9章 絶

第43話 ゼロキメラ

 鷹が遠くの空に舞っていた。晴れ渡っていた空に薄雲がかかり始め、誰かの泣き顔のように悲しい。失われたキメラの命と残された人々の心の声が発露したような情感をともなっていた。


「終わったのだな、翠宮は」


 最上氏が脱力気味に縁側に腰掛けてぽつりと呟いた。


「もう続けたいとも思わないでしょう」


 栄明の言葉に無言の相槌が打たれる。生き残った人員はすべて本堂へと集められて、夜明けの鷹に囲まれている。反抗しようという意気地も成敗したいという頑強な意思も互いになかった。夜通し続いた幻楊の人狩りに神経が擦り切れて、恐怖におびえながらようやく朝を迎えた。レジスタンスの急襲はむしろ救われたようではないだろうか。もういい、全部いいという思いだった。


「雨が降るな」

「そういえば所長はどこに行かれたのだ」


 栄明が周囲を見渡した。そこに朝方までいた彼の姿はなかった。




「はあっはあっはあっ」


 所長は息を切らしながら一心不乱に地下への階段を下りる。頭中には一つの思いがあった。八彩が復讐に戻ってきた。彼を破れるのは、もはやアレのみ。今こそアレに頼らねばならぬ。


 禁殿の最下層に存在する『神の間』は翠宮神社の支配体制が確立した時に当時の帝が秘密裏に建設した格式高い部屋だった。そこには代々の帝がひた隠しにしてきた秘密がある。最下層まで走り抜いた所長は苦しさに体を曲げながら閉ざされた二重扉を見上げた。一つ目は木彫りの扉、二つ目は朱に彩られて金箔を施こした扉。その向こうに『神』がいる。


 いつもは両側から氏子が扉を開く。それを優雅に潜る帝の傍に侍るだけ。だが、今は一人。自身で重い扉を引くとわずかに開いた扉の間に身を滑りこませ奥へと進んだ。陽光が閉ざされた地下室にはいつでも太めの蝋燭と白檀の香が焚かれている。白檀の香りを吸いこんで暗闇に浮かび上がる神の玉座へと近づいた。


『どうした俗物よ』


 神は口で言葉を話さぬ。思念で直接所長の心に語りかける。身目恐ろしく、醸し出すのは偉大なる狂気。できることなら死ぬまで近づきたくはなかった。だが、今はもうそんなことに構っておられね。このような事態が起きた時のために代々それを飼ってきたのだ。所長はひざまずくと奏上を述べた。


「侵入者が現れました。このままでは。彼らを払うためにあなたさまのお力が必要です」

『あまり退屈なことに我を巻きこむな。人の戦いは人同士で決着をつければよかろう』

「キメラがすべて絶えました。彼はもうじきこの場所に迫ります」


 神はふふと地を這うような声で笑った。


『他が滅ぼうと我には関係ない。我は一人でも生きる』

「とても強いキメラがいます」

『ほう、それはどれほど強いのだ』


 神が少し興味深そうに尋ねる。


「もしかするとあなたさまの望みに敵うほど強いかもしれません」


 神は肩腹痛いと声を鳴らす。笑んでいるのだろうが人間離れした、いや生き物離れした顔からそれを読みとるのはもはや不可能だった。神は御しがたい生き物である。頼るのは一種の賭け、山間に渡された一本の綱の上を進んでいるような心地だった。


『相手が望みに敵わなければそなたの命で償うか』


 所長の額を汗が滑り落ちる。目に見えぬ威圧が心を押し潰す。


「私ごときの命であがなえる怒りならばそれで構いませぬ」


 所長はすべてを諦めるように頭を垂れた。



       ◇



「八彩……」


 ベルゲンがサクヤの腕を黙って引いた。そっとしておいてやれと語っている。八彩は顔を伏せて何もいわぬまま、美桜の半身を腿に乗せて抱きしめている。


「サクヤ、ベルゲン。先に行っててくれ。オレもあとで行く」

「でも」

「やめろサクヤ」


 黙して悟る。今は言葉なんか必要ないのだ。後ろ髪を引かれながら研究所をあとにした。


「八彩、大丈夫かしら」

「大丈夫だ。あいつを信じろ」


 戦いの幕引きがされてなお彼に望むものはない。玉砂利を埋め尽くしたキメラの亡きがらを見て戦いの終局を感じた。すべては傀儡である。そう思わずにはいられなかった。


 本殿に戻ると仲間と脱力し切った氏子がいて待望していた様子だった。


「ベルゲン」


 視線と声には期待が含まれていた。ベルゲンは語気を強めて宣言する。


「本尊は死んだ」

「やった!」


 みなが菊の花のように喜びを交わす。戦線にわずかな喜びが訪れた瞬間だった。だが、サクヤはそれを見て複雑な気持ちになった。喜ぶなというわけではない。本尊を倒すというのは組織の大綱だった。だが、この勝利の裏側には大切な者の死がある。心を痛め勝利した八彩の気持ちがそこにある。


「これで全部か」

「いや、所長がいないんだ」

「所長?」

「キメラ研究所の所長だ」

「恐れをなして逃げ去ったのだろう」


 向かう先もないだろうに、そう氏子は締めくくった。すべてがようやく終わったばかりの戦場で誰が正義だとか誰が悪だとか。そういうことはもういい気がしていた。次なる一歩は新たなる時代へ向けての布石となる。


「逃げなければ良い処断をするよう働きかけよう」


 ベルゲンの言葉に氏子たちの間にほっとしたような笑顔が広まった。


「それではあまりに」


 ベルゲンは仲間の苦言に応じた。


「業平どのが判断される。彼らを厳しく裁くというのであればご自身も裁かねばならんだろうからな。あの方は次なる時代を創る方だ」

「そうか」


 すべては神社政治の被害者、戦った自分たちも、支配した彼らも。名状しがたい思いに駆られて空を見ると突然の振動が襲った。爆発する音が吹き乱れて社殿の屋根が吹き飛んだ。


「何?」

「禁殿だ」


 爆裂した屋根瓦と木が瞬時にして吹き上がり四方に乱れ飛ぶ。サクヤの足元にも破断した大きな木片が転がってきた。みな、何事かと驚いて屋根を見上げそこで絶句した。


 弾けた屋根の中から浮かび上がる緑炎を目にして、その中にたたずむこの世の者とも思えぬ異形の姿に目を疑う。この世の生物がすべて入り混じったがごとき容姿。

獣の顔、首、胸、腹、腕、足、そして長く伸びた尾と身の丈ほどの大きな翼。


 もはやどの部位がどの生物を象徴しているかも分からぬほど微細な体つきをしていた。まるで翡翠を喰い続けたかのごとく淡い緑を基調とした体色をしていて、伝説の竜が降臨したかのような威光を放っていた。


『頭が高い、拝礼せよ』


 神の思念が脳に直接訴えかける。びりびりと怒りが空気を震わせて、直後押さえつけるように重力が仲間たちの体を襲った。


『拝礼せよ』


 声とともに再び重力が体を押す。みな、耐えきれず膝を折りその場にひれ伏した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る