エピローグ

『永遠の桜』

 栄華の舞台であった翠宮神社にはただ一つ美庭が残る。社殿はすべて取り壊されたが、現在は多くの観光客が庭に訪れてその風雅に心を傾ける。撤去すべきだという意見も多かったが、業平がどうしてもと残した。そこが彼らの愛した庭であったこと、キメラが想いを馳せた場所であること、世の人々はほとんどそれを知らない。


 人々が神社の統制から解放されて二年が過ぎようとしている。各地で活動をしていたレジスタンスもほとんどが翠宮神社の崩壊と共に解散して、今世を動かしているのは志高く決起した政治家とそれに同調した人々だ。人々が明け始めた改革の世に期待する物は大きく、業平もそれに応えるべく気持ちを引きしめ政治に臨んだ。改革を主導した元氏子という立場を受け入れる者もあればやはりそれに反発する者もまだ多い。


 けれど変わりゆく世界を見ていれば向かう世界が自ずと分かるだろう。力強く動き始めた蒸気機関、航空機、船舶、そしてそれに携わる人々の意思。鬱屈していた人々の心に希望の灯が灯り始める。今よりきっと良い世界になる。


 もう、恐ろしき処刑はない。キメラの脅威もない。夜の街にも人が徐々に戻り、商売する人や酔い歩く人々であふれた。そうして一日を満喫したあと、人々は安心するように眠る。夜が明ければ人々はまた希望とともに歩きだす。いずれ人々の記憶からは支配という言葉すら消えていく。かつてあった時代を想像して、与えられた平和に浸る時代がくる。それが幸せである何よりの証拠だ。




 サクヤは春空の下、懐かしき日々を思い出した。兄の仇を取らんと参加したレジスタンスで出会った人々。サクヤの青春を奉げた戦い。世界を変えるという大きな意思が自由の空へ羽ばたいた。ともに戦い抜けたことを誇りに思う。


「サクヤ」


 大学の友人が名を呼んだ。ふり返るサクヤの顔には春の野花のような笑顔があった。友人が持つソフトクリームを受け取ると二人で枝垂れ桜の立派な大樹を見上げながら食べた。


「キメラってのはさ、ある種の可哀そうな生き物だったんだろうな」


 友人の言葉にサクヤは疑問符を浮かべる、至ったことのない考えだった。


「人の意思によって凶器として生きることを運命づけられた存在。きっと自由何てなかったんだろうぜ」

「どうだろうね」


 サクヤはソフトクリームにかぶりつく。その答えを見つけることはもうサクヤにはできない。


「たった一人神社に歯向かったキメラがいたらしいぜ。そいつが国を変えたんだ」


 その言葉にサクヤは思いを巡らす。身を削るように孤高に戦い抜いた彼の魂を思うと切なかった。


「たぶん、変えたんじゃないよ」

「えっ?」

「変わらなきゃいけなかったんだ。国もわたしたちも」


 それを望んだのはレジスタンスとして世界に臨んだ自分たち。人々の願いが世界を変えた。そしてそこには抗いようのない大きな歴史の流れがあった。いいながらサクヤは空を見上げる。こうして見上げるのはずっと欲しかった世界だった。


「世の中変わったなあ。もうキメラも死んじまったな」


 友人の言葉にサクヤは首を振る。


「生きてるよ」

「えっ」

「きっと生きてる」


 そう彼は生きている。彼はこの世界のどこかでたった一人のキメラとして生きている。誰よりも世界の幸せを受け取らなけらばならない人だから。サクヤは懐かしくて少し憎らしい彼の背中を思い出した。




 あの戦いのあと、みなで帝を探し回り残存兵を捕らえてすべてが終わった時には八彩は美桜の遺体とともに姿を消していた。連絡する術もなくて懸命に探したけれど見つからなかった。その時の八彩がどんな心境だったかは正直サクヤにも分からない。戦いに勝利したけれど最も大切な者を失ってしまったのだから。


 サクヤの人生は長い。この先の人生はでもしかしたら奇跡的に出会うこともあるかもしれない。でも、気づいてもきっとこれまでのようには親しくしてくれないかもしれない。そう考えたところで少し可笑しくなる。サクヤと彼はそんなに親しくない。


 初めて会った時、何てぶっきら棒な人だと思った、そしてとても強い人だと思った、そしてとても繊細な人だと思った。知れば知るほど彼は魅力にあふれていた。そして彼の見せた不器用な優しさを思い出す。そんな時にふと思い描くのだ、彼は本当は優しい生き物ではないのだろうかと。でも、それはあくまでサクヤの勝手な想像だ。だからもう空に言葉を放つしかできない。


(八彩、あんたのおかげで私幸せだよ)


 サクヤは晴れ晴れとた顔で青空を見上げた。



       ◇



 桜並木の川縁の下で八彩は灰をそっとまいた。丁寧に惜しむように最後の一片にまで愛情を注ぐ。愛する妻との最後の別れを乗り越え自身は生きていく。悲しかったけれどもう寂しくはない。季節が巡り、桜が咲くたびに彼女を思い出せるから。桜の花びらが舞う。風に乗って優しい声が届いた。


「八彩さま」


 すべてを終えた今なら分かる。彼女の愛は慈愛だったのだと。命を慈しみ、すべての者に愛を注ぎ、そして自身もそれに救われた。だからもう自らの運命を嘆くのは止めようと思う。尽きるまで精一杯生きようと思う。


 不意に空をひゅるると鳴きながら鷹が横切った。どこへ向かうのだろう。そう考えて一人笑む。どこへ向かおうと彼の自由だ。誇り高き彼を縛りつけるものはもうないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

八彩[ヤイロ]ー神に生まれし者の宿命ー 奥森 蛍 @whiterabbits

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ