第3話 世界で一番美しい君は

10月1日


ヴィオラが少しだけ話してくれるようになった。

私はそれに甘え、気が緩み始めている自分を自覚している。


ただ、必要以上に彼女に話しかけたり、親し気に会話を楽しんだりしようなどと言う下心はない。

下心はないのだが、彼女が少しでも暮らしやすくなるように必要最低限の会話をすることを神は許してくれるだろうか。


何が言いたいかというと、今日私は彼女に呼び鈴を使ってはくれまいかと提案をしたのだ。

どんな用事でもいい。

私の助けが(助けなどという言葉自体がおこがましい気もするが)必要な時には、遠慮せずに私の事を呼んでほしい。


私は気が利かないし、女性の事を何も分かっていない。


だから本当であれば私が気付かなければいけないところを、彼女に力を貸してはくれないかと懇願したのだ。


彼女は暫く押し黙った後、無言のまま小さく頷いてくれた。


感謝してもしきれない。


憎悪の瞳も向けずに、冷静に努めてそんな対応をしてくれたことに対して。







10月5日


私は屑野郎だ。


分かってはいることだが、分かっていても治せない屑野郎だ。


彼女はあんな過酷な状況に置かれてもなお気高い精神を持ち続けているというのに、私は全然駄目。


彼女の美しさに、彼女の声に、私は欲情を掻き立てられた。


腰まで伸びる美しい銀の髪。


長いまつ毛を湛える燃えるような赤い瞳。


気高い精神がそのまま表れているかのような凛とした顔だち。


見まいと思っても、視界の隅に意識してしまう白い肌。


彼女が美しすぎるせいだと責任を押し付けてしまえたらどれほど楽になるだろう。


彼女のせいなどであろうはずがない。


私は屑だ。


自戒しろ。


そんな卑劣な視線を、想いを向けていることを彼女に知られるな。


これ以上彼女に、苦しみを背負わせないと誓っただろう。






10月10日


彼女がここに来てからというもの、空いた時間を費やして作っていた車いすが完成した。


彼女はこういったものを見たことがないようだったが、別に私が独自の発想で作り上げたものではない。

以前貴族が通うような病院で、ベッドに滑車がついたものを見たことがあり、そのベッドを椅子に差し替えただけのもの。


それでも彼女が私の作ったものに驚いたような表情を浮かべてくれたという事実は、私の矮小な心に大きな喜びを与えてくれた。


きっと私は褒めて貰いたかったのだろう。

だからあんな時間に彼女の寝室を訪ねるなどという暴挙に出てしまったのだ。


彼女はさぞ気を使ったに違いない。


結果として彼女は曇っている夜空の下になど連れ出され、それでもなお気を使い続けてくれていた。


そんな彼女の気遣いにお礼を言いはしたが、やはり何か行動で返さなければいけない。


何をすれば彼女は喜んでくれるだろうか。


どうすれば、少しでも彼女の心を安らげてあげることができるだろうか。


愚鈍な私には、何も思い浮かばない。


あぁ、デューク。

今夜も顔を覗かせてくれてありがとう。


私の悩みを聞いてくれるのは君だけだ。

君が人の言葉を喋れればいいのに。

そうしたらきっと、私より聡明な君は何が正解の行動なのかを教えてくれるだろう。





◇ ◇ ◇






―――――――トン………トン…トン。



「…………」


小気味良い……とは到底言えない包丁の音。


グツグツと湧きすぎている鍋の湯気。


明らかに買いすぎに思える食材の束。


汗を流しながら必死に料理を続けるリュートの横顔。


「…………」


車いすを作ってもらってからというもの、私はリュートが料理を作る様子を見させてもらう事が日課になっていた。

「車いすで行きたいところはあるか?」とリュートに聞かれた時、私は殆ど迷わずに「キッチン」と答えた。


私がそう答えた時のリュートの顔は、未だに思い出しても笑みがこみあげてきてしまう。

「なんで?」と顔に書いてあるかのようだった。

きっと街中とか林とか、野原なんて答えを想像していたのだろう。


でもリュートは「なんで?」とは口にしなかった。

言ったのは「わかった」と一言だけ。

そういう所が私は……あぁいや……なんというか……そう、良い奴……まぁ、なんでもない。


「すまない、もう少しでできるから………」


「………」


汗だくになっている顔をこちらに向けて来てそういうリュートに、私は小さく首を横に振る。

別に、急がなくて良い。


私はこの光景が見たくてここにいるだけなんだから。


――――――ジュッ!


と音を立てて鉄鍋に油が跳ね、肉の焼ける良い匂いが充満する。


焼く前のお肉が一瞬目に入ったけど、きっと凄く良いお肉だ。


無理をして買っていないかだけが心配だけど………まぁ、リュートほどの人物ならお金に困ってはいないと………。


「…………」


私の値段は………リュートにとって負担だったろうか………。


どうだろう、聞くのは失礼な気がするし、なんだか無性に恥ずかしい。


少なくとも私の祖国にリュートがいれば、一生遊んでも使えきれないほどの報奨金を貰っていると思うけど………。


でも、この家。


狭くはないけど、リュートほどの人物が住む家とは到底思えない。


最初は私を飼うために新しく購入した家なのかと思ったけど、どうやらそういう訳でもないようだし………。


それに家の中はがらんどうというか、異常な程質素というか、とにかく必要最低限の物しかない。

ここ最近は連日のように私の行動範囲に花だの絵画だの、とうてい彼の趣味には思えない可愛らしい小物だのが次々に増えていって目を楽しませてくれるが、そこ以外は本当に何もない。


それに以前盗み聞いた話………。


私を買うためにリュートが家財を売ったってベスっていう子が話していた。

…………あの時はまだ部屋から出ていなかったから、なにか価値のあるものを数点売った程度だと思っていたのだけど、まさか家にあるものを殆ど売り払ったの?


じゃあやっぱり、お金に困っているの?


………というか、私の行動範囲に物が増えて言ってるのって、これ、私のためだよね?


………私のため。


勘違いじゃないよね?


「ヴィオラ」


「ひゃっ!!!!!?」


「す、すまない……その………飯ができたんだが」


「あ……う…うん……」


ぐるぐると物思いに耽っていた私は、突然リュートから名前を呼ばれてビクリと身体を震わせた。


いつの間にかリュートの料理は終わっていたらしい。

彼の料理をする姿が最近の楽しみだったのに、ぼーっとしていたら最後の方を見逃してしまった。


「すぐに食べられるか?」


「…………うん」


間抜けな顔をしていなかったろうか。

手も動かない今は、乱れてしまった髪を撫でつけることもできない。


そんな事が心配になって躊躇いがちに肯くと、リュートは一瞬柔らかな微笑を浮かべて、すぐにまた固い表情に戻った。


「………」


あの表情の変化、ずっと見せているけど、一体どういう心理なのだろう。

「なんで微笑んだままでいてくれないの」って、聞いたら教えてくれるだろうか。


コトリ……とリュートがキッチンの質素な机に料理を並べ、すぐに私の方へ向かってきて車いすの取っ手を掴む。


掴むけど、彼が私の車いすを押すことは無い。

私の意思で進みだした車いすを、ただただ支えてくれる。


何が起きても大丈夫なように。


「……………」


焼いた肉に掛けられた香ばしいソース。

付け合わせに盛られた茹で野菜。

香草の浮かぶスープ。

パンは………今はまだ習っていないから買ってきたものらしい。

パン窯も今度買うんだって。

………私に焼き立てのパンを食べさせるために。


「……………」


上達の速度が凄い。


凄くおいしそう。


私は思わず口の中に湧いて出て来た唾をごくりと飲み込み、それを誤魔化すように小さく咳ばらいをした。


早く食べてみたい。


早く早く。


もう待ちきれなくって、私の横へと移動してきたリュートを見上げ、いつものように口を開いて食べる意思を見せようとした、その時、




――――――コンコン




「ん?」


「………?」


控えめに鳴った玄関のノッカーの音に、私もリュートも何事かとそちらへ顔を向けた。




―――――――――コンコン




ベスであれば元気な名乗り声が聞こえるはずだから、きっと違う人物だろう。


なにか配達でもきたのだろうか。


「………部屋に行くか?」


「………」


彼が私にそう聞くのは、私がベスともまだ顔を合わせていないから。


私はベスに会う事が怖かったから、彼女が来るたびに私が使わせてもらっている部屋に逃げ込むようにしていた。


「…………」


でも、今私の目の前には折角彼が作ってくれた料理。

今私が部屋に逃げ込めば、きっとリュートは食事を部屋まで運んでくれようとするだろう。


そんな迷惑は掛けられない。


それに、ベスでないなら部屋の中まで入ってくることはないだろうし………。


「………ここでいい」


「………そうか」


私がそういうと、リュートは固い表情のまま頷いてからすぐに玄関へと歩みだした。




―――――――コンコン




「はい、いますよ。すぐに開けます」


リュートがドアノブに手をかけ、ガチャリと玄関を開いた瞬間。

すぐに私は、部屋に逃げ込まなかった事を後悔することになった。


「リュート様っ!」


「うおっ!!?」


「っ!?」


突然飛び込んできた人影は、ドアを開けたリュートの胸元へと飛び込んでその体を抱きしめた。


「フラウ!?」


絹のように美しいあご先までのプラチナブロンド。

整った可愛らしい顔立ち。

凄くスタイルの良い身体を包んだ清楚な修道服。


「な、なんだ、どうしてここに………」


「リュート様が会いに来てくれないからです! 我慢できなくて会いに来ました!」


「………」


リュートの脇から背中へと回した、細くて美しい手の肌。


「俺は暫く忙しいからと前に………」


「だからって何も連絡くれないんじゃ心配になりますっ!!」


ぐりぐりとリュートの胸に押し当てた頭。


顔を上げた時に目に映ったのは、金色のまつ毛を湛えた緑色の瞳に浮かんでいた、燃え上がるような情熱の色。


「あ、そうか、今月の寄付が………」


「ち、違いますっ!!!お金の話なんてしないで下さいっ!!!」


恐らくデリカシーの無い発言をしたリュートを見上げるその顔は、途端にプクッと頬を膨らませて凄く可愛い。


「私はただリュート様に会いたくて来たんです!」

「…………そうなのか?」

「…………」


「そう!」

「そうか」

「…………」


怖いほど何も分かっていなさそうな顔で頷いたリュートを見ても、その女性の顔に怒りが浮かぶことは無かった。

代わりに浮かぶのは、眩しい程の温かい笑顔。


なんだか、私の胸が、ギリギリと痛むのは何故なのだろう。

心臓がどくどくと早鐘を打って破裂してしまいそう。


「どうして会いに来てくれなかったんですか?」


そう言ってまた薄っすらと目を閉じてリュートの胸に頬を押し当て、背中に回していた手にギュッと力を込めるその女性は、恐らくリュートの恋人なのだろう。


「あぁそれは………」


やめて。

私の方なんて見ないで。

今凄く惨めな気分だから。


「彼女が………この家に来てくれたからだ」


お願いだからやめて。

来てくれたなんて言葉………。

私の存在をどう説明するつもりなの?

適当な嘘に辻褄が合わなくなる。

たとえこんなに惨めな女でも、恋人に女の奴隷なんて紹介すれば悲惨な目に合う事くらい分からないの?


「……………え?」


「………………」


リュートの言葉に、その天使のような女性は初めて私の存在に気付いたようだった。

私のできる限り無表情に努めた顔を見たその女性は、途端に顔を真っ赤にしてガバッとリュートから身を引きはがした。


「え………、え?」


「ヴィオラだ。………ヴィオラ、こちらはフラウ。皇国正教会のシスターだ」


「……………」


絶対に誤解などさせてはいけない。

笑顔も駄目。

挑発していると受け取られるかもしれない。

ムスッとしていても駄目。

嫉妬をしていると勘違いされるかもしれない。


リュートにもこの女性にも迷惑を掛けてはいけない。

できるだけ無感情に。

でも、礼は失せずに。


「ヴィオラです。初めまして」


「は、はじめ………まして………フラウと申します」


私が首だけで会釈をすると、フラウは慌てながら小さくカーテシーをして、返礼をしてくれた。

派手ではないけれど優雅な所作だ。礼儀作法のしっかりしている子なんだろう。

今のところ、なんの欠点も見当たらない。それどころか美点しかない。


だけど、その瞳に浮かぶのは不安の色。

私とリュートの間を何度も何度も視線を彷徨わせ、ひどく動揺しているのが分かる。


そりゃぁそうだろう。


久しぶりに訪れた恋人の家に、得体のしれない女が無表情で食卓に座っているのだ。

立場が逆だったら私でも唖然とする。


「座ったままの無礼をお許しください。手足が動かないもので」

「っ………ヴィオラ………」

「手足が…………?」


「はい」


私が食事の置かれたテーブルから車いすを動かして全身をフラウの目に晒すと、彼女は一瞬目を見開き、


「そうでしたか。いえ、無礼などと仰らないでください。そんなことは思いませんから」


しかしその表情をあっという間に消し去って、柔らかな微笑を私へと向けた。


私は彼女の人間性など知る由もないが、このリュートの恋人なのだ、恐らく本心からそう言ってくれているのだろう。


本当の本当に、完全無欠で良い娘そうじゃない。

お似合いよ。


「…………」

「…………」

「…………」


しかし、すぐにフラウの表情はまた不安そうな色が浮かんで、隣に立つリュートを見つめ始めた。

リュートはリュートで何故かオロオロとして私の事を見つめたまま黙っているし、私の事なんて気にしている場合じゃないでしょ?

どうすんのよ、この状況。

本当に唐変木。


「あ、あのっ…………」


どうすれば………。

どう説明すれば良いのだろう。


私は部屋の隅の埃のようなもので、貴女からリュートを奪い取ろうとする意思など微塵もないのだと、どうすれば分かってもらえるだろう。


「リュ、リュート様…………この方は…………」


二人の仲に亀裂が入る原因などになりたくない。




「ヴィオラさんは………リュート様の恋人でしょうか?」




…………?




「ば、馬鹿な事言うな!!失礼だぞっ!!!」

「えっ………!? ち、違うんですか? な、なんだっ………こんなに綺麗な人だから………私てっきり………」

「違う!!絶対に違うっ!!!!!!!」




なんだろ…………。


少しイラッとした。


無性に久々にリュートに噛みつきたくなったけど………。


でもちょっと待って………その前に………確認をしないと。



「お二人は………恋人同士ですか?」

「え?」

「え゛っ!!!!?♡」


私の言葉にリュートが間の抜けた顔でポカンとし、一方のフラウは耳まで赤くなってバッ!と頬を抑える。


「いや、違うが…………」

「っ!!!!!!!!!?」


その言葉にフラウは、今度は顔を青くしてリュートの顔を仰ぎ見た。


「凄くお似合いに見えますが」

「っ!!!!!!!!!!!♡♡♡」

「フラウは今年で18になったばかりだぞ。俺の恋人の訳が無い。というかなんで敬語なんだ。普通に話してくれ」

「っ!!!!!!!!!!?」

「ですが、とても親しげに見えます」

「っ!!!!!!!!!!!♡♡♡」

「いや、フラウの事は小さい時から知っているからな。懐いてくれているだけだ」

「っ!!!!!!!!!!!」

「な?」

「……………………は…はぃぃ」


このクソ唐変木!!!!!!

と思わず叫びそうになった。


しかもこの唐変木は、思わず頭痛のしてきた私がしかめっ面をすると何を勘違いしたのか

「ど、どうしたっ………?具合が悪いのかっ………?」

と言いながらフラウを置き去りにして私の方へと駆け寄ってくる。


本当に、勘弁してよ。


「だ、大丈夫ですか? ごめんなさい………具合が悪いところに来てしまうなんて」


しかも私が気を使っている相手まで、本当に心配そうな表情を浮かべてトコトコと私の横へ駆け寄ってくる。


本当に、どうなってるのよこの二人は。


「いや………大丈夫です。具合は悪くありません」

「ほ、本当か?」

「あの、無理をなさらず………そ、それにお食事前だったんですね。気付きませんでした。じ…邪魔をしてしまってごめんなさい………」


揃って同じような表情を浮かべてオロオロして。

あり得ない程お似合いなのに。


「いえ…………本当に大丈夫です。 むしろ私こそ邪魔をしてしまって申し訳ございません」

「え?」

「え?」


二人して全く同じ反応をして、顔を見合わせて。


………。


なんだろう。


やっぱり胸の奥がムカムカする。


何に苛ついているんだ私。


「あ、あのっ………リュート様、私また来ますね。ヴィオラさん、こう言ってくれているけど顔色が悪いし」


悪くないよ。

生まれつき目つきが悪いだけ。


「そうか、すまない」

「っ…………!!」

「ヴィオラさん………大丈夫ですか?」

「あっ………ご、ごめんなさい、本当に大丈夫です」


今、私舌打ちをした?

いつも私だけに向けられていたリュートの「すまない」が、フラウに向けられた途端に。


「あの…………」

「はい?」


殆ど無意識に口をついた言葉に、フラウは微笑を浮かべて首を傾げて見せた。


「フラウさんは…………リュート様と………」

「様?」


貴女だって、様づけでしょうが。


「い、いえ…………リュートさんと、どういったご関係なのですか?」

「え?」


パチクリと瞬きをするその瞳は、私には欠片も無い様な愛嬌が満ちていて、本当に可愛らしい。

しかしすぐにフラウは慈愛に満ちた目で横に立つリュートの事を見上げ、ほんのりとその頬を桃色に染めた。


「私は、元々孤児院の出身なんです。リュート様が10代の頃に国からの報奨金で創設してくださった孤児院」


その瞳に浮かぶのは、憧れと、尊敬と、


「今はリュート様のお陰で自立していますが………それにしたってリュート様が教会に多額の寄付をしてくださった伝手ですけどね」


何事にも揺らぐ事のない、深い愛。


「だから私は、世界で一番リュート様の事を………尊敬しているんです。そんな関係ですかね?」


世界で一番………愛してるの間違いでしょ?


「それじゃぁ………本当にすみませんでした。失礼します」

「フラウ、すまないな。また今度教会に顔を出す」

「はい」


すまなそうな表情を浮かべるリュートにニコリと微笑んで首を傾げて見せたフラウは、しかしすぐには玄関へとは向かわずに、私の前に屈み込んだ。


私がフラウの行動に戸惑っていると、暫くじっと私の瞳を見つめた後、私の耳元へ口を寄せ、


「凄く優しい人ですから………怖がらずに信じてあげてください。絶対に酷いことはされませんから」


そう囁いて、ポカンとする私に向けて微笑んで見せた。


「ではっ!!」

「あぁ、帰り道気を付けてくれ、フラウ」

「はいっ!!!ヴィオラさんもまた!!」


パタパタと掛けていくフラウさんが玄関を出たところで振り返り、笑顔を向けてブンブン手を振って出ていき、


「…………料理、冷えてしまったな。すまない」


「……………」


私はようやくそこで気付いたのだ。


「……………」


私だけが気付いていなかったことに。


「ちょっと待っててくれるか?すぐに温めなおす」

「……………」


私の首に刻まれた奴隷紋が、フラウの目に入っていない訳が無い。


「……………どうした?大丈夫か?」

「……………」


気付いてなお、私がリュートとの恋人だと本気で思ったの?

気付いてなお、今の今まで私にそれを微塵も感じさせなかったの?

奴隷を買ったリュートを問い詰めることもせず?


「ヴィオラ?」

「…………なんでもない、大丈夫」


私が清潔な服を着て、髪を整えてもらって、彼が作った椅子に座り、目の前に手料理を並べてもらっていたから?


私が気づくまもなく、リュートが私を大切に扱ってくれていることを………到底奴隷などとはいえない扱いをしてくれていることを、フラウは気づいたの?


そんなの。


「そうか」

「…………うん」


完敗じゃないか。


何もかも。


身も心も全て。


きっといつか、


フラウとリュートは愛し合うようになるんだろうな。







◇ ◇ ◇





「んぅっ………!」


「っ!!? す、すまない」


「あっ………だ、大丈夫………私こそごめん………」


湯あみの時間。

私は死んでしまうかと思うほどに羞恥が身体中を覆い、本当に気が狂ってしまうかと思った。


昼間にフラウと出会ったせいだと思う。


だから、私はベスにも会いたくなかったのだ。

つむがれる言葉の中に、リュートを大切に思う気持ちが溢れているベスに。


なのに、今日はそれよりも強烈な人を直接目にしてしまった。


可愛くて、綺麗で、優しくて、


自分の手足で立って、リュートの胸の中に飛び込んで、その身体を抱きしめることができるフラウ。


彼女は自分の汚い姿をリュートの前に晒すことなどない。


美しくて、完璧な姿をリュートに見せることができる。


「あっ………んっ………!!」


意識するなと思えば思うほど身体に触れるリュートの手を意識してしまって、さっきから変な声が出てしまうのを止められない。

汚れた私の身体。

本当はこんな身体、触って欲しくない。

でも、触ってもらわなければ私はもっと汚くなってしまう。


「ひゃっ………!!」


「~~~~~~~~っ」


リュートの手が、私の腕を、私の腹を、背を、首筋を。


「んっ………!」


「っ!!!」


その手に持った柔らかな布が胸を、股を、優しく撫でるたびに私は身体を震わせて卑しい声を上げた。


後になって思う。

私はその時、声を上げようとするのを我慢していたんだろうか。


「んぅぅっ!」


わざと大きな嬌声を上げ、リュートを誘惑していたんじゃないだろうか。


「あっ………あっ………」


他の何でも勝つことができないから、当てつけの様に。


これしか彼を誘惑する術がないから。


全て言い訳なんだ。


恥ずかしいのも。


訳が分からないのも。


全部自分への言い訳。



「ひぅっ………!」



きっと必死なんだ。


彼の寵愛を手に入れようと。


捨てられまいと。


だって、私は彼に捨てられたらもう生きていくことはできないから。


そうでしょう?


そうでなければ説明がつかない。



「す、すまない………」


「だ、大丈夫だからっ………気にしないで………」



フラウを見てムカムカした気持ち。


彼を抱きしめるその姿を羨ましいと思った気持ち。


恋人じゃないと分かって驚くほど安堵した気持ち。


恋人かと問われて、嬉しかった気持ち。


その気持ちに、説明がつかない。



「し、しかし………」


「続けて………」



ただみっともなく生き延びたいだけ。


彼しか私を救ってくれないと分かっているから。


私は私を騙しているだけなんだ。


彼の事が好きになってしまったなどと、嘘をついて。


「んっ………」


そうじゃなきゃ。


そうじゃないなら、何だって言うのよ。


作り出した発明品が私の国を滅ぼした男だよ?


私がこんな姿になる原因を作った男だよ?


「あっ!!」


「っ…………」


どうしろって言うのよ。


なんでフラウに嫉妬なんかするのよ。


やめてよ。



「ひぐっ………!!」


「す………すまない………ど、どうして上手く………すまない………」



そんな顔しないでよ。


お願いだから。


リュート。


分かった。


分かったから。


もう邪魔しないようにするから。


こんな浅ましくていやらしい私は、貴方やあの優しい娘の邪魔をすべきじゃない。



「……………大丈夫だから」



今日の私がちょっとおかしいのは。


もう明日には、気にならないから。


「続けて」


醜い私は、あなたに迷惑しかかけられない。

あんなに素敵な娘がいるのに、私がいたらあの娘はあなたに思いを告げられない。


…………いや。


いつか思いを告げる場面を…………見たくないだけか。



本当にごめんなさい。



こんな私ではありがとうの置手紙もできないけれど、






きっとあなたは、許してくれるでしょう?




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