第18話

私達が施設に滞在している間に次第に雲の隙間から陽が差し込んで暖かい風が吹き始めていた。隆弘はせっかくなので外へ出てみようと告げ、個室から出て紗奈の車椅子を押し三人で敷地内にある庭に出て行くと、更に太陽は私達を見ながら陽を照らしていった。


「あの、こちらの方は?」

「平潟真弘と言います」

「福江の高校で担任の先生だった人だよ」

「ひらかた……先生……」

「お母さん、平潟さんの名前覚えている?」

「思い出したいんだけど、まだわからなくて……」


紗奈は事故の後遺症で脳にも一部損傷している分、直近の記憶しかないようだとされている。彼女は手に持っているブランケットを膝の上にかけては何かを考えながら両手を握りしめている。


「私が北海道にいたのは高校生くらいの時までだし……そうだ、志帆。志帆の事……あの子は元気かな?」

「笠原志帆だね。今札幌にいる。結婚して娘さんがいるよ」

「そう、良かった。彼女なかなか連絡してこないから、どうしているのか気になっていた……」

「お母さん、俺カメラ持ってきたんだ。車にあるからとってくるよ。平潟さん、母を一緒に見ていてください」

「ああ」


紗奈はしばらく施設外の遠くから聞こえてくる野鳥の声に耳を傾けて、生い茂る山間の景色を眺めていた。


「ここ、私のお気に入りの場所なんです。」

「自然を見るのが好きですか?」

「はい。たまにですが、外出許可が出た時には隆弘と一緒に……ここから見えるあの山のふもとまで行く事があります」

「あの、何度も聞いて申し訳ないですが……高校生の時に、紗奈さんがよくお会いしていた方の事は、覚えていますか?」

「なんとなくですが……クラスメイトではなく、男性の方と一緒に会う事はありました。たしか、自宅にも行った事もあるかな……」

「実は今日お写真を持ってきているんです。見ていただけますか?」

「ええ。……ああ、皆んなね。福江の高校の一学年の集合写真。……この右端にいる方は?」

「私です」

「……この人です。私がよく自宅にお邪魔させていただいた方……」

「それが、私なんです」

「先生?……えっと、平潟先生?あなたですか?」


私は彼女の横にしゃがみ込み名前を告げると視線を落として俯いていた。そしてまた顔を上げては落ち着かない様子で隆弘を探す仕草を見せていた。すると、彼女は私の手首を握ってきて、無言でしどろもどろになりながら何かを言いたそうに口を動かしていた。


「看護師さん呼びますか?」

「いえ……大丈夫。そう、平潟さん。……先生で間違いない?」

「はい。……紗奈、俺だよ。思い出してくれた?」

「なんで?」

「え?」

「なんで……来たの?」

「紗奈に謝りに来た。」


紗奈は震えた声を出して私を見つめ、更に手首を強く握りしめて咳を吐いたので背中をさすってあげた。


「遅くなってごめん。ずっと探していたんだけど……なかなか手がかりがつかなくて途中で諦めてしまったんだ。でも、君の事を忘れた事などはない。長い時間悩み続けて……そうしていたら隆弘くんが俺に会いに来てくれて、やっと今日会えたんだ。」

「……酷いよ先生。私、隆弘と一緒に待っていたんだよ。もっと早くに来てほしかった」


彼女は時折十六歳の頃の記憶を取り戻し覚醒しては今の自分と行き来しながらそれを交えて語りかける。


「私、志帆を傷つけた……先生をもいたぶるようにしてってあの人たちに告げて仕向けた。あと……密告もした……」

「密告?」

「先生が志帆を脅したと嘘の事をあの頃学校に在籍していた生徒の保護者の人たち複数にビラをいたの。それを検察の人の耳まで届いて審判が下された」

「俺が……憎くて?」

「そうじゃなかった。入江って人覚えている?」

「ああ、たしか紗奈の友達だった人だな」

「彼、私の事が好きだったみたい。事件後の裁判の関係者の中に、彼の親戚で判事をしていた人がいて……入江くん、私の嘘の話を信じてその人に告げたみたいなの」

「だから、不起訴が取り消しされて犯人とみなしたのか……」

「そこまでなると思わなかった。撤回してくれって言ったけど通用しなかった」

「大人たちが全てを信じてしまったんだな……」

「先生……あの後、どうしていたの?」

「しばらくはムショにいた。出た後には仕事に没頭していった、とにかくひたすらにね。再婚もしたんだ。その事もあってなかなか君に会いに行くタイミングが遅くなったんだ。だけど、あの頃の事は全て君のせいではない。私も……自分を甘く見ていた」

「違うよ、違う!……先生を悪い人にさせたのは私だ……なのに、どうしてここに来ているの?来ちゃいけないよ……」

「今日会いに来たのは……君に最後の別れを告げるためだ。その前にもうひとつ聞きたい事がある」

「何?」

「隆弘くんは、本当に俺らの子どもか?」

「どうして?」

「あの後、当時高校の保護者の人たちから噂話があって……紗奈が隣町の男子高校生との間に子どもができたと聞いたんだ。でも……君は誰とも関わってはいないよな?」

「いない。……先生だけだよ。私が愛した人は、平潟先生……あなただけです……」

「俺も君を愛していたよ。隆弘はお互いの子でいいんだよね?」

「うん。隆弘は私達の子。他に誰もいない、誰のものでもない……私達の大切な命そのものだよ……」

「良かった。君の口からそれを聞きたかったんだ。もう、これ以上特別何も話さなくていい……良かった…」

「本当にごめんなさい。ごめんなさい……ごめん……なさい……」

「君も全て吐いてくれて、辛かったよな。でも、その分1人で隆弘くんを育ててくれた。……俺のいない間にたくさん抱えてきただろう?……それでもありがたいんだよ。本当に……ありがとうな……」


その様子を少し離れたところから隆弘が私達を見てはそっと近寄ってきて、こちらに声をかけた。彼は紗奈が記憶を取り戻してくれた事に目を潤ませながら見つめていた。

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