第5話 綺麗な私と 恥ずかしがり屋の君

10月21日


今朝彼女の部屋を訪れた時、私は本当に自分の中の時が止まってしまったかと思った。


彼女の形に寄れたベッドのシーツ、床に落ちた枕。


彼女がこの部屋にいた名残はそれしか残されていなかった。


悲しかったとか、そう言う次元の話ではない。


私の全てが失われた感覚に陥った。


頭の中が真っ白なのに胸の中には次々に焦燥感が湧き上がり、身体は動き出したいのに息すら上手くできない。


ようやく口をついたのは彼女の名前だった。


しかし、呼べども呼べども、どこからも返事はない。


あの時の混乱と絶望感は、私の持つ拙い語彙では到底言い表すことなどできないだろう。


家中を駆け回った。


何度も何度も。


庭を見に行き、また部屋に戻って彼女の名前を呼んだ。


そんな行為は意味がないと分かっていても、その時の私には彼女が家から出ていったという発想が受け入れられなかった。


私はどれほどの時間を家の中で無意味に時を過ごしたのだろうか。


気付けば日は高くなり、それに気づいてようやく私は家を飛び出した。


街中を走り回り、彼女の名前を叫び続けた。


きっと多くの人が私の気が狂ってしまったと思っただろう。


でも、人の目などどうでもよかった。


無事でいて欲しかった。


戻ってきて欲しかった。


許して欲しかった。


しかし、私は無力だった。


自分一人では何もできない。


何も成すことができない。


彼女を見つける事もできず、探す当てすらない。


胸が締め付けられ、口の中に血が滲み、心とは裏腹に身体が言う事をきかなくなってきた時、私の元へベスが駆けつけてくれた。

街中での私の姿がカノンの耳に入り、ベスを送ってくれたという。


「既にカノン様が見つけました。ヴィオラ様は彼女の祖国に向かっておいでです」


その言葉を聞いた時、私は自分の足が動いたことは本当に幸運な事だったと思う。

やはり嫌だったのだ。

帰りたかったのだ。

あんな家には居たくなかったのだ。

そんな思いが一瞬で頭の中に湧き上がったが、しかし、そんな思いも私の身勝手な願いの前には意味を為さなかった。


「たちの悪い連中に目を付けられているようです。カノン様からは…………『私が助けても良いけど、どうするの?』………と」


今になってベスが言ったセリフが頭に蘇ってきた。

その時の私はベスの言葉すら頭の中に入ってきていなかったらしい。

ベスが差し出してくれていた剣を奪うようにつかみ取り、無我夢中で駆けた。


息が続かず、何度も転倒し、それでも立ち止まることはできなかった。


後になってカノンに「冷静になりなさい。魔道具を使えばあの娘はあんなに怖い思いをする前に助けてあげられたのよ?」と指摘されたが、全くその通りだと思う。


「それにベスだって、あなたにもう二度と見られたくないと言っていた姿を見せる羽目になった。全てあなたのせいね」とため息をつかれたが、返す言葉もなかった。


想いだけで問題は解決なんかしない。


そんな事、既に身に染みる程学んだはずだったじゃないか。


それなのに私はその教訓を何も生かせていない。


「貴方って本当に駄目ね」と何度も私の心境を代弁してくれるカノンも、呆れかえっていることだろう。


数時間駆け続け、カノンの残した光跡に導かれてヴィオラを見つけた時も、私は余りにも無力だった。


目の前でヴィオラが凌辱を受けようとしていても尚、私には彼女を救う力が無かった。


私は、本当に駄目な男だ。


情けない男だ。


力もなく、勇気もなく、知恵も回らない。


ヴィオラの事を救おうだなんて、おこがましい想いにも程がある。


………。


しかし、それでもなお、私は彼女に縋りついた。


恥も外聞もプライドもなく土下座し、許しを請うた。


無様だっただろう。


醜かった事だろう。


許してくれたなどとは思う由もないが、それでも彼女は…………。


私の家に帰ってきてくれた。






ヴィオラ…………。


あぁ…………。


君は…………なぜそんなにも気高く生きられるのだ。


私と彼女の魂の高潔さは、余りにも大きくかけ離れている。





◇ ◇ ◇





「初めましてっ!!!………じゃないですけど………こんにちは?」


「こ、こんにちはっ………!」


久しぶりにリュートの家を訪れてくれたベスは、いつもと変わらない元気な声で私に微笑みかけてくれた。


「この間は初対面なのに碌に挨拶もせず………しかもお見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした」


「あ、謝らないでくださいっ!むしろこちらこそお礼も言えず………」


「いえいえ、お礼を言われるような事など私はしていませんから」


「そ、そんなことありませんっ!!本当に感謝しています!」


私が慌てて頭を下げると、ベスは苦笑いをしながら小さく肩を竦めて見せた。


頭の横でユラユラと揺れる薄紫色のポニーテール。

見ているだけで元気を貰えるような大きくて、ちょっとつり上がった瞳。

ホワイトブリムと純白のエプロンを付け、改造したと思しきメイド服に身を包んだ彼女の姿は本当に可憐だった。


そんな思いを抱いた私が思わず彼女に見惚れていると、彼女は何故か可笑しそうに笑って私の前で膝を折り、顔をのぞき込んできた。


「本当に、女神様みたいにお綺麗ですね。月の女神様♡」


「っ!!? そ、そんな事ありませんっ!!」


「リュート様がヴィオラ様に夢中になるのも頷けます」


「なっ…………!! そ、そんな事っ………!!!」


「うふっ♡ 赤くなったお顔も綺麗っ♡」


「な、なっ………なにをっ………!!」


私の顔には未だにリュートが調合してくれている湿布が貼ってある。

あの時のけだものに殴られた傷は癒えきっておらず、どこをどう見ればこんな顔が美しいなどと言えるのか。


それに………リュートが私に夢中だなんて………そ、そんなこと………。


あ、あるのかな?


ベスから見ればそう見えるの?


ちょっと………詳しく聞かせて貰いたいかもしれない。


「ヴィオラ様もリュート様の事をお好きなんでしょう?いいなぁっ♡相思相愛で♡」


「~~~~~~っ!!!!!???」


べ、ベスから見るとそう見えるの?


そ、それはまずいかも………だってそうだとしたらリュートにも………い、いや……まずくはない? どっち?


言葉を失って私が口をパクパクさせるのを見て、ベスはクスクスと声を上げて笑っていた。


暖かな日が差す午後、部屋の中には彼女と私の二人だけ。


リュートがここに居なくてよかったと思う。


「三人分か………任せてくれ」と、いつも以上に気合の入っていたリュートがいるキッチンからは、美味しそうな匂いが漂い始めている。


「まぁ積もる話は後にしましょうっ!それよりヴィオラ様。敬語はおやめ下さい。お気持ちは嬉しいですが、リュート様が庇護されるヴィオラ様は私よりも立場が上です。リュート様は平民ではありますが、この国の至宝と呼ばれるお方。セレナーデ皇后殿下からも重宝される立場にいらっしゃいますから」


「た、立場って………私はリュートの…………」


奴隷、と言おうとした私の唇に、ベスはふわりと手を添えて微笑み、


「失礼、言い間違えました。 リュート様の………恋人のヴィオラ様です」


「~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!????」


そんな事を言われてしまって、私は彼女への抵抗が無意味であることを思い知らされた。






◇ ◇ ◇





久しぶりにリュートの家に来てくれたその日から、ベスはまた連日のように家を訪ねて来てくれるようになった。

今までは料理だけだったリュートへの指導も多岐にわたる様になり、特に私の身の回りの世話に関して凄い熱量でリュートに教え込んでくれている。


私の身に着ける衣服や下着は数段グレードアップした布が使われるようになり、部屋の中には設置型の香水が置かれ、ベッドの布団は色付き、部屋の中には質素ながら趣味の良い調度品が連日のように運び込まれる。

花瓶だけだった植物もグリーンが増え、リュートが揃えてくれた小物類を飾る棚も設置された。


何より嬉しいのはトイレ関連。

ベスの指摘でリュートが改良してくれて、私が口でレバーを咥えて水を流せるようになった。

しかも別のレバーを引けば便座の下からは温かい綺麗な水が噴き出し、下半身を綺麗にしてくれる。

ちょっと勢いが強すぎるのが難点だし、結局最後はリュートに拭いて貰わないといけないのは変わらなかったけど、匂いを嗅がれたり汚物を目にされることが無くなったのは本当に嬉しかった。


出来るだけ汚い姿をリュートに見せたくないから。


出来るだけ綺麗な私を見て欲しいから。


そしてそんな私の想いは少なくともベスには筒抜けになっているようで………


「きゃぁっ!!♡可愛いっ!!♡ もう本当に女神様っ!!♡」


「そ…そうかな………? そんなことない………」


私は今現在、ベスによって髪を三つ編みにされ、随分と久しぶりの化粧を施されていた。

ちなみにリュートは部屋から追い出され、ベスの指示により何故か強制的に一人で晩酌をさせられている。

「息抜きも仕事の内だと思ってたまにはゆっくりしてくださいっ!!」という事らしい。


「何言ってんですかぁっ!!自信持ってくださいよ自信っ!! その美しさでそんなことなかったら私なんて何なんだって話ですよぉっ!!」


「べ、ベスは可愛いじゃないっ!!」


「ただのメイドと月の女神様とじゃ比較にならないでしょうに………ほら」


はぁ………とため息をつきながら目の前に鏡を突き出され、私は「うっ………」と呻いて顔を赤くした。


ピンク色に塗られた口紅。

カールしたまつ毛。

控えめに塗られたアイライン。

薄く施されたチーク。


「ね? 凄く綺麗でしょ?♡ おとぎ話から出て来たお姫様みたい♡」


「っ………!! で、でも………私、目つき悪いし………」


「そう言うのは妖艶って言うんです」


「で、でも………」


「リュート様に見せたくないですか?♡」


「っ………!!」


「あはっ♡ 可愛いっ♡ お顔真っ赤ですよ♡ 見せたいですよねぇ~?♡ だって…絶対可愛いって思って貰えますからねぇ~?♡ 見せたくない筈がないですよねぇ?♡」


「~~~~~~~っ!」


あっという間に車いすの取っ手を掴まれ、モジモジしたままの私は抵抗を見せることもできずに部屋の扉をくぐるはめになった。


ゴロゴロと車いすを転がされていった先では、こちらに背を向けて窓の外を眺めているリュートの姿。


月明りが照らし出すその背中は、なんだかいつもよりドキドキさせられる。


「っ………」


「ほら、緊張しないで。リラックスリラックス」


小声で囁くベスの声が耳にくすぐったい。


緊張しないなんて無理だよベス。


心臓がどくどくして、顔が熱くて、息がしづらい。


このままじゃ、顔が燃える。


「リュート様っ♡」


「ん?」


「じゃーんっ♡」


肩越しに振り返ったリュートの目が私の顔を見て、


「っ!!?」


「~~~~っ………」


唖然と目を見開いて、


「どうですかぁ?♡ 綺麗でしょ?♡」


見る見る内に真っ赤になっていくのを見て、私は恥ずかしさに耐えきれなくなって俯いてしまった。


「リュート様、こっち来てくださいよっ♡」


「あ、あぁ………」


「座って座って♡ もっと近くで見てあげてください♡」


「っ………」


俯く私の視界にリュートの足が映り、膝をついて私の顔に高さを合わせるのが分かる。


いつもより少し大胆なのは、お酒に酔っているせい?


「ほら………♡ ヴィオラ様………♡ リュート様が見てますよ?♡」


「ぅ…………」


羞恥心を抑えつけて上目遣いにリュートを見上げてみれば、


「…………」


「っ………!!!!!」


夜の帳の様に深い黒色の瞳が、じっと私の事を見つめていた。


「うふっ♡ ちょっと私………向こうに行ってますから♡」


こんな状況に私達を追い込んだベスはクスクス笑いながらどっかにいっちゃうし、


「………」


「………」


いつもはすぐに逸らしてしまう視線を、リュートは全然逸らそうとしないし、


「へ、変じゃない…………?」


「…………」


そっと伸ばした手が私の頬に触れようとして、


「…………」


「…………」


すぐにハッとして元の位置に戻っていって、


「き………綺麗だ………凄く………」


「…………」


そんな台詞を言って、耳まで赤くなってそっぽを向くから、


「あ、ありがと………」


もう私の頭の中はグチャグチャになってしまっていた。







その晩、いつものように私のベッドに入ってきてくれたリュートは、ベッドの端ギリギリまで行って身体を離そうとするから、私はその背中にぴったりくっついてリュートの言葉を無視してやった。


「………ヴィ、ヴィオラ」


「………」


二人して眠れなくて、結局翌朝寝坊したけど。


びっくりするくらい幸せな夜だった。






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