「ネムネム。ちょっと話があるんだ」


 もう少ししたらビリヤードを終えて、さやとの待ち合わせの店へ向かおうかという俺の頭の中で、ルナがいやに真剣な声を出す。

 俺は嫌な予感がした。こいつがこんなふうに話しかけるなんてろくな内容じゃない気がしたのだ。だから、まず俺は軽くあしらうことにした。


「んだよ。ぬいぐるみでも破れたか?」

「バカ。お前はほんと単細胞だな」


 こいつらの失礼な物言いに俺はもう慣れてきていた。小学生だから仕方がない、と自分に言い聞かせてこいつの態度はサラっと流す。


「へいへい。そんで? 話って何?」

「その前に、ゼウスに命じて欲しいの」

「はあ。何を?」

「ネムたちが行うゼウスの通信内容を保護し、誰も遮断できないようにしろ、って」

「意味不明だアホ。ちゃんと説明しろって」

「いいから早く! ふざけてる場合じゃないんだから」


 どうしてこんなにせっつくのか。

 だいたい、普段からふざけてるから肝心な時に人にも信用されないのである。オオカミ少年の話でもしてやろうかと思ったが、こいつらはこの世の全ての情報を統括するゼウスの化身であることを思い出して、言うのをやめた。


「でもよ。俺、起きたまんまじゃ、命令できない──」

「今から寝て」

「はあっ? バカ、いきなり何言って──」

「早く! 命にかかわるんだ」

「ええ〜〜……だって、今から俺、さやと飲みに行かないと……」


 半端ない眼光で俺を睨みつける二人の子供。

 こいつら、育ちが悪いな……親の顔が見てみたいわ! ってか、AIか。

 

「だいたいさあ……寝るって、どこで寝んだよ」

「トイレでいいだろ」

「……あのな。ここのトイレを何時間占領する気だ、常識で考えろ」

「『神の力』を使えば、一発でエネルギーを使い切って起きれるよ」

「……あ、そ」


 いつになく真剣な二人の眼差しに押し切られ、俺はトイレへこもることになってしまった。


 ヒュプノスを一錠取り出す。

 今、これを飲んじゃったら、今日の夜は飲めない。今夜眠れないじゃないか、どうしてくれるんだ!


 俺は心の中でブツブツ言いながら、トイレに入って魔薬を飲み込んだ。

 


 ────…………



 光る俺のアバターが、力の発現を俺に知らせる。


 今、俺のアバターがいるのは、いつもの仮想空間にある子供部屋ではなく、ミーと中原がビリヤードをするお店の中。


 俺が留守にしている間、美しいグラデーションを描いて紅色に光るこの子供部屋がどう見えているのかというと、俺の頭の中にある映画館の巨大スクリーンに映像として映されている。「自分がその場所に入り込む」ような感じではなく、ミーや中原の視界映像を見た時のような、スクリーンに映っている状態なのだ。


 ビリヤード場で眩いばかりに光り輝く俺のアバターは、やはりこの場にいる誰にも見えていないようだ。

 きっと幽霊ってこんな感じなんだろうな、と妙に納得しながら周りを見渡していると、俺の意識の中にいる子供二人の目は、「早く早く」と言っているのがありありと伝わるほど焦燥感溢れる様相。しょうがないから、俺は言う通りに命じてやった。


 えー、神の名において命ずる。

 俺、ミー、さや、中原が行うゼウスとの通信内容を保護し、誰にも遮断できないようにしろ!


 光る俺のアバターから光の柱が放出され、お店の天井に向かって飛んだかと思うとパアン、と弾けて溶けるように消えていった。これは、俺の「思い」が命令となり、ゼウスへと届けられたことを意味するのだ。


 二人の子供は、あからさまに肩の力を抜く。深くため息をつき、表情も緊張が緩んだようだった。

 ふと、お店の奥を見ると、俺が入っているトイレのドアをドンドンと叩く男が見える。


「おい! もういいのか? そろそろ出ないと……」

「もういいよ。なんでもいいから、『触れてないモード』でしか発動できない願いを言えばいいじゃん」


 吐き捨てるように言ったルナの態度は、お願いを聞いてくれた人に対する態度ではなかったので、俺はこう言った。


「……お前な。いつかお尻ペンペンの刑に処してやるからな」

「そんなことしたら、ミーちゃんとさやちゃんに、お前の『ルーティーン』映像を送りつけてやるから」

「はあっっっっ???? 録画してんの? なんで? どうして?」

「全ての映像は、基本、自動録画なんだよ! ってか、よくもあんなもの見せつけてくれたよね」

「お前が勝手に観たんだろ! 俺の傷ついた心を返せっ!」

「うんこ大将が一丁前に吠えんなぁっ!」


 不毛な争いを続ける間にも、トイレの前に渋滞ができ始める。

 しょうがない。ルナのことは放っといて、早く目を覚まさなければ。


 どうする? 何を願う?


 俺は、ビリヤードをするミーに目をとめる。


 そうだ! いいことを思いついた。よーし……。

 神の名において、命ずるっ!


 俺は、全精力を注ぎ込んだ。


 ミーはキューを持ち、上半身を前傾させて、お尻を突き出した状態で低く構える。俺のアバターは、その様子を、腕を組んで真後ろから眺めていた。


 形の良いお尻と、筋肉のついた太もも。


 バスケットをしていたこいつは、低い背をカバーするために、確かドリブルが得意なんだった。そういや、ダッシュでは誰にも負けない、って言ってたな。


 こいつの着ている服……えーと、なんだっけ、これ。

 そう、サロペット、だ。オーバーオールと間違えちゃうやつだ。

 本来なら身体のラインがぴっちり出るような服じゃないはずだが、この体勢が悪い……いや良いのか、後ろにいる俺には形がよくわかってしまうのだった。ふと気がつくと、今にもよだれが垂れそうな顔をして、俺のアバターと並んで同じところを凝視している中原。


 意思に反して生唾を飲み込んだ俺の前で、ミーが七番ボールに狙いをつける。


 迷いなく打ち出された白い手玉は、一直線に七番ボールに向かって行き──。

 七番ボールは、八番ボールに当たったかと思うとその進行方向を変え、九番ボールを弾き飛ばして見事にポケットした。


「わあああ! やったあああっ」


 ミーは両手をあげて、歓喜の声を上げながら嬉しそうに飛び跳ねる。

 ミーのお尻にしか意識が行ってなかった中原はショットの瞬間など見ていなかったはずだが、ミーの喜びようにハッとして、事態を把握したようだった。


「すごいっすね、ミミさん! 完敗です!」

「うーん、もう何やら勝手に身体が動いたわ! やっぱ、今日は神が降りとるで。ネムめ、あいつ何しとんねん! このあたしの勇姿を見逃しやがってっ」 

 

 俺のおかげとも知らずに大喜びのミー。

 いつものことだが、無邪気なその様子を見て、俺の気持ちは謎に温かくなる。


 そういや、こいつはいつもこうやってをさらけ出している。

 自分の気持ちに真っ直ぐで、彼氏も作らずアホみたいに俺なんかに絡んで。

 自分で言ってたとおり、そんなにモテないわけでもないだろうに。


 俺の視線は、ミーの笑顔が作る引力に吸い寄せられる。

 外したくても外せない。

 いや、どうやら外したいとも思っていないらしい自分に気づく。

 

 ミーは、手を伸ばせば、触(ふ)れられる距離にいる。

 俺のアバターは、現実世界の物体に、物理的に触れることができる。今の俺なら、気付かれることなく触れるだろう。

 女性としての魅力を維持したまま、よく発達したお尻と太もも。

 いったい、どんな感触だろう。

 


 ……触ってしまおうか?


 

 衝動的に身体を支配した欲望に気付き、俺はハッとした。


 バカな、何を考えてるんだ、と頭を振る俺の意識は、徐々に混濁していく。

 ようやくか、と思いながら、俺はその渦に身を任せた。

 


 ────…………



 気がつくとトイレの中。

 なんの因果でこんなところで寝ないといけないんだ! と一人ブツブツ文句を言いながら、とりあえずノアとルナにはキツく言ってやる! と心に決めた。 

 

 俺はトイレのドアを開ける。


 イライラしたおっさんと、もう限界が近い青年が、どちらが先に入るか交渉していた。俺は小さく頭を下げ、二人を横目にそそくさとトイレを離れる。

 俺たちのビリヤードテーブルのほうを見ると、ミーが目ざとく俺を見つけ、ぴょんぴょんしながら手を振っていた。


「お──っっ、ネム! あたし、すげえのブチかましたでっ!」

「ほお、中原に勝ったってのか?」

「当然っ! 時間的に次で最後やな! 絶対、コテンパンにしちゃる!」


 腕まくりしながら舌を出すミー。

 なぜか鼓動が昂ったまま、ミーのお尻に視線を固定しつつその勝負を受ける俺。


 そうだ。

 そんなことより、ノアとルナだ! 

 

 俺を強制的に寝かせようとした二人の子供へ、思い出したように問いかけた。


「おい、なんでこんなことさせたんだよっ! 説明してくれるんだろうな?」

 

 冗談のカケラも感じられない真剣な二人の顔。気圧された俺は、逆にノアから叱咤しったされる。


「あのなぁ。お前はこの前の波動との戦いで、危機感ってやつを抱かなかったのかよ? ほんと能天気だな」 

「う……まあ、要は、誰にもハッキングされないようにした、ってことか? でもよ、ゼウスが誇るセキュリティは、常に自動進化するから絶対に破れない、ってテレビでもさんざん言ってたぜ?」

「普通はな」


 ルナは、子供部屋にある王家のベッドに腰掛けながら言う。


「命を狙われるかもしれないんだ」

「……いや、誰の命がw」

「ネムネムと、たっちゃんが。いや、場合によっては、ミーちゃんも、さやちゃんも」

「……訳わかんねえけど」


 何やら俺たちの身の安全が危ぶまれているという突拍子もないルナの警告。


 大体からして、こんな真剣な顔でする話、ビリヤード中の俺にするもんじゃないだろと思いつつ、俺は薄暗いビリヤード場のテーブルに肩肘をついてコーヒーを口に含む。

 台では、ミーがルナよりも真剣な顔をしてキューを構えていた。


「今さっき、状況が変わったんだ。より強固なセキュリティで保護された」

「なに言ってんの? あまりにも訳わからんわ」

「うん。ごめん」


 ノアの態度とは対照的に、ルナがあまりにも素直に謝ったので、俺は驚いてしまった。こんなこいつは見たことがないから、きっと、真剣に話しているんだろう。


「……なあ。俺だってちゃんと話聞くからさ。もうちょっと、わかりやすく言ってよ」

「いろんなことが言えないの。だから、言えるところだけ言うね」

「…………」

「ネムネムたちの正体を示すものは全て、ルナたちが証拠を消している。あのビル内外や地下鉄駅に設置されてる防犯カメラの映像、位置情報、音声、ネムネムと中原の覚醒後の情報なんかだ。それに、ゼウスとの通信遮断もいいタイミングだった。だから、誰もネムネムたちの正体はわからないはずなんだ」

「お前ら、そんなこと勝手にやってたの。AIなのに、独断でそんなことできんの?」


 この後に及んで「お前」という単語に反応するノア。

 ルナはそこには引っかからずに話を先に進めた。


「ルナたちはゼウスの化身。ゼウスの自我なんだ。もちろん、自らの判断で動くことができる」


 まだ説明が続くのだろうと思って待っていると、なぜかここで言葉を止めるルナ。


「……だから?」

「ここからは言えない」

「は?」

「言えないことから考えて」

 

 ……いや無理だろ。

 

「ギリギリ言えるとすると……ずっと言ってるように、ルナたちはゼウスの化身なんだ。だから、いくらゼウスの全権を持っているとは言っても、システム管理者からの干渉を受ける」

「それで?」

「言えない」  

「…………」 

 

 ミスショットでプンスカ怒るミーが盛んに俺へ話しかけるので、手をあげてそれに応えながら丁寧にあしらいつつ、俺はキューを持って台上で構える。

 目線の先に白い手玉と目標とする二番ボールを見据えながらも、徐々に俺は真剣に、思考の底に沈み始めた。



 ルナは明らかに、何かを俺に伝えようとしている。

 でも、言えない、言えないの連発。

 この話をする前に、俺たちが行う通信内容を誰にも知られないようにする措置を先に取らせ……。



 言えない……言えなくされた?

 ゼウスの、「システム管理者」に?



 何を?



 俺は、赤く輝くルナの瞳にじっと見入る。

 俺の様子を見てとったルナは、ニヤッと口元を緩めた。


「命を狙われるって言ったよな。でも、俺たちの正体は、誰にもバレてねえんだろ?」

「今のところは、たぶんね」


 俺たちのことについてならルナは回答できる。

 試しに……


「さっき、誰にも追跡できないよう俺に命令させたな。誰から追跡されるってんだ?」

「言えない」


 ……そう。相手のこと。

 要は、相手の情報について、なんらかの強力な力で探索できなくされたのか。

 より強固なセキュリティ……きっと間違いないと思う。例えば、


「この前に戦った波動の所属組織と能力を、教えろ」

「言えない」


 敵のことを探索できないようにされたことだけは判明した。

 だが、なぜそうなったのか、だからなんなのか、俺にはよくわからなかった。 

 

「えーと……」

「大丈夫。たぶん、これでしばらくは」


 戸惑う俺に、ルナは笑顔を向けた。

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