第3話 君の住む街並みを僕は知らない
孝則の親父さんの運転で孝則の家まで送って貰った俺。家までの約束だったが、急に街を歩きたい衝動にかられ、丁重に断った。
俺が生まれた頃に比べたら、随分とコンビニや深夜営業をやっている店が増えて、賑やかになったらしい。
しかしもう午前2時を回っている。流石に車通りは少なく、人通りに至っては残暑の割にあまり見当たらない。
一度は都会に就職しこの街に帰ってきた同級生の大半が、”鹿屋に帰って良かった”と言う。
俺は表に出た事がないからその感情が正直良く分からない。
横浜や東京の街並みを見ながら、この街を懐かしむ時が来るのだろうか。
「んっ?」
里菜からLINEの通知。こんな時刻にまだ起きて…違う、眠れてないのか?
”話をするかい?”と返してみる。そのまま既読になり、矢継ぎ早に”いいの?”と返ってきた。
俺は”外歩いてるけどそれで良ければ”と返した。即、通話の通知音。直ぐに通話を始める。
「ご、ごめんね…こんな夜中に、どうして外なの?」
「うーん…酔い覚ましかな? 田舎はさ大抵の移動が車なんだ。だからたまにこうして歩いてみると見える景色が変わるのがちょっと楽しいんだ」
凄くバツが悪そうに話し始めてきた里菜。俺は通話通りに周囲を見ながら返事する。
「あ、そっかあ。私も自転車でしか走った事のない街を歩いてみたら、こんな所にお地蔵さまが? なんて発見があってちょっと楽しいかったかも」
「えっ、お地蔵さま? それってちょっと怖いな…」
「えっ? どうして?」
「だってさ、アイツらって大抵物欲しそうな顔でこっちを見てんだろうが」
「アハハハハッ、何それ、おっかしい……」
取り留めのない会話を始める俺達。少し距離があると思っていたが、話しながらだとあっという間に家の周辺まで来てしまった。
これでは話し相手として不足だと感じ、俺は子供の頃に遊んでいた公園を訪れる。その事には触れないでおく。
気を使ってワザと遠回りをしている事を、里菜には感じさせたくない。
「友紀…」
「んっ? どうした?」
里菜の声が変調し、少し寂し気な感じに変わる。もう1時間は話をしているが、きっと本題はこれからなのだろう。今夜はこのまま夜明かしかなと覚悟する。
「わ、私、東京に来てから頑張ったんだよ。里菜さんの記憶も使って…」
「うんっ」
「鈴木里菜さんは、専門学校を卒業してこのエンジニアの会社に就職したの」
「エンジニア……パソコンカチャカチャやるあれ?」
「パソコンは今どきどんな会社でもやるよ。うーん、ま、まあ間違ってはいないかな」
「へぇー、親父の店じゃ未だに算盤弾いて手書きの伝票書いてるよ」
「そ、そうなんだ……」
暫くのだんまり。何故かビデオ通話にしてくれないので、眠くて黙っているのか、それとも機嫌を損ねたのか、ちょっと分かりづらい。
親父は女性と昔チャットをする際、その通信速度にやきもきしたという話を思い出した。
環境は違えど状況は似てるのかも知れない。
「頑張って仕事を覚えた、良く出来る様になったねって褒められた」
「うんっ」
「でもねっ、違うの。足りないの、何かが」
「………?」
いよいよ解せない時間が訪れる。自分の試され時なのだろうか。
「足りないって……」
「それは貴方がいないからなのか、それともリイナだった頃の仲間がいないからなのか……」
成程…俺の質問のターンは不要だったらしい。上書きで返答がくる。暫く此方は黙ってみる。
「ねぇ、聞いてる?」
「………あ、ああ、勿論聞いてるさ。何が足りないのか判らないだったな」
危ない……黙ってみたらこれだ。勿論、前の彼女ともこんなやり取りをした事はある。しかし里菜は特に難しいと感じた。
彼女が普段見ている景色を俺はまだ何も知らない。同様に彼女も俺の住む街を良く知らない様に。
そこにかつて命を散らそうとした鈴木里菜と、今の里菜……リイナ・アルベェラータだった頃の意識が重なって出来ているのが、電話向こうの彼女なのだ。
これを理解してあげる事は、どんな戦略やディフェンスを突破する事よりも遥かに難しい……いや、待て。
このやり取りを想いではなく重いと感じるのはいけない。少しだけ揺さぶりをかけてみよう。
「寂しいか? 里菜」
「寂しい…………」
またも沈黙だ。やらかしてしまったか?
「寂しいっ、寂しいよっ! ここには誰もいないっ!」
「大勢の人や会社の同僚は?」
「違うっ、人の数は問題じゃないのっ! 私の事を判ろうとする人が傍にいないのよ………」
遂に里菜は電話の向こうで泣き出してしまった。いや、会話を始める前から泣き腫らしていたのかも…。
それなら顔を見せてくれないのも納得せざるを得ない。
後は暫くの間、涙ながらの訴えを聞き続けた。やはり俺は彼女の事をまだ何も知らなかった。当たり前だ。俺達はあくまでも別の人間だ。
それは里菜が特別な人間だからとか、そういう問題ではなかった。
「もう、明るくなってきちゃった。ごめんね」
「えっ………そ、そうなのか? こちらはまだ暗いぞ」
これには本当に驚いてしまった。至極当たり前の事なのだが、東京と鹿児島には立派な日の出のズレが存在する。
朝の4時40分頃に夏の朝がやってくる東京に対し、鹿児島は5時半頃。
日本は狭いなどと良く言うが、俺達の隔たりとは星のズレを感じさせる程のものかと思い知った。
「俺は大丈夫、里菜の方こそ完徹で仕事なんて平気なのか?」
「う、うん…。実はこれまでにも何度かあったの。でもね、今朝はただ眠れないまま明かした朝とは違う気がする」
それってどういう事だろう。眠れなかった結果には違いがない。
俺は小さいブランコを弄りながら、ボーっとした頭を巡らせてみる。
「ゆ、友紀……貴方との溝が、また少しだけ埋まった気がするから」
「え……」
たった今、物理的な距離に落ち込みつつあった俺の心に、少し恥ずかし気な里菜の声。晴れ間すらのぞいた気がした。
「ホントにごめんね。それから……もう一つだけどうしても伝えたい事があるの」
「だから謝りは良いってば…で、何?」
里菜は再び深刻そうな声に戻った。この数時間の会話は次の発言の為の助走だったかも知れない。
「私、正直まだ貴方に伝えきれていない事があるの……」
「うんっ?」
「いつか必ず貴方に真実を伝えるよ。だからこの先何があってもどうか私を信じて欲しい……」
里菜の声が消えそうな程に小さくなったのは眠気のせいではないだろう。さっきの孝則の話で思う所があったらしい。
ここはとにかく安心させよう。少しでいいから出来るものなら、眠らせてやりたい。
古ぼけた鉄棒を撫でながら、そんな事を思った。
「勿論だよ、約束する。取り合えず今からでも両目を閉じて少し休みな。7時半位に起こしてやるから」
「う、うん。ありがとう…ようやく眠れそうな気がしてきたよ」
アクビらしい息づかいが聞こえてくる。俺は本当に一睡もせずに朝練だと決意した。
「り、里菜……」
「………?」
「もし…また寂しくて眠れない夜が訪れたら、遠慮なく話を聞くよ。じゃあな、おやすみ」
「うんっ! おやすみなさい」
長い様で短かった通話が切れた。此方の空もようやく白み始めていた。
眠れなかったが、心地良い残暑の朝が訪れようとしていた。
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