第12話 嘘つきの君と 月の女神と 緑色のドラゴン

1月5日


アルトの行方について教会内で私を疑う勢力があるというカノンからの情報が入った。

その直後に神姫フォルテと神姫アリアから訪問の連絡が入り、ベスの発案の元一芝居打つことになった。


フラウは事務的な報告しかしていないから今回の案が採用されたわけだが、私としては心が傷んで仕方がない。

いくら演技とはいえ一時でもヴィオラに無礼を働く事に、自分でも驚くほど抵抗感を感じた。


当のヴィオラにやれと言われればやるしかないのだが、果たして私にやり通すことはできるのだろうか………。


ましてや明日来るのはアリア。


彼女の冷静な観察眼の前に、私の付け焼き刃の演技が通用するかどうかは甚だ怪しい。


………これもヴィオラの姉であるアルトを守る為。


私も覚悟を決めなければいけない。






1月10日

困った。

アリアが何故か度々訪問してくるようになった。

ヴィオラに会わせろとは言われないのでなんとか事なきを得ているが、このままではボロが出るのも時間の問題だ。


カノンからの申し出でアルトに関してはカノンの屋敷に匿ってもらうことができたが、果たして大丈夫だろうか。







◇ ◇ ◇







絶対におかしい。


「………アリア、お茶のおかわりはいるかな?」

「お構いなく………」


やっぱり絶対におかしい。

あのリュート様がいくら奴隷とはいえ、女性をあんなふうに扱うなんて信じられない。

報告を上げたときに教会の奴らは下品な笑い声を上げてリュート様を馬鹿にしていたけど、私はどうしてもあの日に見た光景が信じられなくて、時間を見つけてはリュート様の自宅を訪問するようになっていた。


「えっと………それで、今日はまたどんな要件で………」

「…………そうですね、何かまた魔道具でも見せて頂けませんか?興味があるので」

「魔道具か………分かった」


さらに言えば、リュート様にばれるのを承知の上で周囲の聞き込みを行った結果、ヴィオラさんと思しき人物を車いすに乗せて街を散策している姿を見たという証言があちこちから集まってくる。

ただ無言で歩いていたというものから、仲良く楽しそうに話していたというもの、何やら口論をしていたというもの、リュート様が奴隷と思しき女性を殴っていたなんて噂も聞いた。


情報がめちゃくちゃだけど、比較的多いのは好意的な目撃証言だ。


元々リュート様はマッドサイエンティスト扱いをされているから街の住人からも敬遠されがちだけど、孤児院を支援している事情を知っている者達や、皇国への功績を知っている者達からは根強い人気があるのもまた事実。

私だってその内の一人だ。


だからこそ、どうにも今回の件が信じられない。


それに怪しいのはリュート様だけではない。

今回のリュート様の調査はカノン様ではなく、枢機卿の取り巻きから降りてきた。

カノン様に何故と問うても返事は返ってこず、訳の分からない状況になっている事が感じられる。

逆になんでカノン様はリュート様の行いを咎めようとしないのか?

そんなの決まってる。

リュート様のこの前の行いはフェイクだから。


「あーじゃぁ………これなんてどうかな………自動で掃除をしてくれる魔道具なんだが………」


先日のリュート様の話………魔道具の遠隔操作って言葉に衝撃を受けてよく考えなかったけど、この方の本分は兵器の開発なんかじゃない。

あまりにもよくできた仕組みだから軍事転用されたものが多すぎるけど、元々リュート様の発明品は平和利用を前提として開発されているものばかり。

大病を患った私の父を救った医療器具だって、父の為にリュート様が開発されたものだ。


それなのに、急に軍事転用することが目的みたいに奴隷を買った?

そんなのおかしいでしょう。いくら何でも。


「なんだか可愛いですね………」

「そうだろ? なんだか愛着が湧くんだよ。よければ持って行ってくれ」

「よろしいのですか? リュート様の発明品は全てセレナーデ様を通してからではないといけないはずですが……」

「あぁ。マラケス様にもいつもお世話になっているからな。これくらいお安い御用さ。それにセレナーデ様もある程度の自由は与えてくれている。アリアが気に病むことは無いよ」


床の上をウィンウィンという音を立てながら転がる箱を見ながら、リュート様は優しい目をしてそれを見つめている。

その横顔はいつもの優しいリュート様。

とてもではないけど、奴隷に対して酷い仕打ちができるようには思えない。


「リュート様」


いや、もしかしたら、酷い仕打ちをしないでいて欲しいと私が思っているだけなのかもしれない。


「ん?」


「何か、私に嘘をついていませんか?」


「え?」


もし、そうなのだとしたら私はどうしたいのだろう。

リュート様が嘘をついていたとしたら、職務的な話で言えば私は教会に報告を上げなければいけない。


でも、隠された真実があったとして、私はリュート様を教会に差し出すなんて事出来る訳が無い。


この間の訪問だって教会に対する面目を果たすためだけのものだったんだ。

リュート様への疑いなんて、フォルテはともかくとして私は微塵も持っていなかった。

フォルテの手前、この間は他人行儀にしか接してくれなかったけど、今日は私は神姫としてではなく、一個人としてリュート様を訪問している身。

いつも通りに砕けた口調で接してくれていることからも、リュート様も私の意図はちゃんと汲んでいてくれているはずだ。


「う、嘘とは………?」


「ヴィオラさんの事です」


だから、今なら真実を教えてくれるかもしれない。


どうしても知りたい。

嘘じゃなかったならそれでもいい。


ショックではあるけど、私がリュート様の性癖にとやかく言えるような立場ではないことは分かっている。


「何が嘘だと思うんだ?」

「………分かりません。でも違和感は感じます。リュート様があのような扱いを奴隷に対してするとは思えません。」

「………それは買いかぶり過ぎだ。俺にだって君を始めとして他人に見せていない部分は沢山ある。軽蔑するかもしれないが、何も嘘などついていないよ」

「…………リュート様はあまり女性に興味が無いように見えましたが?」

「そんなことは無い」

「お付き合いしている女性も、その手の店に通っているということも無いのにですか?」

「な、なんでそんな事知ってるんだ?」


………。


喋りすぎたかしら………?

いや、でも今はそんな事はどうでも良い。


「あの奴隷を手に入れてから………急にそういった欲が増したとでも?」


まぁあれだけ美しい容姿をしているのだからそれもあるかもしれない。

私だって多少は自分の容姿に自信があったけど、彼女は薄汚れて傷だらけでも尚私より美しかった。


「あ、い、いや…………えっと…………フラウ、そう、フラウとそういった関係だった。男女の関係だ」


その途端、


――――ガシャンっ!!!!


とキッチンの方から派手に皿が割れる音が響き、何やらフラウさんの「ふわぁぁぁぁッ!!?」という悲鳴が聞こえてくる。

………何があったかは知らないけど、大丈夫だろうか。


「フラウっ!!?」


慌ててキッチンの方に走っていったリュート様の背を見送って待つこと数分。


「………」

「………」


何故か真っ赤な顔をして俯くフラウさんを伴ってリュート様が戻ってくると、二人は何とも言えない空気を醸し出しながらソファーに隣同士になって座った。


「………」

「………」

「………」


奴隷のヴィオラさんも美しいけど、このフラウさんも目を疑うほど可愛い。

タイプの違う二人ではあるけど、こんなに綺麗な二人が側にいたら性癖に影響を与えるかもしれないっていうのは一理あるかも。


「………フラウさん、あなた、リュート様と恋人でいらっしゃるんですか?」


「はぇっ!!?そ、そんなっ………わ、私なんかがリュート様の恋人だなんてっ………」


「しかし先ほどリュート様はフラウさんとそういった関係があると………」


「あっ………え、えっと………そ、それはっ………そのっ………か、身体の関係というかっ………」


………。


いくら何でも怪しすぎるでしょう。


………。


いや、でも身体の関係を公開しろと言われれば確かに恥ずかしい。


………。


嘘じゃないのかな?

怪しいけど、確定的というほどでもない。


「………本当ですか?」

「ほ、本当です!えっと、そのっ………リュート様はそういうことお好きですのでっ!!」


………どういう事よ。

なんだか問い詰めてる私の方まで恥ずかしくなってくる。


リュート様だって男性なんだから、そういう一面があってもおかしくなんか無いけど………。


それにしたって二人の座る距離は大きく開いているし、身体の関係があるという割には随分と理性的な距離感があるように思える。


「っ…………」


私が訝しんでじっと見つめていると、フラウさんも慌てるようにしてリュート様にピトッとくっつくし、さらに見つめていれば顔を赤らめながら腕を組んだりして………絶対怪しい。


「………嘘ついてますよね?」

「つ、ついてませんっ!!」


これだけウブな反応をしておいて?

リュート様相手に嘘ついてるとか言って怒られそうなものだけど、私はリュート様がそんなことくらいで怒ったりしない事をよく知っている。


だからこそ、絶対にこれは嘘。


「信じられません」

「そ、そんなこと言ったって………!!…………リュ、リュート様っ!! し、失礼しますッ!!」


チュッ………。


とリュート様の頬にキスをしたフラウさんは、途端に爆発しそうな勢いで赤くなって顔を両手で押さえてしまう。

リュート様にしたって赤くなってるし。


「………」


なんだろうか。

ちょっとムカッとした。

………いや、かなり。


「………ど、どうですか?」

「どうと言われても………身体の関係なんですよね?」


イライラする。

今すぐ頭を掻きむしって、無意味な叫び声を上げたい気分。


「頬にキスをするだけで………随分と赤くなられるんですね?」

「うっ………そ、それは………人前だからで………」


フラウさんがリュート様に対してのっぴきならない好意を寄せている雰囲気は感じる。

私はそういう事に疎い自覚があるけど、それにしたってこれ程あからさまなら分からないはずがない。


「く、口にだってできますっ!!!」

「フ、フラウ………」

「できますっ!!!」


いや別に見たくないんですけど。

どうして私がフラウさんとリュート様の愛を見せつけられなくてはいけないの?


「どうぞ?」

「ど、どうぞって………」


見たくないけど、でも、できるもんならしてみれば良いじゃない。

別に私は何にも思わないわよ。


もう私の中では二人に身体の関係がない事なんて確信に変わってる。


この反応を見るに、キスだってしたことも無いんじゃないの?


「わ、私はリュート様の首筋にだってキスしてますっ!!」


嘘ばっかり。

そんな事できるような様子にはとてもじゃないけど見えないわよ。


「大切なところも見せちゃってますっ!!」

「お、おいっ………」


嘘ばっ……………


……。


…………。


嘘だよね?


一瞬リュート様の視線がフラウさんの下半身に走ったけど、今の視線って何?

何か思い出したように赤くなったのって何?

っていうか見せるって何よ。

身体の関係って設定なんでしょ?

言ってる事、滅茶苦茶じゃない。


「ど、どうしたら信じて貰えるんですかっ!?」

「………」


必死な顔でそう聞いてくるフラウさんと、困った様子でこちらを見つめてくるリュート様。

やめておけばいいのに、私はなんだか意地を張ってしまってくだらない挑発を口にしてしまった。


「そうですね………口にでもキスできるって言うなら、せめて私の目の前で口にキスしてもらわないと信じられません」

「っ………」


どうせできるわけない。

なんでかは分からないけど、その時の私はそう思っていた。


「分かった………」


「エ゛ッ!!!?」


「え………?」


だからリュート様がそう言ってフラウさんの肩に手を置いた時、私は思いの外びっくりして言葉が出てこなくて、


「フラウ、目を閉じてくれ」

「ちょっ…………ちょっ…………リュ、リュートさ…………」


燃え上がりそうな程顔を赤くして肩が震えはじめるフラウさんが、ゆっくりと近づいてくるリュート様を前にしてギュッ…と目を瞑った瞬間も、私はまだ口を開けたまま間抜けな顔を晒していた。


その時私は自分が何を考えていたか未だに思い出せないんだけど、


「~~~~~~~っ!!」

「…………」


もう、ほんのちょっと背中を押せば二人の唇が重なってしまいそうな時になって、


「やめてっ!!!!」


響いた叫び声が自分のものだと気付いて、私はあまりの驚きに身を強張らせたのだった。







◇ ◇ ◇







皇国正教会、聖都、神姫特別棟。


「はぁ………」


「ん?お疲れ?」


「………そう見える?」


「そうだねぇ………少なくとも元気が無さそうには見えるよ」


フォルテの優し気な目に見つめられながらもう一つため息をつくと、私は休憩室の椅子にドスンと音を立てて座り、背もたれに深く身体を沈めた。


全身が疲れているし、身体が重い。


原因は分かってる。


寝不足のせいだ。


「フォルテ………私、クマできてる?」


「あ、ほんとだ。出来てる。寝不足なの?」


「うん………」


化粧の上からでも分かるのか。

化粧を落とせば随分と酷い顔をしているんだろう。


「どうしたの? 何か心配事?」


「…………よく分かんない」


「?」


あの日、リュート様のご自宅でフラウさんとリュート様がキスをしようとした日。

私は二人のキスが後ちょっとという所で無意識に叫び声をあげ、その後は逃げるようにしてその場から退散していた。


「アリアちゃんが悩み事なんて珍しいねぇ………?」

「………そうでもないわ」


何故あんなところで叫び声をあげてしまったのか、自分でも未だによく分からない。

自分で自分の気持ちが分からなくなる経験なんて初めてで、あの日からフラッシュバックするようになった光景にずっと悩み続けている。


頭に浮かぶのはフラウさんにあと少しでキスをするところだったリュート様のお顔。

リュート様のあんなお顔、初めて見た。


そして一番の問題点はそこではなく、回想の中でリュート様がキスをしようとする相手がフラウさんから時折自分に代わってしまって………。


「っ…………」

「アリアちゃん、具合悪いんじゃない?顔赤いよ?熱?」

「………な、何でもない」

「そう?無理しないでね?」


そんな夢を夜ごとに見ては飛び起きるのを繰り返し、気付けば酷い寝不足と体調不良といった有様だ。

やらなければいけないことが山積みの今、体調を崩している場合ではないというのに………本当に勘弁して欲しい。


「やっぱり………リュート様の事、結構ショックだったんじゃない………?」

「な、何………? 急に………」


心配そうな顔をしながらそう聞いてくるフォルテを見て、私はしどろもどろになりながらフイと視線を逸らした。

フォルテは普段はおっとりしてるのに、こういう時はたまにドキッとさせられるような事を言う。


「だって………リュート様ってアリアちゃんの許婚なんでしょ………?」

「ち、違うわよっ!!!」

「え?そうなの?だってマラケス様が………」

「あれはお父様が勝手に言ってるだけ!!約束でも何でもないっ!!」

「そうだったんだ………ごめん、私よく分かってなくて………」

「……………リュート様にも迷惑が掛かるからそんな話広めないでよね」

「う、うん………」


そう、そんな話があるから変にリュート様の事を意識してしまうのだ。


過去、私のお父様は体内のマナ回路が硬質化してしまう難病に掛かっていた。

私が産まれるまでは元気だったらしいけど、私の誕生とほぼ時を同じくして発症したらしい。

日に日に身体の自由が利かなくなり、ついには食事すら満足に食べられなくなった。


やせ細り、日を追うごとに弱っていくお父様を看病する私達一家は、ほうぼうに手を伸ばして名医と呼ばれる医者を呼んだものの、お父様の容体が回復する兆しは見られない。


もう駄目なのかもしれない。


何年にも渡る看病に疲れきったお母様も過労で倒れた頃、私達一家はそんな思いに支配されるようになった。


当時はまだ、私も将来自分が神姫になるなど夢にも思っていなかった時期。他に頼る者も無く、私達一家はお父様が倒れれば一気に立場が悪化する状況にあった。


使用人たちも我が家の危機を察知して、我先にと暇乞いを出す様な有様。さらに残ってくれていた使用人までお父様と同じ症状を訴えるものが出始め、もう私達には一寸先の未来も見えないような状況だった。


日に日に閑散としていった屋敷の様子は今思い出しても胸が痛い。

幼いながらに自分達がどうしようもない状況に追い込まれたのだと理解した私は、毎日一人で部屋で声を押し殺して泣き続けていた。


………。


そんな時だ、リュート様が突然我が家の門を叩いたのは。


当時名が知れ渡り始めた新進気鋭の魔導技師。時を同じくして教会で頭角を現し始めたカノン様の紹介ではあったけど、大した実績も無かったリュート様に対する期待は殆どなかったはずだ。

平時であれば私の家の者はリュート様を追い返していただろうけど、その時は藁にもすがる思いだったに違いない。


「マラケス様はこの国にとって失ってはいけないお方。必ず治して見せます」


屋敷の中に招き入れられ、静かな面持ちでそう言い切ったリュート様の姿は、当時の私には信じられない程心強く映った。


私はあの時まだ6歳。

リュート様にしても僅か15歳だった。


たちどころに見たことも無い様な魔道具が家に運び込まれ、お母様は気が気ではなかったようだった。

だけど……当時の私は何故か無条件にリュート様の事を信頼しきっていた。


どんな名医でもしてこなかった事を、リュート様だけがしてくれる。

見たことも聞いたことも無い様な最新の技術を使いこなしてお父様の病に立ち向かってくれる。


何より、リュート様は唯の一度も「無理だ」とは仰らなかった。


そして実際お父様の容体は日を追うごとにどんどん回復の兆しを見せ始め、


「もう、大丈夫でしょう」


半年がたったある日、リュート様がそうおっしゃった瞬間、私達家族は皆一様に泣き崩れた。


あの時、リュート様は泣きじゃくる私の頭をそっと撫でてくださった。

優しい瞳で。

優しい手つきで。


そうして優しい声で仰ったのだ。


「よく頑張ったね」と。


私はあの時のリュート様のお姿を一度たりとも思い出さない日は無かった。


それは私の家族にしても全く同じで、容体が回復したお父様はお母様と共に事あるごとにリュート様に、「将来アリアを嫁に貰っていただけないか」と言い出す始末。


何度「リュート様にご迷惑だからやめて」とお願いをしても、お父様もお母様も未だに諦めていないらしい。


「天才という言葉があれほど当てはまる人物を、私はリュート様以外に見たことが無い。アリア、なんとしてでもリュート様にお仕えしていつかご恩をお返しするように。精進し、リュート様に相応しい女性に育ちなさい」


天才という評価は全くの同感だけど、後半の内容には今まで一度も頷いたことは無い。

私はリュート様に相応しい女性に育つどころか、選りにもよって神姫などという立場に立つことになってしまった。


………。


神姫に選ばれたと聞いた時。

私の家族は誰もそれを祝福してはくれなかった。


………。


当たり前だ。


男を物のように扱うとされるこんな職業、家族どころか、私ですら望んでなどいなかったのだから。





「………」




でも、私はリュート様の役に立ちたかった。

あの方が生きる皇国を守る力が手に入ると聞いた時、私は神姫になることを躊躇わなかった。





「…………アリアちゃん?大丈夫?」


「え………?あ、あぁ………ごめんなさい、ちょっとボーっとしてた………」


「本当に無理しない方が良いよ? 今日はもう帰って休みなよ。後はもう報告だけなんだから、私一人でもできるし」


心配そうな顔でこちらを覗き込んでくるフォルテに、私はいたたまれない気持ちになって首を振って見せた。

辛いのは私だけじゃない。

フォルテだって同じだ。

むしろ平民出身のフォルテは、私なんかよりも余程辛い思いをしてきている。


私なんか恵まれている方なんだから、しっかりしなくちゃいけない。

そう思って深いため息をつき、軋む身体に鞭を打って立ち上がろうとしたその時





「あら、誰かと思えばあなた方でしたの?」




癪に障る甲高い声を響かせながらドアを開けて休憩室の中に入ってきた人物を見て、私もフォルテも一様に顔をしかめた。


「なぁにその顔? 失礼じゃありませんこと? 喧嘩売ってますの?」


「売ってない………こんなところに何の用よ」


「はい? 私が休憩室に来るのに何か用がないといけませんの?」


「あなたいつもこんな薄汚いところに居られるかって言ってるでしょ。それがどういう風の吹きまわしだって聞いてるのよ」


「ア、アリアちゃん………マルカート様も………け、喧嘩しないで………」


趣味の悪い縦ロールの金髪。

教会から支給される神姫の紋章が入ったマントを勝手にごちゃごちゃと装飾し、その下には胸当てもつけずに赤いドレスを着てる。

見ているだけで胸やけがしそうな格好をした女。

ただその装飾の中で異様な放つのは手に付けた手甲と膝までを覆う白銀の足甲。


神姫マルカート。


特級神姫の中で唯一拳闘士を生業とする彼女は、先の大戦でも悪い噂が絶えなかった曲者だ。


「喧嘩なんかしていませんわ。ところで前々から思ってるんですけど、フォルテは何故アリアの事をちゃん付けしてますの?家柄的には私とアリアの家は同格。いくら同じ特級神姫と言えど、平民出身のあなたがちゃん付けでは失礼ではありませんこと?」


「あっ………うっ………そ、それは………」


「………余計なお世話よ。私が様付けはやめてってフォルテに頼んだの。ほっといて」


高飛車女。

いちいち癪に障る。

これで部下からの評価は異様に高いというのだから意味が不明だ。マナによる支配だけではなく、薬でも盛っているのだろうか?


「ふぅん………?何か事情があるのかと思っておりましたけど、ただの馴れ合いでしたのね。アリア、あなたには貴族としての尊厳ってものが足りてないのではなくて?」


「………余計なお世話だって言ってるでしょ。何が貴族としての尊厳よ。偉そうにしてるだけが貴族だって言うならそんなものクソ喰らえだわ」


私がそう言って毒を吐くと、マルカートは腹の立つ表情を浮かべながら「まっ、お下品」などと言ってわざとらしく口に手を当てて見せる。

そんなマルカートを私が睨みつける中、マルカートは私の視線など一切気に掛けずに髪をぶわりと肩の後ろに流し、腰に手を当ててふんぞり返った。


「貴族の責務もお忘れになっているんですのね………まぁよろしいですけど。なんで私がこんなところにと仰いましたね。私、ちょっと気になることがあって尋ねて回っているところでしたの。ついでですからあなた方も答えてくださいまし」


「………気になること?」


「えぇ、先日起きた修道兵殺しの件ですわ」


「………」


王国に続く街道脇の林で、皇国所属の三人の修道兵が殺されたという話か。

確かにこの件はマルカートの部隊が調査を引き受けたと聞いているけど………。


その件に関しては私は何も知らない。


修道兵にしたって知り合いでも部下でも何でもないし。


「調べている内に、修道兵が殺される直前に不審な人物が目撃されていることが判明しましたの。複数人ですわね」


「………」


「一人は自動で動く椅子に乗った女。容姿は分かりませんわ。深くローブを被っていたそうですから」


自動で動く椅子………?


もしかして魔道具?


「次にメイド服を着た女、紫色の髪をして、ポニーテールだったそうですわ」


………………。


それって元紳士親衛隊隊長の神姫のカルテットの所にいた…………いや、でも……紫色の髪はそこまで珍しいわけでもない……。


「最後に、剣を持った男。長身でやせ型、黒髪で短髪、目つきは悪かったと」


「…………」


「お心当たりはありません事?」


「…………無いわね」


「フォルテは?」


ツイと視線を横に走らせると、フォルテと一瞬だけ目が会った。


「あ、ありません………」


「あらそうでしたか。まぁ、期待はしていませんでしたけど」


心臓の鼓動が跳ね上がった。

平静を保たなければ。

四肢が動かない者の為のような魔道具、紫髪のポニーテールのメイド、目つきの悪い黒髪の男。

頭の中に思い浮かぶのは、さっきまで自分が回想に耽っていた人物。


それに今の話だけでは不明確な事が多すぎる。

余計な迷惑を掛ける訳にはいかない。


「用件はそれだけ? 用が済んだならとっとと出て行ってくれない?」


「辛辣ですわねぇ………そうそう、折角ですからあなた方も見てみませんか?珍しいものが手に入ったんです」


「………何を白々しい態度を。………どうせまた何か自慢しようと思ったのが本命なんでしょ」


「いちいち噛みつかないでくださいまし。 ………オラトリオ、お入りなさい」


「オラトリオ………? ………………なっ…なに!!?」


――――ジャラ


と重い鎖の音を響かせて扉の影から姿を現したモノを見て、私は背筋に戦慄が走った。


四肢に浮かぶ鱗。


蜥蜴のような尻尾。


燃えるような赤い瞳。


額から短く伸びるねじれた角。


「ド…………ドラゴニアの…………幼生体?」


「あら、博識ですわね。教えて差し上げようと思っていましたのに。山中で任務にあたっていた時、偶然出くわしましたの。」


嘘だ。


偶然出くわす様な存在じゃない。


聖域の中にあって魔術式で姿を隠して生活する彼らは、滅多な事では人前に姿を顕わす事などないらしい。


首と手首、そして足首に繋がった鎖には異様な程に大きな鉄球がぶら下げられ、その鉄球一つ一つに術式の紋様が刻まれている。

明らかに自分の意思でこの場所にいる訳ではない。


その瞳は疲れ切っているのか半眼に閉じられ、焦点もおぼろげになっているように見えた。


「あ、あなた何を考えているの?ドラゴニアの幼生体なんて攫って来たら………」


「攫った訳ではありませんわ。この子が私についてきたんです。枷は万が一のために付けているだけ。そうでなければ周りがうるさくて連れて歩くことなどできませんもの」


雄の幼生体だろうか………。

あまりにも中性的な顔立ちをしているからぱっと見では雄なのか雌なのか判然としないが、マルカートに付き従っている所を見るに十中八九雄だろう。


「マルカート………あなた、マナでこの子を惹きつけたわね?」


そうでなければいくら幼生体とはいえ、こんな人里のど真ん中まで大人しくドラゴニアが付いてくる訳が無い。


「人聞きの悪い。言ってるでしょう?この子が勝手に寄ってきたから保護しただけです」


「保護って………! 鎖につないでおいて何を言ってるのよ!! 親が取り返しに来るわよっ!!?」


「大丈夫ですわ。ねぇ?オラトリオ?」


「は、はい………!」


「っ!!?」


人語をこんなに自然に喋るなんて………。


本当にまずい。


相当に知性の高い個体だ。


親の個体も同等以上の知性を兼ね備えているに違いない。


親が子を取り返しに来たら……下手をしたら聖都が吹き飛ぶ。


この馬鹿女………っ!!


王国が滅びた途端、王国が聖域として守ってきた山中に分け入ってドラゴニアを攫ってくるなんて………!!


「オラトリオは………私のものですものね?」


「マルカート様………」


マルカートに頬を撫でられたドラゴニアの幼生体は、途端にうっとりとした表情を浮かべ、頬を赤く染めてマルカートを見つめていた。


明らかにマルカートの強烈なマナに酔っているような反応を見せている。

まだ幼生体だから抵抗力が弱いのかもしれない。


親が大切に育てて来たはずだ。


悪意のある蠱惑的なマナになど、まだ触れたことも無いのだろう。


「ですからご心配いりませんわ。親の個体が来たとて、オラトリオの意思を確認すれば引き下がるはずですから」


そんなの、上手くいくはずがない。


「………教会はこの事を知っているの?」


「知ってますわ。教皇様に報告しましたもの。教会の象徴であるドラゴニアを連れてきたことを、大層お喜びになっておいででしたわ」


「っ………!!」


どいつもこいつも危機感のない。


教皇の名前をちらつかせて入るけど、どうせ首謀者はコラール大司教かアレグレット大司教のあたりだろう。

彼らは派閥に未所属の神姫を次々に取り込んでいる。

なにかきな臭い動きをしているってもっぱらの噂だし、ドラゴニアの捕獲をマルカートに命じたのはその動きの一環に違いない。


「あら、そんな怖い顔なさらないで? 羨ましいんですの?」


「馬鹿言わないでっ!!!!」


私がマルカートを怒鳴りつけた途端、オラトリオと呼ばれたそのドラゴニアの表情が一変して殺気を放った。

余りの威圧感に私が思わず顔を青くして後ずさる中、


「ふふっ♡ 嫌ですわねぇ短気なお方って…………ほら、オラトリオ。気にしなくて構いませんから」


「はい………マルカート様」


ギュッ………とマルカートの胸の中に抱かれ、陶酔しきった表情を浮かべるドラゴニアの幼生体を見て、私は胸の中に吐き気がこみ上げてくる思いだった。







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