第44話 最後の戦い 

 八彩は研究所のなかで静かに美桜との別れを惜しんでいた。死んだとは思えぬほど美しくて別れの心がまだ決まらない。どうしてもっと愛せなかったのだろう。どうしてもっと早く救えなかったのだろうと。十分すぎる思いは彼女に欠片も伝わらなかったのではないか。ふいに彼女の最期の言葉を思い出す。そして涙がこぼれた。


 ずっと泣くことを憚ってきた。涙を見せるのは弱さだと思った。でも、もういい。戦いは終わったのだ。どんなに強がっても彼女は戻ってこない。自身はこれから彼女のくれたかけがえのない『愛情』という名の贈り物を抱えて一人生きていく。


(どうしろというのだ)


 不意に寒気が走った。涙が乾くほどの威圧を感じた。体がまるで強制的に何かにひれ伏す。とてつもなく恐ろしい者が動き出している。八彩ですら畏怖するほどの気配だ。これでは仲間は敵うまい。八彩は涙をふくと美桜を惜しむように床に横たわらせた。拾い上げた打掛を丁寧にかける。


「美桜、ここにいてくれ。オレはもう少し戦わなければならない」


 胸で組ませた美桜の儚き手に触れる。一つ祈り決意すると立ち上がった。




 自身の感じたキメラの気配は本物だった。近づくとますますそれが強大な物であることに気づく。境内の中央区域で仲間たちが威圧で身を竦ませていた。八彩は駆けつけると天に浮かぶ者の正体を見つめた。


「八彩」


 ベルゲンの苦しそうな声に八彩は頷く。対面しただけでも瞬時に相手が自身以上の力量であることは分かった。


『お前がキメラか』


 八彩のまとうキメラの気配を感じて神が偉ぶり見下ろした。


「みなを解放しろ。お前の相手はオレがする」

『身の程をわきまえろ。お前に我の相手は務まらぬ』


 怒りに同調して威圧が増す。八彩ですらこれほど感じているのだから仲間たちは息がつまるほど苦しいだろう。


『実力も推しはかれぬようだから名乗ってやろう。我が名は『絶』。この世に誕生した最初のキメラだ』

「最初のキメラだと」

「プロトタイプキメラってこと」


 ベルゲンとサクヤが交互に睨みながら呟いた。


『今より二百余年前、力を求める一部の人間どもは子が親から生まれるという自然界の絶対的法則を無視しある計画を立てた。それがキメラプロジェクト。すべての始まりだ。キメラは遺伝子操作を施して生まれる合成生物。科学力の発展しきった社会で人は生物の良い特徴だけをかき集め、最強の生物である神を作り出そうと尽力した。その結果、誕生したのが我だ』

「二百年以上前のキメラだと」


 仲間が苦しげに吐き捨てる。


『ただ、人間どもはたった一つのあるミスを犯した』

「ミス?」

『かけあわせた遺伝子の中にヒトの遺伝子を組みこまなかった。ヒトの魂を持たぬキメラはいささかヒトの情というものに理解を示さぬ』


 絶は拳を握り締めた。威圧に押し潰されて、仲間の一人が叫びを上げて血を吐く。


『ゆえに残虐、ゆえにコントロールが利かぬ』


 ベルゲンの額を汗が伝う。汗は顔から滑り落ちて土に染みこんだ。


『我が力を恐れた人々は鎮魂のために翠宮神社の境内に神宿りの間という巨大な社を建立した。我を神社の地下へと隠し、その上で豪勢な政を行ってきた。勢力を拡大させた神社はやがて過去の研究記録から我の遺伝子情報を解析して、さらにヒトの意思を組みこみ、神社の命令に逆らわぬ種々のキメラを派生させた。いわば現存するすべてのキメラは我を始祖として劣等化させ真似た模造品だ』

「八彩もまたお前の遺伝子を真似た者だというのね」

『口の利き方に気をつけよ』


 激情に寒気がしてサクヤは体を抱くようにうずくまった。


「サクヤ!」


 八彩が声を上げる。八彩は苛立ったように腕を振るった。指先に祈りの力をこめる。白炎が静かに揺らぎ始める。


『お前は弱い。どうして弱いか分かるか』


 八彩の心には生まれて初めての焦りがあった。相手が強すぎる。


『お前はヒトだからだ』


 八彩は顔をしかめて神を呼んだ。



——漆の神。



 八彩の呼びかけに呼応して白炎から七体の神が出現した。


『ヒトの心は弱さだ。そして我はヒトではない。ゆえに情にほだされぬ』


 絶もまた緑炎を描いた。彼の中に存在するすべての神が彼に味方する。緑炎は無数に割れて、虚空に鳥獣戯画を描いた。


『百の神』


 自信たっぷりの表情で八彩を見下ろしている。数え切れぬほどの魂に支えられ絶は生きているのだ。圧倒的な力の差は逆らいようのない遺伝子が示すたった一つの真実。


『お前を殺すことはまるで赤子の首をひねるように容易い。死ぬか?』

「ベルゲンみんなをつれて逃げろ」


 八彩の声は明らかに焦っていた。


「馬鹿いうな。お前一人に……」

「時間を稼ぐしかできない。それともオレの命すら無駄にする気か」


 ベルゲンはグッと土をつかむように拳を握る。何もいうことができなかった。


『仲間のために命を捨てる覚悟、ヒトらしく無様だ。だが愉悦を覚える。我に一撃くれることができたならば褒美にそなたの名を覚えよう。記憶の片隅に置いてやっていい』



——八彩よ。さあ、願え。我らに望みを聞かせよ。



 ゴリラが両腕を打ち鳴らす。続いてサメが宙を泳ぎ、歯を剥き出しにする。


「創り物の神には屈しない。それがオレの意思だ」


 八彩の言葉に呼応するようにクマが空へ向けて走り出した。七体がクマに同調するように我続けと駆けていく。折れぬ強い意志をふりかざして、雄大に敵に向かう姿は立ち向かう八彩の心そのものだった。


 神々は奮迅した。白炎を振るいながら百の敵を相手に同等の戦いをした。剥き出しのツメに魂をこめて不屈の意思を宿して歯牙を振るい、剛腕で相対する敵に立ち向かって翼で白炎を煽り、そしていっせいに炎の波を起こして神々を貫いた。それでも相手は強かった。


 やがて七体の神々は八彩の足元に精根尽きたように果てた。絶が失笑する。


『脆弱な神であるな』


 残された八彩は紅い双眸で絶を睨みつけた。


「オレを守り尽きた者たちのため、オレは戦いぬく」


 どんなに気概を示そうとももう対抗する術は無い。残された八彩にできるのは諦めないことだけ。八彩は成体変化を遂げると最後の戦いを決心した。




 空を飛べぬ鳥は疾風を振るい、力の限り戦った。自身を救ってくれた七つの魂の敗北に報いるように。迫る百の神々を払いながら足場にして絶へと向かう。決死の跳躍で空へと突き進んでいく。それでも神へは届かない。


 陽光が絶に重なり、金環を描く。その神々しき姿を見て歯噛みする。自身もかつて神と呼ばれた。でも、それは弱き人が作り出した、ただの模造品でしかなかった。弱い人間の崇める、御すことのできる弱い神。世界に降臨する神が誇る強さは唯一無二のものだ。そうか、誰も届くことがないから目の前の生き物は神なのだ。神とは強くすべてに打ち勝たねばならない。そして、自分は。


『ヒトの心は弱さだ』


 絶の言葉が鮮やかに脳裏に蘇る。瞬間、絶の指から放たれた炎が八彩の心臓を貫いた。すべてが止まるように景色が流れゆく。体がふわりと舞って、ゆっくりと地上へ引き戻されていく。体が土の上でゆっくり弾んでもう一度弾み、そして背が土に触れた。


「八彩!」


 仲間たちが蒼白になり駆け寄る。八彩は目を見開いたまま死んだように意識を失った。


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