第4話 君と一緒に 素敵な夢を見たい

10月11日


彼女に車いすを気に入ってもらおうと躍起になった私は、「どこか行きたいところはあるか」と聞いてみることにした。


すると彼女から戻ってきた返答は「キッチン」というもの。


勘違いした私はすぐさま彼女をキッチンへと連れて行ったが、どうも反応がおかしい。

なんだろうかと尋ねてみると、どうやら私が料理をする様子を見たかったらしい。


料理に興味があるのだろうか?


自分の手足で立って歩いていた頃は、料理が趣味だったとか………。


そういえば私は笑えるくらい彼女のことを知らない。


まぁ、尋ねることなど出来はしないが。


それにしても、王国騎士団の烈火の剣姫と料理では随分イメージに差があるような気がしたが、人の趣味にとやかくいうのは失礼なこと。

とにかく今日の夕方から料理をする時には彼女にキッチンへ来てもらう事にした。


私が料理に取り組んでいる間、彼女は終始無言。


もしかしたらアドバイスが貰えるかもしれないと淡い期待を抱いていたが、おこがましい思いだったと思い知らされる結果になった。


どうして私はすぐに調子に乗ってしまうのか………。


何にせよ明日からはこれまで以上に気を張って料理に取り組まねばならない。

調理の過程を見て、彼女が食欲を無くすなどという事が無いようにしなければ。


部屋の隅の穴から顔を覗かせるデュークに味見をしてもらったが、彼(彼女?)は根気強く味見に付き合ってくれている。

ありがとうなデューク。

今度はおいしいチーズをごちそうするから許してくれ。






10月20日


自分が恥ずかしい。

私は卑怯者だ。

今日の夜の湯あみで、彼女の心を傷つけたに違いない。



今日の昼間、突然フラウが訪ねて来た。

心の優しい娘に育ったフラウは、私が家で一人寂しく野垂れ死んでいないか確認しに来てくれたのだろう。


彼女の優しい微笑はいつも通りに私の心を安らげ、温かい言葉は勇気を分けてくれた。


だが、私はそんなフラウの言葉に勝手に影響を受け、ヴィオラの事を意識してしまった。

彼女と、恋人の関係になった自分の姿を想像してしまったのだ。


それはとてつもなく甘美な想像だった。

ヴィオラが私に優しく微笑みかけ、私の耳に愛を囁き、私は彼女の身体を抱きしめる。

そんなシーンが脳裏に焼き付いて離れなくなってしまった。


結果として、私は無自覚に発情していたに違いない。


湯あみの時、私はいやらしい手つきでヴィオラの事を触り、彼女に随分と気持ちの悪い思いをさせてしまったようだった。

時折聞こえた艶のある吐息混じりの声が、歯を食いしばって羞恥と屈辱に耐え、顔を赤く染めていた彼女の表情が、忘れられない。

あんな声を……彼女に出させてしまうなんて。


………いや、私は彼女を神聖視している訳ではない。

彼女の声が悪い訳では無い。

ただ、少なくとも私が聞いて良い声でもない。

私だけは、聞くべきではないのだ。


明日、彼女に謝れるだろうか。


変に謝って、彼女が我慢してくれたことへの侮辱になってしまいはしないか?


誰か答えを教えてくれ。


どうしたら良いんだ。





◇ ◇ ◇




「おい、姉ちゃん。お前魔女かなんかか?」


「…………」


大分冷え込む事が増えた日の昼間。


シトシトと雨が降る早朝に私はリュートの家を抜け出し、街から出る商人のキャラバンに紛れ込んで祖国への街道を進んでいた。


「無視かよ………それとも喋れねぇとかか? 耳が聞こえねぇとか?」


「…………」


身に纏うのは、昨晩の内にリュートに着させてもらった綿入りのローブ。

「最近冷え込むから」と嘘をついて、頭のフードまで被らせてもらっていた。


「何が目的か知らんが………このキャラバンについていきたいのか? そんな速度じゃとてもじゃないけどついてけねぇぞ?」


「…………」


朝の時点では先頭近くに潜り込んでいたキャラバンの長い長い列も、今や最後尾。

一度は引き離されたものの、何とかキャラバンの休憩中に追い付くことができた。


でも、もうそろそろこのキャラバンに寄生するのも無理かもしれない。


「もし金を持ってるんなら俺が旦那に掛け合ってみてもいいぞ? 額次第では荷馬車のどれかにその変な椅子ごと載せてくれるかもしれん」


ゴロゴロと自走する椅子に、赤い瞳。

帯刀もせずにたった一人でついてくる怪しい女に、さっきから声を掛けてくるこの男は相当なお人よしなのだろう。

キャラバンの最後尾を任されているという事は、優秀な護衛であるに違いない。


きっとこれだけ声を掛けてくれるのも、得体のしれない女の無事を純粋に気遣ってくれてのこと。

そうでなければ報酬以上の無駄な面倒ごとを嫌う雇われの護衛が、こんな女に声を掛ける理由などない。


「っ!!」


しかし私はその親切に、殺気を込めた瞳で睨みつけるという行為で仇を働いた。

リュートが作ってくれた車いすを変な物呼ばわりされたことが、無性に腹が立った。


「なんだよ、おっかねぇな」


「…………」


そんな無礼を働かれてもなお、その護衛は怒らなかった。

恐らく本当に心の優しい人物なのだろう。


「………後ろからついて来てるあの三人組、知り合いじゃないんだろ?お前の事狙ってるぞ?」


「…………」


困ったような顔で私の後方を振り返るその瞳には、私が一時的にキャラバンから引き離されかけた時にしつこく声を掛けて来た三人組の男の姿が映っているのだろう。


「悪いことは言わねぇから旦那に頼んでみろよ。今手持ちがないんなら誓約書の一つでも書きゃぁ良い。命に比べれば安いもんだ」


「…………」


馴れ馴れしく私の肩に触れ、ジロジロといやらしい視線を私の身体に走らせた汚らわしい男たち。

キャラバンの最後尾にいたこの護衛の男が時折こちらを睨んでいてくれたおかげで大事には至らなかったけど、このまま引き離されてしまえば何も起こらないはずがないだろう。


「それとも本当に魔女なのか? 自分の身は自分で守れるってか?」


「…………」


「…………まぁ、そんな椅子に座ってるくらいだもんな。余計なお世話か」


私がまたその男の顔を睨みつけると、護衛の男は諦めたように深いため息をついた。


「………俺は行っちまうけど、まだ声が届かない程じゃない。大声で叫んで声が届くうちは、助けが必要だったら呼ぶんだぞ?」


「…………」


既に、キャラバンの最後尾は私からもこの護衛の男からも大きく離れ始めていた。


「…………じゃぁな」


「…………」


わざわざ自分が遅れてまで私の事を気遣ってくれたその男に、結局私はありがとうの一言も言う事ができなかった。


「…………」


誰とも喋りたくなかった。


リュート以外に、私の声を聞いてもらいたくなかった。


リュートにもいっていない「ありがとう」を、赤の他人に言う事なんて絶対に嫌だった。


つくづく、自分の屑っぷりに驚かされる。


こんな人間だったのか、私は。


「…………」


私は子どもだ。

拗ねて駄々をこねる子ども。


「…………」


言い訳しているんだって分かってる。

私がいたらリュートとフラウの邪魔になるからなんて、大嘘だ。


「…………」


ただただショックだったんだ。

リュートの事を愛している女性を目の当たりにして。

私とは違って美しく、私とは違って自由にリュートを抱きしめることができるフラウの存在を知って。


「…………」


嫉妬だ。

勝手にショックを受けて、ひどくセンチメンタルな気分になって自暴自棄になってる。


「…………」


私はいつの間にか勘違いをしていた。

この世界にいるのは、私とリュート二人きりだって。

彼は私の事を大切にしてくれていて、私は彼のことが気になって仕方なくて。


「…………」


きっとこのまま好きになってしまって、そうしたらいつの日かリュートも私の気持ちに応えてくれて。


「…………」


そんな訳ないのに。


あんなにやさしい男を、周りにいる女が誰も愛していないなんてことある訳ないのに。


「…………っ」


あんなに辛抱強く私を助けてくれて、


嫌味の一つも言わず、


私の為を想ってくれて、


いつも気に掛けてくれて、


「………」


いやらしさを微塵も感じさせない手つきで私の身体を清め、


軽蔑の欠片も見えない瞳で私の汚れを拭き、


真剣な表情で私の歯を磨き、


緊張しながら私の髪の手入れをし、


「………」


指に怪我をしながら私の食事を作り、


掃除をする必要もないように見える床を毎日磨き、


私の服と下着を洗い、


毎日花瓶の花を変えてくれて、


「う゛っ……………」


気付かないと思ってるの?


呼んでもいないのに、数十分おきに私の部屋の扉の前まで様子を窺いに来てくれていること。


「~~~~~~っ……」


知らないと思ってるの?


私が寝た後に、音を立てないように毎晩毎晩夜遅くまで私のために何かを調べてくれている事。


「ぐっ……………」


分からないと思ってるの?


あなたが私と出会った頃より、随分やせてしまったこと。


「ふぐっ……………」


もどかしいよ。

何もしてあげられない。


「ぅぐぅううううっ……………」


何もお返しができない。

せめて性欲でもぶつけてくれれば、こんなに惨めな気持ちにならないのに。

私にはそんな価値もない。


「リュート…………っ」


彼は私を憐れんでくれているだけ。

信じられないくらいに優しいだけ。

赤く染まった顔は、彼が高潔な人物だということの証明であるだけ。

私の事が気になっているなんて、そんなおこがましい事思うのは罰あたりだ。


「…………っ」


取られたくなかった。

フラウに。


………違う。


比べられることが惨めだったんだ。


あんなに可愛くて、あんなに優しくて、素敵な女性と。


側において貰えるなら側室でも良い筈なのに、とうに無くなったと思った自分へのプライドは、いつの間にかまた私の中に戻ってきていた。


だから、私はただ逃げ出したのだ。


卑怯者。


恩知らず。


意気地なし。


どんな言葉でも私には足りない。



「おい、何泣いてんだぁ?慰めてやろうか?」


「っ!!?」


だからこれは罰なのだ。

愚かな女である自分への罰。


「なぁお嬢ちゃん?良いだろ?」


リュートと同じ男とは思えないほどに汚らわしい男たちに目を付けられたのは、神からの罰。


「あぐっ………!!」

「おほっ!!!ほら見ろ言ったじゃねぇか!スゲェ上玉だぞっ!!こんないい女見た事ねぇっ!!!」



綺麗だって唯一思って貰いたい相手には、汚い自分しか見せることができなかったのに。



「がぁっ!!」

「いでぇっ!!!!!てめぇこらっ!!!離せっ!!!」

「う゛っ!!」

「はっはっ!!何してんだお前!」

「うるせぇっ!!この女噛みやがった!!」

「がっ………ぐっ…………」

「おい馬鹿、殴んな、折角の上玉だぞ?やるんなら終わった後にしろよ」

「林ん中連れ込め!!」



欲情して欲しいって思った相手は、一度たりとも私の身体を真っ直ぐに見ようともしなかったのに。



「この椅子なんだ?手足が固定されてんのか?これじゃ脱がせらんねぇぞ、邪魔くせぇな」

「切っちまえよそんなバンド」

「っ!!!? がぁぁっ!!」

「あぶねぇっ!! てめぇっ!!大人しくしろっ!!!!」

「おい!だから殴んなって!!抑えとくから早くバンド切れ!」



車いす、大切にするって誓ったのに。



「なんだこいつ……受け身も取らずに落ちやがって……手足動かねぇんじゃねぇか?」

「おい見ろ………なんだこの傷跡」

「いいから先に口塞げ、また噛まれるぞ」

「え?口塞ぐのかよ。俺口に入れてぇんだが」

「阿保か。噛み切られるぞ」


リュート以外に触られるのなんて絶対に嫌なのに。


リュート以外に見られるのなんて絶対に嫌なのに。


じゃぁ、


なんで逃げ出してきたのよ。


何がしたいの?私は。


本当に馬鹿。


「こいつ奴隷じゃねぇか……この奴隷紋作動してんのか……?」

「なんでこんなところに一人でいるんだ?逃げて来たのか?」

「ははっ!!じゃぁやっぱり俺らで慰めてやらねぇとなっ!!」



分かんないよ。



どうすればいいの。



怖いよ。



全部。



「手足動かねぇと抑える必要もねぇから楽だな!!」

「おい、殴んなって。しかし傷さえ気にしなきゃ本当にいい女だなこいつ。」

「な?身体も極上もんだ」

「おら!!股開けっ!!」

「開けねぇだろ。お前が自分で開くんだよ」

「ちっ………!面倒くせぇなぁ!!」

「だから殴んな」



怖いよ。


折角綺麗にしてもらったのに。


また汚されちゃうのが。



「おほっ!!良いじゃねぇか!綺麗なもんだ!」

「ていうかなんでお前が一番なんだよ」

「そういやそうだな、なんでお前なんだよ」

「うるせぇなぁ!!これからって時に!!」



怖くて怖くて。


本当に怖くて。


本当に本当に心の底から嫌で。


あの時は大丈夫だったのに、


あの時は屁とも思わなかったのに、


悔しくて悔しくて。


涙が止まらなくて。


舌を噛み切って死のう。


その思いが固まった瞬間。





「ヴィオラァァァアアアアアッ!!!!」





その声が聞こえた時に。


私はようやく理解した。





「な、なんだっ!!?」

「こっちに来てるぞっ!!剣抜けっ!!おい!!早くしろ!!ズボンなんか履いてる場合かっ!!」

「どうすんだっ!?」

「知らねぇよ!! 皇国の聖都領で強姦なんかしてるのバレたら死罪だッ!!殺せっ!!!!」



違った。


私がリュートの家から逃げ出したのは、プライドのせいなんかじゃなかった。


フラウとリュートに気を使ったからでもなかった。




「ヴィオラッ!!!! ヴィオラァァアアア!!!! お前ら何してんだぁぁぁぁあああっ!!!!」





私は追いかけてきて欲しかったんだ。


彼を試したんだ。


私の事を追ってきてくれるかどうか。





「んぐっ!!!うううううううう゛ぅう゛っ!!!!ぷはっ!!!!リュート!!来ないでっ!!!!来ないでぇぇえええっ!!!!!」

「黙ってろ女ぁっ!!!!!」

「あぐっ!!!!リュート逃げてっ!!!!!逃げてぇぇええっ!!!」




最低だ。


本当にクズ。


私はこの世の中の誰よりも価値がない。


この、私を慰み者にしようとした醜い男たちよりも。




「来るぞッ!!囲めッ!!!躊躇すんなよ!?一気に殺れッ!!」

「やめてっ!!!!お願いっ!!!!やめてぇえええッ!!!!」

「待ってろ!!!!ヴィオラっ!!!!」

「殺せぇぇええっ!!」




お願いです。


誰か助けてください。


お願いです。


今の私では彼を救えないんです。


私は良いですから。


どんな罰でも受けますから。




「許さんぞきさまらぁぁあああああっ!!!!」

「囲めっ!!!油断すんなっ!!!!」




目をくりぬいても構いません。


舌を斬り落とされても構いません。


鼻を削がれても構いません。




「がっ………!!?」

「いやっ!!!!いやぁぁぁぁぁぁあああああああッ!!!リュートっ!!!!リュートっ!!!!!」




脚も手も斬り落としてください。


全てを捧げます。


捧げますから、彼の命だけは………彼の無事だけは…………。




「殺せっ!!!!!!!」

「やめてぇぇえええええええええええええええええええっ!!!!!!!!」





その時響いた声は







「リュート様。 少しだけ目を瞑っていてくれますか?」







いつも元気の良い、少し鼻にかかるような可愛らしい声は、少し悲しげだった。




「なっ!!!!?あぐっ……………」

「な、なんだおま…………ぐっ…………がっ…………………」

「ひっ………!!? ひぃっ!!! ま、待てっ!!!待てって!!!!何だよお前っ!!!」


呆然とする私が見つめる目の前で、その人物は少し紫がかったフワフワとした髪を頭の横で一つのお下げにまとめている。


いつもはつらつとしてキラキラとしているはずの大きな瞳は瞳孔を収縮させ、鋭い怒気を放っていた。


「い、命だけはっ!!!!ゆ、許してっ!!!!!」


両手に持つ短剣であっという間に男二人の喉元を斬り裂いた返り血が、彼女の紺色のメイド服と純白のエプロンを真っ赤に染める。


「べ、ベス…………」

「………リュート様? 目を瞑っていてくださいって言ったじゃないですか」


地べたに這いつくばり、血を流しながら自分を見上げるリュートにそう言って微笑んだベスは、


「ゆるっ………………あっ…………………がっ………………」


一切の躊躇なく、私ですら目で追うのがやっとの動きで、三人目の男の喉元を斬り裂いた。


「駄目ですよ。約束守ってくれなきゃ。こんなの、リュート様には見られたくないです。」


「すまない………ベス………」


ヒュンッ!!と血糊を払い飛ばした短剣を、少し大きなガチンッ!という音を立てて腰に下げた鞘へと納刀した。

身を包んでいるのはメイド服ではあるけれど、一連の動きは相当な剣術の達人であるように見える。


暫くそのまま虚空を見つめていたベスは、やがてクルリと私の方を向いて小さく微笑んだ。


「ご無事ですか?」


「……………え、えぇ」


「良かった………」


ホッとため息をついた彼女の足元は、膝上まで泥だらけ。

余程長い事、雨の中を駆け続けてきたのだろうか。


「カノン様、終わりましたけど」


「そう」


「っ!?」


突如として私のすぐ真後ろから響いた声に、私はビクリと身体を震わせた。

今の今までなんの気配も感じなかったそこには、顔を完全に覆うフードのついた純白のローブを着る人物が立っていた。


「あら、リュート、奇遇じゃない。こんなところで会うなんて」


「カノン………来てくれたのか………ありがとう」


「別に私は何もしてないわ? お礼ならベスに言って頂戴」


カノンと呼ばれた女性が顎をしゃくる先では、斬り殺した死体を林の奥の方へと引きずっていくベスの姿。


「まぁ、暫くそっとしてあげておいた方が良いとは思うけど」


その表情は明らかに意気消沈としていて、花が萎れてしまったかのようだった。


「ベスにあんな思いをさせるなんて……貴方っていつまで経っても本当にだめね。リュート」


「す、すまない」


「謝る前にその娘に服を着せてあげなさいよ」


「っ!? ヴィ、ヴィオラッ!!!」


カノンの言葉に、リュートは慌てた顔で私の元へ走ってきて、自分の服を脱いで頭から被せてくれた。

剣など今日初めて握ったであろう、温かい手が私に触れる。

私を包み込むのは、ここ数か月でいつも側にあったリュートの匂い。


「すまなかった…………っ!」


優しい目。

泥だらけでビショビショの身体。

額から次々に流れ落ちる血。


「許してくれっ…………頼むっ…………!」


抱きしめてくれるかと思ったリュートは、私を抱えて車いすに座らせると、すぐに私の前で額を地面に擦り付けた。


「もう二度と君を傷つけないと誓う………頼むっ………帰ってきてくれっ………!」


何を勘違いしているのだろう。


謝らなければいけないのは私。


謝っても許されない様な事をしたのは私。


「家に帰ろう………っ! 何でもするから………」


ボロボロと涙をこぼす私を見て泣きそうな顔になったリュートは、また勘違いをして、額を濡れた土に擦り付けた。



「許してくれ…………っ!」



許すって何よ。


許してほしいのは私。


貴方は一度たりとも私を傷つけたことなんかない。


本当にただの一度も。



「ヴィオラ……」



なにか言わなきゃ。


違うんだよって伝えなきゃ。


悪いのは私で、リュートは何も悪くないんだって。



「頼む………っ」



頼むって何よ。


私が頼みたいのよ。


家においてくれって。


そばに居させてくれって。


どうしようもないクズで、

嫉妬深くて、

思慕に欠けて、

可愛げがなくて、


「はいはい、それじゃあその辺にしてくれる?あなたの自己満足に付き合えるような精神状態じゃないのよその娘。やっぱりあなたって駄目ね、リュート」


愛する男が殺されかけても叫ぶことしかできず、

愛する男がコケにされても言い返すこともできない、


こんな私を。


お願いだから見捨てないでって。





パチン、と白いローブの女性が指を鳴らす音が聞こえ、ぼんやりとした温かい光が私の周りを包み込む。

途端に嘘のように冷え切った身体が温かくなるのを感じ、私は抗いがたい眠気に徐々に意識を失っていった。


「リュート…………」


完全に意識を手放す前に、必死になって見つめたのは泣いているようなリュートの顔。


「ごめんなさい………」


違う。


言いたいのはそんな言葉じゃなくて。


「……………連れてって……………お家」


伝えたいことがいっぱいあるの。


ありがとうって、


ごめんなさいって、


信じてるって、


側に居させてくれって、


伝えたいことがいっぱいあるのに、



「リュー…ト………」




最後まで、


私は何が言ったら良いのか分からないまま、気を失ってしまった。







◇ ◇ ◇






結局その後、私もリュートもその日の事を話題に上げることはなかった。


ただその日を境にして、リュートは私の髪を梳く時に手袋をしようとした。


「やだ。手袋なんかしないで」


「し、しかしっ………」


「やだっ!!!!!」


1時間にも及ぶ押し問答の末、なんとかその手袋は阻止することができた。


でも問題はそれだけじゃない。

歯磨きをする装置なんてものまで作ってくる。

頭にはめて固定するそうだ。


「やだ、リュートにしてもらいたい」


「し、しかしっ………」


「やだっ!!!!!」



それに、私からの距離が遠い。

あの日の前と比べて、倍くらい距離を取ろうとする。


「もっとこっちに来て」


「し、しかしっ………」


「来て」


「いやそれは………」


「来てッ!!」




湯あみの時も、私に直接触らないように必死だった。


「………タオル、一枚でいいじゃない」


「え゛っ………あ゛っ………い、いや………その………」


「なんで手にタオル巻いてるの? 手袋、嫌って言ったわ」


「こ、これはその………て、手袋なんかではなく………」


「じゃぁタオルも嫌。手でして」


「!!? ま、待ってくれっ!!!!」


「…………リュートの手ならいい」


「そ、そんな事するわけにはっ………」


「………じゃぁ、タオル一枚でして」


「っ…………わ、分かった」




でも、私が急に色々とお願いをするようになったから、結局リュートの試みはどれもうまくいかなかった。


「………リュート」


「………な、なんだ?」


「………その………えっと………」


「……………?」


「今夜から………い、一緒のベッドで寝て?」


「っ!!!!!!!!!?」



だって言ってしまったから。

真面目な彼は、約束を破れない。



「だ、駄目………?」



なんでもするって。

言ってしまったから。



「…………お願い」


「わ、分かった………」



真っ赤な顔で頷くリュートの顔が、愛おしくて愛おしくて、私は喜びに頭がおかしくなりそうだった。


四肢が動いたときにも、こんな喜びを感じたことはない。



「あ、あの…………リュ、リュート…………」


「な、な、なんだ…………?」



こんな安らぎは、感じたことがない。



「キ………………………………」


「キ?」


「キ…………キ………………………」


「ど、どうしたんだ? 気分が悪いのか?」



オロオロとする顔が可愛くて可愛くて。

布団の中を満たすリュートの体温が温かくて嬉しくて。



「な、なんでもない……………」


「そ、そうか…………?」



その日から、私は驚くほどよく眠れるようになった。




「お、おやすみっ!!」


「あ、あぁ………おやすみ」




悪夢も、もう見ることはなくなった。


代わりに見るようになったのは素敵な夢だけど、









どんな夢かは、秘密。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る