第45話 闘神

 白い景色の中に桜が散っていた。桜が見せるのは愛した美桜の優しさだ。とても心地よく救われる思いがする。自身を迎えにきたのだろうか。安らかな心に飛来するのは大切な仲間たちのこと。キメラの八彩を受け入れ、命を懸けてともに戦ってくれた者たち。できることなら守り抜きたかった。


 遠くに影が見える。七つの影が次第にくっきりと生き物を形作る。相対していたのは七体の神々。強き魂を持ち、彼らもまた自身のために戦ってくれた。魂が限界を迎えているのだ。自身はもう戦えない。戦う術がない。


「あまりに俺が弱かったせいでみなを巻きこんでしまった」


 視線の先にタカの神がいる。八彩の言葉をただ静かに聞いている。


「絶は強い。この地上に存在するどの命よりも」



——それは違う。



 タカが反論した。確かな意思をこめた凛とした声だった。



——お前はあいつより強い。強くなれる。なぜならお前の中に流れるヒトの血がお前に不屈の意思をもたらすからだ。



 八彩は静かに首を振る。


「絶はヒトの強さを否定した」


 その言葉にチーターが反論する。



——それは間違っている。ヒトの意思はどんな悪意にも優る最大の武器。ヒトは歴史上に訪れたどんな苦境もその意思の力で乗り越えてきた。自然の脅威、荒ぶる神の所業、どんなに自然が猛威を振るおうともヒトは抗うことを止めずここまで歩いてきた。



「だが、オレは絶に勝つことができなかった。傷一つ負わせられずにこの世を去る」



——まだ、負けていない。なぜなら生きているからだ。



 サメが静かに話す。



——力尽きるまで諦めないことが本当に強い者の美徳ではないか。



 八彩は拳を握る。わずかだが力が残っている。


「絶は付け入る隙がない」



——隙など見つけなくともよい。正面からその強さで討ち砕け。



 八彩は神々をみつめる。自身に味方してくれるたった七体の神。彼らが居ればどんな困難でも乗り越えられる気がした。



——絶は恐れているのだ。あらゆる生物の遺伝子を持ちながら、たった一つ手に入れられなかったヒトの遺伝子を。



——ヒトは強い。そしてお前は誰よりも強い。



——さあ、さらなる力を望め。まだ、折れる時ではない。



 八彩は決意のまま桜の花びらを踏みしめ、神の元へと歩み寄った。両端の神から順に一体ずつ八彩の体へと飛びこんでくる。神の姿は溶けるように八彩の体へと重なり大きな一塊の魂となった。朽ちた体に力が満ちてよりいっそう強大な神へと変化する。桜が吹き乱れ、八彩はそのなかで愛しき妻に別れを告げる。


「さよなら美桜。まだ、オレは戦える」




 八彩は不思議な心地で目を覚ました。体が果てているというのに苦しくない。むしろ力がみなぎりとても軽い。仲間たちが心配している様子だがその声がまるで耳に入ってこなかった。自身の力だけに意識が集中して、まとう感覚を具に確かめる。微かな記憶の中に神との融合を思い出した。すべてが一つになったあの偉大な感覚、夢の出来事だろうかと思ったと同時に体が突然胎動を始めた。


 心臓の音が鼓膜を震わすほど大きく波打ち、体に獣の文様が現れる。自身で望んだ成体変化ではなかった。いや、これは成体変化ではなく遥かに力強いもの。抑えきれぬ白炎が体から吹き出している。倒れていた神々を探したが既にその姿はなかった。代わりに自身の中で動き始めた神々の魂が心に呼びかける。




——不屈の魂を持って戦え。




 背がとても熱くなり破けそうな感覚が押し寄せたあと、芽吹くように翼が勢いよく生えた。


「翼が!」


 仲間たちの驚いた声がようやく飛びこんでくる。かつて失ったタカの翼がタカの神との融合により鮮やかに再生した。ずっと忘れていた間隔を取り戻すように羽を一つ動かす。風が起こり土埃が舞う。体のすべてが思い通りになる心地よい間隔を噛み締め立ち上がると、翼を力強く羽ばたかせて空へ舞い上がった。


『ほう、翼が生えたか。だが、それで絶大な実力の差が縮まったと思うか』


 絶の差し向けた神が八彩へと迫る。それを八彩は炎をまとった拳一つで撃ち抜いて、千切れるように神は消失した。その様子を絶は可笑しそうに見つめている。


『倒れている隙に何があったか知らんが、多少強くなったようだな』


 八彩は確かに、と心で呟く。おごりではなく、ただひたすら強いと自身でも認識している。


『だが』


 絶の言葉に反応して無数の神が一気に押し寄せた。宙を駆けながら八彩の元へと向かいくる。それに八彩は身一つで応じた。


 頭にある動作が百パーセント再現できる。さらに想像を越えて思考も追いつかぬほどの強靭な動きが生まれる。すべての神を薙ぎはらいながら八彩の心にあるのは自由への願いと人の魂だ。


「人々は遥か昔より神の存在を信じてきた。どんなに困難な時も神に祈り、いつか災厄が去る時を信じて時には大切な命も奉げ、それでも神を怨むことなくただひたすらに信じてきた」


 想いの力で戦い抜くことをかけがえのない仲間に学んだ。美桜に学んだ。押しこめていた理不尽への怒りが溢れる。


『我は神だ。神の意思とは私の意思。我の意思を勝手に語るな』

「お前はまやかしの神だ。人々の作り上げた虚像だ。真の神は救いをもたらす。大地に豊穣を恵み命を育み、そしてその世界を慈しむ」


 思いが迸った。羽をはばたかせ、取りまく神々を押し退ける。神と呼ばれていた自身の過去を思い出しながら導いた答え。自身は人々にとっての救いの神ではなかった。ただのキメラという悲しみの生き物だった。


『神はすべての生物の上に君臨する者。我こそが唯一神』

「オレもお前もキメラだ」


 八彩は最後の一体の神を討ち払った。そして大翼を広げ、絶を見据える。


「この世にキメラは必要ない。オレもお前も」




 身一つになった絶は八彩と向きあった。


『正直に述べよう。我は少しお前に期待したぞ』

「期待?」

『生まれて初めて全力で戦えるということだ』


 絶は言葉を猛らせ、閃光のスピードで空を駆けると強靭な力を振るった。まるで伝説の竜のように優美な姿だ。一撃で意識が吹き飛びそうになるほどの力に顔を歪める。失われた神々の力を差し引きしても絶は遥かに強い。自身が八の神であるならば、絶は百の神。到底抗いようのない力の差がある。それでも絶が持っていない物。八彩は攻撃を繰り出しながらタカの言葉を思い出す。



——なぜならお前の中に流れるヒトの血がお前に不屈の意思をもたらすからだ。



 困難な時に動物は諦める。でも、人は諦めない。その諦めない心が八彩を無限に強くする。八彩と絶はただひたすらに互いの体を激しくぶつけ合った。互いに防御する意思すら見せぬまま全力でぶつかる。


 空中に鳴り響く衝突の音。もう戦い抜くことができぬほど互いに傷つき、それでも争うことを止めなかった。激しく傷ついた体で血をにじませながら互いの矜持と信じる物のために戦う。ただ激しく、感情の奔流を渦巻かせながら強く。


 何度目かも分からぬ八彩の拳が絶を捕らえ、絶は地上にふり落とされた。絶は間髪いれず降り注ぐ八彩の渾身の一撃をかわすと反撃の拳をふり上げる。血で血を洗うような壮絶な戦いにベルゲンは為す術もつぶやく。


「戦神の戦いだ」


 手にした銃が無用のものであることを知っている。もう、手出しのできぬ次元なのだと。目の前にいる生き物は自身の知らないキメラだった。キメラは怒りを剥きだしに戦っている。傷つき倒れた八彩は再び戦う意思を見せると言葉の刃をふり上げた。


「地下室に籠りお前の知らなかった歴史を教えよう」


 八彩は言葉とともに渾身の力で拳を振るう。残る力をすべて出しきるように。


「虐げられることに反感を抱いた一部の人々は立ち上がり、レジスタンスという組織を作った。お前の弱いといった人間たちの組織だ。その彼らは今、命をかけて世界のために戦っている」


 世界各地で立ちあがった志高き人々の戦い。夜明けの鷹の呼びかけに応じて、種々の組織が神社を打倒すため尽力している。そして遥か遠くで共に戦う人々の祈りの声は八彩の耳に届いている。だから、尽きてもなお諦めることはできないのだ。八彩は絶の拳を握り潰して続ける。


「民を虐げ、利を貪り、湯水のように血を流すことを厭わぬ者たちの歴史は終わる。誰もが幸せになる権利を持って生まれるのだ。選ばれた一握りの者たちが支配する世などあってはならぬ。そして」


 八彩の最後のひとふりが想いと共に加速して絶の心臓を貫く。


「人は強い、どんなに困難が訪れようとも踏み潰されようとも立ちあがる。オレもお前も敵わないくらいに」


 八彩が拳を引き抜くと絶から血飛沫が上がる。苦しみの声を上げながら、ふり上げたツメはもはや八彩に届かなかった。つかみ損ねた八彩の顔を脳裏に焼きつける。やがて閉じゆく眼が追うのは決意を宿した紅い眼。ゆっくりとゆっくりと天命が尽きていく。百の魂を抱えた威神の最後の姿だった。



       ◇



 この日、国の各地でレジスタンスによる革命が起きた。神社組織は打ち倒されて、百年の栄華はようやく終わりを迎える。歓喜の声を上げた人々の中には、神社の支配により大切な身内や仲間を失った人々も多くいた。神社の消失とともに歴史上から姿を消したキメラという生き物の存在。その強さはいつかその歴史を目の当たりにした者たちが語り継ぐ。恐ろしきキメラを倒したのもまたキメラであったのだと。


 人は時に過ちを犯す。キメラ研究はその最たるものだった。科学力の発展しきった世界で人はその技術の行く末についてより注意深く検討しなければならない。できることをすべて成すことが未来の成功へとつながるとは限らないのだ。そして、そうした成功と過ちを繰り返しながら一歩一歩歩んでいくのが人なのだ。苦しみを知った分、人々は優しくなれる。


 願わくば後世の人の作る歴史が優しい世界になりますように。八彩は心で祈るとそっと目を閉じた。

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