友紀(ゆき)第2章『過去の先に見出す”もの”』

🗡🐺狼駄(ろうだ)@ともあき

第1話 過去を見る能力

 親父の運転で送って貰った飲み屋街。ネオンなど何もなかった串良くしら川の橋を渡った先。突然現れる少し不自然な場所。

 都会に住む里菜が見たらさぞ驚く事だろうが、俺にとっては慣れたものだ。


 一見他の店の佇まいに比べると、少々こじまんまりとした印象である居酒屋の引き戸を開く。

 開けてみれば本日も大盛況。強かに酔った大人の声に混じる子供の声。飯が美味いので酒が飲めない人でも、食事だけで満足出来る店だ。


 俺は隙間を縫う様に掘り炬燵のカウンターの一番左端の席を陣取る。ここは俺が訪れる時の指定席だ。


「おぅ、お疲れっ。おばちゃん、親父の八千代伝のボトル、ロックで宜しく」

「おぃ、親父さんに送って貰っときながら酒もたかるのかよ」

「あとツマミは枝豆といつもの奴で」


 悪友、仮屋園かりやぞの孝則たかのりがカウンターの向こう、餃子を焼きながら煽ってくる。

 俺は此奴から酒も煙草も習ったのだ。それも高校時代にだ。


 孝則たっくんは、俺の親父の自動車整備工場で日中は働きつつ、夜は両親の経営しているこの店を手伝っている。

 口は悪いが性格はとても良い。


「いいんだよっ、ただでさえ親父は飲み過ぎなんだ。それに酒なんて俺の稼ぎでいくらでも飲ませてやる」

「おっ、そうだったな。じゃあいくかっ?」

「おぅ!」


 自分でジョッキに生を注いだ孝則たっくんが、俺のグラスとかち合うのを待っている。


園田そのだ友紀ゆきぃ、横浜・F・マリノス入団おめでとうっ!」

「おぅ、あんがとなっ!」


 孝則たっくんの少々荒々しい乾杯で、グラスが割れやしないか一瞬ヒヤリとする。けれど満面の笑顔と合わせて、心からの祝福を感じ俺の顔もほころんだ。

 氷を浮かべた八千代伝をあおる。焼酎らしくない甘い飲みやすさと、キツすぎない芋の香りが心地いい。


「しかしよぉ、本当に良かったのかよ? トリニータだったら11番のユニフォームとレギュラーほぼ確定だったろ?」

「提示額も高かったしな。けどどうしても選手層の厚いマリノスでやりたかったんだ」


 2019年8月の天皇杯、名古屋グランパスを3-0で破った俺達鹿屋体育大サッカー部の次の相手が、その大分トリニータだった。

 1-2で惜敗したものの11番の活躍は、スカウト陣の目に留まったらしい。


 だが俺はトリニータよりも、良くない条件を提示したマリノスの方を選択したのだ。


「まあ、らしいっちゃあらしいけどなっ。でもよお、お前が本当に狙ったのは横浜じゃなくて東京の彼女なんじゃねえの?」

「そりゃ大事だろうが。俺は何れマリノスで活躍して代表入りした後に、世界に羽ばたく男だっ!」

「言うねぇー、要するに時間がねえからさっさと里菜ちゃんとの仲を縮めてこうって腹だな? ……って言うかよお、お前ら何処まで訳?」


 優秀なディフェンスの如き孝則の詰めに、俺は真っ赤な顔をつい背ける。


「あっ!? さてはもうやっちまったのか? カーッ、信じらんねぇ。体育大の切り込み隊長はの方もシュート済ってか?」

「はいはーい、どうもこんばんわぁ」


 孝則の下世話な話が始まった所に、俺のスマホから女子の楽し気な声が飛び込んでくる。


「り、里菜ちゃん!?」

「へへっ、お風呂上がったよってLINEする前に通話しちゃった。ところでって何の話かな?」


 ビデオ通話の向こう、鈴木里菜がてへぺろしながら割り込んできた。

 その手には準備万端とばかりにレモン酎ハイを手にしている。


「友紀、お前いつ電話取った? 着信音聞こえなかったぜ。それにオン飲みするとか聞いてねえし」

「そうだっけ?」


 孝則のツッコミに俺はとぼけた顔をする。


「あ、あのう孝則君。私、お邪魔だったかしら?」

「と、とんでもないっ! 里菜ちゃん風呂上り? すっぴんも可愛いなぁ。ところで俺の事も親しみを込めて、たっくんって呼んでくれていいんだぜっ」

「……そ、それは断ります」


 里菜は真顔でそう言うと、500ml缶のレモン酎ハイをいきなり一気に飲んでプハァーとやる。多分半分程は飲んだのではなかろうか。


「り、里菜ちゃんって実は結構イケる口?」

「お、お前そんなに飲んだっけ?」


 孝則の疑問は俺の疑問でもあった。天皇杯の応援で名古屋まで来てくれた時、一緒にささやかな祝勝会をしたのだが、そんなに飲んでなかったと記憶している。


「えへへっ、なんか最近飲む量が増えちゃって……」

「だ、大丈夫かよ。気分転換は大事だけどやり過ぎは毒だ」


 ちょっと恥ずかし気に頭をかく里菜を見て、俺は少し心配になった。未だ上手くいってない事を抱えているんじゃないかと。


「だ、大丈夫だよぉ。この位ヘーキヘーキ。そ、それよりもさあ…友紀の前にある食べ物は何?」

「あ、これか? 山芋の天ぷらだ。切った山芋じゃないぞ。すりおろした山芋を揚げてるんだ。中がふわっふわでな、これは必ず注文するんだ」

「えーっ! 何それズルーいっ! 私なんかコンビニの焼き鳥と唐揚げなのにーっ」


 俺の返答を聞いた里菜が頬を膨らませて、言われてもどうにもならない文句を入れてくる。

 里菜よ、お前普段何食ってんだ? 料理が出来るのか俺は将来に不安を感じた。


「まあ、いいわ。それで孝則君が話したい事ってなあに?」

「あ、そうだ。ちょっと辛気臭くて、意味分かんねえ話をしちまうかも知れねえけど……」


 実に気持ち良く1本目をアッサリと空けて、2本目のプルタブを開けながら話す里菜と、対照的な少し暗めな表情に変わる孝則。因みに此奴はいくら飲んでも普段と変わらない。


「あの去年の秋、里菜ちゃんとお前に歌奈ちゃんが海に落ちた事を連絡したあの晩の事だ」

「………っ?」

「あ、俺等が輝北きほくにいた時に連絡をくれたやつだな」


 聞いた途端、スマホ向うの里菜の顔色が少し悪くなった様に感じられた。


「こ、これから俺が言う事はかなり狂ってると自覚している。だが信じて欲しい」

「あ、嗚呼……」

「う、うんっ……」


 俺と里菜は実にらしくない孝則の真面目な表情に思わず息を飲んだ。


「お、俺は翌朝のニュースで知ったんだ。”仮屋園歌奈4歳、鴨池港にて水死体が発見された”……ってな」

「…………」

「は、はぁ!? ちょ、ちょっとお前何言ってんだ!?」


 孝則の突拍子もない発言に俺は声を上げずにいられなかった。しかし里菜の方は黙っている。酔い過ぎたのであろうか冴えない顔色のまま、下を向いていた。


「む、無理もねえよな。俺だってまだ良く飲み込めてねえんだ。そのニュースの後だ。俺の頭の中に里菜ちゃんと友紀が歌奈ちゃんを助ける所が不意に浮かんだかと思ったら、俺は前夜のあの時間に戻っていた」

「い、一度未来を見て過去に戻って言うのか!?」


 俺の酔いはすっかり冷めきっていた。未来予知というのは聞いた事がある。俺自身、半年程前に桜島での多重事故を予見する経験があった。


 しかし過去を見る能力なんてあまり聞いた覚えがない。いや、もしかしたらニュースで見た方が、未来予知なのかも知れないが。


 とにかく孝則の言いたい事を全て聞いてから熟考しようと耳を傾ける事にした。

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