第16話

私の無情さは変わらず歳月だけがまっしぐらに流れていく。移ろう季節は私にただその流れを知らせるだけ。これまで過ごしてきた日常とは明らかに違う時代の調べを宵の明けに調子よく打つ。熱道から発する陽炎の揺らめきも幼かった自分の足元に軌跡を残しては知らず知らずのうちに消えていく。そんな事を繰り返しこの地球ほしは自転しながら次の日の暁を待つ。そして時は巡ってきた。


二〇〇四年。春めいた空が低い雲で覆うような景色のなか豪鉄の扉は静かに開かれた。遠くで微かに雲雀ひばりの鳴き声も聞こえてくる。私は十年の刑期を終えて出所し、久しぶりの潤いに満ちた空気を感じながら、その日のうちに函館へ向かった。二十一時を過ぎて市内にある実家の家に着きインターホンを鳴らすと、最初に出迎えてくれたのは母だった。


「おかえりなさい。真弘……良かった。元気みたいね」

「送った手紙は読んでくれた?」

「ええ。まず上がりなさい。そんな薄着でよく耐えれたわね……荷物はリビングに置いていいかしら?」

「うん」

「……ああ、真弘。今日出たばかりなのか?」

「ただいま。そうだよ、今日出所して真っ直ぐ函館に来た。親父、色々迷惑をかけてすみませんでした」

「その顔色ならまだいい方だろう。さあ、そこにかけなさい」


長い間ずっと気にかけてくれた私の両親。十年経つと当たり前だがお互いに年を老いてしわも増えている。受刑中も数回面会に来て私の表情を見ながら募る思いを押し殺して、それでも二人とも温かく見守ってくれていた。

母は夕飯を用意してくれ私の好きな煮魚や惣菜、温かい味噌汁や白飯を食卓に並べてくれた。二十代後半の頃まで作ってくれていた久々の手料理を口に含んではゆっくり噛み締めながら懐かしさを味わって食べていった。


私の少し痩せた身体を気にかけて、美味しいというたびに両親は微笑み嬉しそうな眼差しで私を見ていた。食事を終え風呂に浸かり上がった後のほてった身体が妙な安堵感を包み込む。その後、茶の間に照明を消してから敷かれた柔らかく温かな布団に入り一日が穏やかに過ぎていくのを身に沁みた。


数日後、早速市役所で生活保護制度の登録を行なってから、職業安定所に行き、更生保護を理由とした就業支援事業を活用する手続きを行なった。窓口で紹介してくれた自立支援事業所へ行き、更に市内にある就労継続支援事業所に登録をしたのち、一年間は軽作業の労働を強いられた。

そこから別の就労先を探していると、クリーニング工場での雇用募集に面接を受けた後正式にその場所での就労が始まった。就労時間内のほとんどを衣服などの検品作業に費やしひたすらがむしゃらになりながら没頭していった。


それから二年は経っていった頃だろうか。ある従業員の一人が私に声を掛けてきて何を思ったのか過去の話を聞きたいと言ってきた。

はじめは渋々になりながら教員時代の頃の話をしていたが、次第にあの事件後の頃の自分の話に心を開いて話をしていくと、その人は真摯に耳を傾けて聞いてくれた。どうしても消したい過去。それをどう払拭していけば老いとともに自我の内省と付き合っていけるか悩むこともあると伝えると、


その人は「あなたの人生は頻繁に後ろを振り返らずとも別の道を作り出して歩んでいける。己の想像する生き方を描いて形にしていけばいつかはそれが芽生えて新緑を生み出すことができるのだ」と……


そう教えてくれたのが、のちの妻となる七歳下の由梨枝だった。ある日私は彼女の自宅に招かれた。一LDKの南側に陽があたる最適な間取りの部屋だった。テーブル席に座ると一杯の玄米茶を差し出してくれて、お互いに工場での仕事の話を中心に会話を楽しむ。

その僅かばかりの過ごす時間が次第に愛おしさを覚えていき、三か月を過ぎた頃に私から一緒に暮らすことを前提に付き合いたいと告げると、彼女は快諾してくれた。


元受刑者という身分は一生かかっても拭いきれないものだと告白すると、それも含めて私だから良いと受け入れてくれ、懐の温かい人だと改めて思い知った。その年の秋口に彼女の母親に挨拶をした後、籍は入れずに一緒になることを決めてアパートに引っ越して六年ほど暮らしていき、私の父が亡くなった後に自分の実家に越してきた母と妻と三人で過ごしていく日々を送っていった。


その後母も病で他界し二人きりの生活が始まり私は再発起する為に一般教養の勉学に加えてパソコンの検定資格を取得したのち、現在の流通企業の契約社員として再就職した。

私はあの過失が人の手によって誰かから並べられたものではなく、神から与えられた試練でもあることだと言い聞かせて、正しい道は何か、どう進むべきものかということに時間を費やすことしか考えないようにしていった。

ひん曲がるなどもっての他。信念を曲げたら自分に負ける、道理に背く事は己の成すべきものではないと、ただひたすらに専念していった。


それから十数年が経った今、私はこうして陽のあたる縁側から中庭の木の葉がひとつふたつと舞い落ちるのを眺めては、いつの間にかうたた寝に入ったようだった。

遠くで由梨枝の声が聞こえてきたので目を覚ましていくと彼女は微笑みながら私の手を取った。郵便受けに私宛の一通の手紙が届いているという。開封をして便箋を開けると事件当時に担当していた弁護人の後任に当たる人間から、ある人物が私に会いに来たいという内容の文面が綴られていた。

妻もそれを聞き取りあえずは面会してみてもよいのではないかと話してきたので、折り返し手紙を書いて弁護士事務所宛てに郵送した。


一週間後の平日の午後に事務所から連絡が来て、後日日程を調整して面会することを決めた。数週間が経ったある日、私は妻とともに事務所を訪れて応接室で待っていると、弁護士と三十歳くらいの男性が中に入ってきた。話を聞いて私達は驚いた。


彼は私と紗奈の間にできたあの子どもだと言う。

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