼女だって酷い目に遭っている。

 今回はたまたまうまく逃げられたが、それでも、首を絞められて強引に叩きつけられたりした。もし逃げ切れていなければ、冗談でなく、下手をすれば死んでいたかもしれない。


 今までだって、いくつも酷い目に遭ってきたのかもしれない。

 彼女は、それを乗り越えて、今も頑張ってるのかもしれない。

  

 もちろん、本当のことは、俺になどわかるはずもない。

 ただ、今までずっと、自分の苦悩で精一杯だった。だから、人のことなんて考えてもいなかったのだ。


 人は、それぞれ苦悩を抱えて生きているのかもしれないと、俺は初めてそう考えていた。そしてそれは、外からは容易には見えない。

 

 さやが何を大事にして生きているか、俺は全くわかっていない。


 人並外れて可愛くて、どちらかというと明るくてモテるタイプ同士でつるむようなイメージを俺は勝手に持っていた。


 だけど、さやは田中さんと仲がいい。


 俺との飲み会にも、田中さんを連れてきた。

「俺と付き合うために飲みに誘った」ってだけなら、他に誰も連れてくる必要はなかったはず。

 

 なんとなく。たぶんとしか言えないが、きっと、さやは、俺に、親友を紹介したかったんだと思う。

 それに、これももしかするとだが、親友に、俺のことを鑑定して欲しかったのかもしれない。だって、さやはその直前、好きな男に騙され、危うく薬を飲まされてたくさんの男たちから乱暴されるところだったから。

 そういうことから考えると、田中さんは、さやにとって、信頼のおける本当に大切な親友なのだろう。


 だから、もし田中さんがこんな状況になっていると知ったら、さやは、自分の身もかえりみず、危険なことをしようとするように思うのだ。

 

「なんとかならないか?」


 ノアは、天井を見つめてしばらく考え……

 やがてその紅蓮に輝く両の瞳で、今は光っていない俺のアバターを強く見据えた。


「お前の正体を明かすのは危険だ」

「……田中さんが、俺を売るってのか?」


 俺は、ボリボリと頭を掻き、急速に溜まりつつあるものを抑えるために大きなため息を吐き出す。

 ノアは、あくまで冷静に、話を続けた。


「落ち着け、ネム。思い出すんだ。お前は、ゼウスにログインする中原たっちゃんの視覚映像を取得できるだろ?」

「ああ。……おい。ってことは」


 田中さんの視覚映像も、聴覚情報も、敵から常にモニタリングされている。


「…………」


 敵の情報を開示せずに俺と話すノアの言葉の先を、俺は心の中で補いながら理解する。


 敵はすでに、田中さんたちグリムリーパーとゼウスとの通信を、システム管理者の力で保護している。だから、波動の時のように、俺がそれを強制的に遮断することは、もうできないだろう。


 田中さんの前で具体的な話をすることは、波動を倒したのが俺たちであることを、敵にバラすことと同じ。バレれば、速攻で俺たちを殺しにくるだろう。あの波動みたいな奴らが、なんのためらいもなくだ。今度はきっと、さやも危険にさらされる。


 田中さんに、詳しい話をすることはできない。

 つまり……


「じゃあ、俺たちは今まで通り、田中さんと普通に接するしか、ないってのかよ?」

「基本的にはね」

「なんだよ『基本的には』って。もったいぶってる場合じゃないだろ! 教えろ、なんか方法があんならよ」


 二人のAIは、揃って立ったまま、いつものようにじっと俺を見つめる。

 俺の問いを受けるノアの瞳は、今までよりも強い光を発していた。


「この世でお前だけが持つ神の力……『エレクトロ・マスター』は、『思いの強さ』が強くなるほど、発揮される力の強さもどんどん上がっていく」

「はあ。……んで?」

「その力は、システム管理者の力すらねじ曲げる」


 ノアは、いたって真剣な顔のまま、俺の瞳をのぞき込み……。

 なにか確信めいた表情をして、こう言った。


「時機を待て。必ず『その時』はやってくる」 


      ◾️ ◾️ ◾️  


 記憶の海をかき回し、あの時の様子を思い浮かべる。


 月夜に羽ばたく謎の天使。そこにいた、田中さんの表情。今でも、明確に思い浮かべることができる。


 田中さんは「グリムリーパー」の一員。それはつまり、波動と同じ、ってことだ。

 

 彼女と一緒にいた天使は、すごい美人だった。スタイルだって抜群だ。

 だけど、こちらに恋心なんて抱かせる隙もなく、冷徹で、容赦のない表情だった。

 なんとなくその顔が、俺たちを襲ってきた波動と重なる。だとすると、あの天使もまた殺人者だ。


 ……田中さんも、誰かを殺しているのだろうか。


 俺がこうやって、ウダウダと考え事をしている最中かもしれない。

 明日、二人の女の子と、楽しくやってる間かもしれない。


 彼女は、人知れず、国の命令で、誰かを殺す。


 親友の行いをさやが知ったとき、いったいどんな気持ちになるだろう。それを考えると、俺は心も身体も、重くなってしまう。


 それに、もう一つ、気になることもできた。


 話をしている限り、ノアとルナは、グリムリーパーたちやシステム管理者のことを「敵」だと思っている節がある。

 

 ノアもルナも、ゼウス自身。つまり、どちらかというと、本来こいつらはその「敵」側の存在のはず。

 なのに、俺の味方をし、自分が本来、所属するはずの「敵」と対立しようとしている。


 このことに関しても、きっと質問しても「言えない」と言われてしまうだろう。

 

 田中さんのことも。こいつらのことも。

 考えれば考えるほど、モヤモヤとした何かが、どこにも抜けて行かずに俺の胸のなかで渦巻いてしまうのだ。

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