第10話 城山を奔る
私、逢沢紀子は鹿児島中央駅、JR
「えっと次は……11時50分!? 1時間以上も待つのかあ……」
そこへサングラスに帽子を深く被った男が息を切らしてやってきた。完全に下を向き必死になって呼吸を整えようとしている。
「ハァハァ……よぉ、そ、そこの美人の姉ちゃん。霧島に行きたいんならお勧めのタクシーがあるぜっ。し、しかも今なら、なんと
「な、なんでアンタが此処にいるのよっ!?」
「く…クッソッ! やっぱ現役離れてっと駄目だな、これしきのダッシュで……」
私は息を整える間すら惜しんで必死に喋ろうとする孝則に仰天した。
「そ、そりゃあ頭の
未だに呼吸を整えきれず、そして左膝を擦っている。間違いなく辛い筈なのに顔だけ上げて歯を見せながら親指を立てている。
それで格好つけてるつもりなの……。
私はそんな彼がもう堪らなくて見ていられなかった。無造作にスーツケースをホームに落して、その愛おしい身体を下から支える様に抱きしめる。
「へへっ……やっぱお前、胸も身体もデカいな……」
「この馬鹿っ! 私の顔を忘れたクセにそんな昔の約束を覚えてるとか意味分かんないっ!」
「そ、それは……アレだ。き、綺麗になり過ぎた
駄目だ……私怒っているのよっ? それなのに涙が溢れて止まらないの。これじゃ化粧が落ちちゃうじゃないっ!
私は小さな女の子の様に泣きじゃくった。此奴の汗と私の涙でもうびっしょり…だから鹿児島の夏なんて大っ嫌い!
「と、とにかく俺の
「こ、こんな格好にしたのは、たっちゃんが悪いんじゃないっ! そ、それに特急だから乗っちゃえば速いんだからっ!」
私は散々文句を吐きながら、孝則に肩を貸しつつホームから去った。傍目には少々間の抜けた絵に映ったかも知れない。けれど私は嬉しくて胸が張り裂けそうだ。
◇
俺にはこのルシアって人が何で
美人の凄んだ顔ってのは、これ程おっかねえのか? これじゃあ
「本当にわっかんないの!? まあ大好きだった彼女の顔も忘れるんだからね……」
最早ルシアさんは俺だけを蔑んだ目で見つめている。どんな女にやられようと、これは流石に気分が悪い。
「さらに言わせて貰うけど、あの子はアンタの犠牲者よ。サッカー出来なくなって格好つかないから別れる?」
「ま、待ってくれ。俺貴女にそんな話……」
そう、まだそんな話をしたつもりは微塵もねえ。けれど怒ってる理由は判っちまった。
……そこだけは突かないでくれよ。返す言葉が見当たらねえ。おぃ……友紀と里菜ちゃん。そんな憐れんだ目で俺を見るな。
「聞かなくてもそのだらしない顔を見てたら分かるよっ! あの子本当はアンタのサッカーなんか、もうどうでも良かったのよっ!」
「え…」
「アンタはカッコつけたって残念な三枚目っ! 彼女もそんなの望んでないっ! 全力で"ありがとう"って抱きしめるっ! それだけ充分よっ!」
ぐはっ!? い、いてぇ。治ってなおも
俺は思わず友紀に助けを求め……あ、コイツ顔そらしやがったっ!
次に里菜ちゃんと目が合った。無言で拳をちょっと突き出してきた。”ドンマイ”って顔に書いてある気がするなあ……。
しかしまあ言いたい事は、嫌という程に知れたよ。
ところでホントに今さらなんだがルシアさん。此処は人の行き交うかなり洒落たホテルのロビーな?
さっきから俺、醜態を晒してて辛いんだが……。周囲の視線がやたらと冷たい。
「とっとと行きなさいっ! 全く…こんな事で旦那の力を借りるなんて完全に私用よ。たとえ旦那が許したって、扉の鍵である私が許さないわっ!」
扉? 鍵? そして旦那!? 正直訳わかんねえけど、俺が今、真っ先にすべき事だけは流石に理解した。
「あ、ありがとうございましたっ! お、俺、とにかく行ってきますっ!」
「ま、待て
「友紀、その位は分かってるつもりだっ! 気持ちだけ受け取っておくぜっ、じゃあなっ!」
俺は椅子を蹴って立ち上がると
もう他人の目はどうだっていい。俺が今欲しいのは
こんな事なら友紀の車に相乗りしてくるんじゃなかったぜっ!
城山の下り傾斜とアスファルトが俺の膝を容赦なく痛めつけ、残暑の照り返しが水分と体力を削り取る。
※西郷さん……アンタ熊みたいな身体して、こんなとこで戦ったのかよ。とんでもねえなあ……。
紀子……俺、もうこれ程に駄目なんだよ。お前の気持ちはありがたいが、友紀の代わりなんてとてもじゃねえが務まらねえよ……。
※城山Hotel in KAGOSHIMAと西南戦争にて西郷隆盛が死去したとされる城山公園は別の場所です。雰囲気って事で御容赦を。
◇
孝則の車は駅前のコンビニに停めてあった。全く……駐車代位ケチらないでよね。
私は霧島神宮までの道中とお詫びの意味も込めて、大量のお菓子と飲み物を購入し頭を下げた。
そしてちょっと煙草臭いトレノの助手席に座る。煙草の匂いと必死に消そうとした消臭剤の香りが混じりあっている。
「よ、良し。じゃあ行くか」
「う、うん……って、ナビ設定しなくてもいいの?」
「任せとけっ、そこいらは俺の庭よっ!」
「全く…目が怖いよ、安全運転で頼むわね」
私の心配を他所に親指を立てて笑う孝則。私は一応スマホでルートを確認……えっと、大体1時間30分か……。
昨日はほんの少しだけだったけれど、これからたっちゃんと私だけの1時間半が始まるのね。
や、ヤダ……な、なんか凄くドキドキして胸が痛い。昨日だって運転してるの見た筈なのに。
「こ、こうして見ると市内って、想像以上に都会なのね……」
「だな……俺ら学生ん時は滅多に来てないからな。市電と広い道路、沢山の人。鹿屋はやっぱり田舎だな」
私は運転している孝則の姿を素直に"かっこいい"って言えなくて、外を流れる景色に話題を振って誤魔化した。
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