第5話 貴方の知らない街並みの私
俺に向かって投げられた雑誌。既に見せたいページが開いてある。
2019年12月、中国の武漢市で猛威を振るったCOVID-19。通称『新型コロナウイルス』は日本はおろか世界中に広まった。
2020年4月の終わり、日本は緊急事態宣言を発令。全ての集会、特に観戦客が集まるスポーツは大打撃を被った……。
「な、なんだこりゃ!?」
「慌てんなよ、お次はこっちだ」
今度は見せたい記事を引きちぎったものを丸めて寄越してきた。
俺は拾い上げそれを広げて再び目を通す。
「我々の中には既にコロナに対する抗体が発見された。絶対に感染しないとは言わないが、それほど恐れる事もないだろう………?」
「2つ目の記事は相当怪しいオカルトも扱う様な雑誌だ。けれど根拠すらないものを掲載して評判を落とす程、馬鹿じゃない」
孝則は煙草を諦め、すぐ近くの自販機へ向かう。
戻って来ると両手に缶コーヒーを握っている。無言で1本、俺の方へ寄越す。そして再び同じ場所に腰を下ろした。
「これが見えざるものを信じない俺が、信じざるを得なくなった答えだ」
「そしてこの頭がおかしくなりそうな現実に里菜が関わっている……か」
俺は貰った缶コーヒーを握りながら孝則の隣に移動した。2人でバイクに寄りかかる訳にはいかない。CRMのハンドルを握りしめ立ったまま会話を続ける。
「孝則……。俺は何と言われようとも里菜を信じるって、この鹿児島の海と天国の母さんに誓ったんだ」
「あったりめえよっ……いや、正直昨夜までの俺は友達のお前が、とんでもねえ事に巻き込まれるかもって思ったら、身体這ってでも止めるべきだって思ってた」
そう言って天球儀を眺める孝則。此奴は本当に良い奴で、しかもお節介が過ぎるのだ。
「けどよ、俺もあの子を信じたくなったぜ。そしてこんな辛気臭い力じゃなくて、
そう言って俺の背を叩き、ケラケラと笑う。
「に、してもだ。ついこの間まではバイクや車で暴走行為してた俺等が、まさかこんな事になるとはねえ」
「うむっ! よもやよもやだっ!」
茶化す俺にのっかる様に某漫画のキャラクターを物真似する孝則。
声質だけでなく態度まで似ているので、俺は一気に吹き出した。
孝則とは本来こういう愛されキャラなのだ。
「ところで孝則。里菜は本来行きたった時代にも場所にも行けず、この時に流れ着いた。でも結果、此処に来るべくして流れ着いたと言った」
「うむっ!」
「それは俺達に会えた事。人の命を救えた事。でもそれだけで言ってるとは到底思えない」
「そうだな少年っ!」
俺の真面目な質問に声真似を続ける孝則。遂にリミッターが外れたらしい。
「せめて里菜が本来流れ着きたかった場所くらい解ればなあ……」
「知らんっ!」
「…………いや、もういいわっ!」
俺は真顔で話をぶった切った。
◇
「友紀……」
私は今夜も1人、眠れずにいる。それは日が暮れても冷める気のない残暑のせいだけではない。
昨夜……いや、今朝がた友紀が眠れない夜は話を聞いてやるって言ってたのを思い出す。
けれど昨日の今日だ。流石に甘える気にはなれない。
クローゼットの中にはブランド品……に良く似た見た目だけなら洒落た服が多い。
1着だけ表にかけてあったスーツ。晴香おばあちゃんから貰った想い出残るあの服に替えた。
洋服の趣味だけ見れば割と外に遊びに行っていたと伺い知れる昔の
けれどその隣には飾り棚が存在する。アニメや推しアイドルと思われるフィギュア達が満員電車を思わせる程に並んでいた。
そして薬箱には精神科で処方されたと思われる薬が入っていた。
昔の鈴木里菜とはそんな人間だったという記録が残っているのがこの部屋なのだ。
壁には今の私が沢山の写真を飾った。そのほとんどが鹿児島での思い出。
桜島で瑠里姉に撮って貰った友紀とのツーショットにどうしても目が移る。
見つめ合う二人の写真。瑠里姉にそそのかされて、ついやってしまった。
けれども私の顔が噴火するのでは? と思える程に実は恥ずかしかった。
しかし友紀の方がもっと恥ずかしかったのだろう。
友紀、凄く慌てて可愛かったな……。
当時を振り返りつつ、私はふと自分の右手を次に見つめる。この手を自分の身体を直に触れた友紀の手だと思い込んでみた。
輝北からの帰りと名古屋まで応援に行った後の夜を思い出す。
特に名古屋の時は電車がなくなる事を見越して、ちゃっかりとビジホのツインを事前に予約しておいた。
早い話が自分から誘いを入れた訳である。
何となくその手を自分の左胸に添えてみた。
友紀の手はもっと大きくてゴツゴツしてた。けれども優しく触れてくれた。頭の中で補正をかけてみる。
あ……あれっ? な、この感じ方は何?
あくまでも自分の手だ。しかし友紀との触れ合いを思い出すと心臓がバクバクするのを感じてどうにもならない。
あっ…あっ…そ、そんな事って……。
カラダの火照りすら感じてしまう。そんな事ってある? 私、こんなにも彼を求めてるの!?
ほんの少しだけ手を動かしてみた。友紀は触れば壊れてしまうシャボン玉に触る様に慎重だったと思う。それにとても愛おしい顔をしていた事も思い出す。
本当にたまらない……此処にいない彼が見えてきた気さえする。
あっ、だ、駄目……これ以上はっ!
段々とエスカレートする自分の手を最早制御下に置けない私。な、何で? どうして?
遂に同じ場所を触るだけじゃ満足出来そうにない。
そんな時、不意に聴こえてきた音に、私は思わず全身で仰け反ってしまう。
LINEの通知音。音が友紀のそれじゃない。ホッとする想いとがっかりが混ざりあう。
"遅くにごめんね、もし起きてたら少しだけいい?"
送り主は
会社の同僚で同い年。仕事以外でも遊んでる子だ。
それにしてもそろそろ深夜1時。流石にこの時間は珍しい。
「あ、あの……」
「あ、里菜ーっ。ごめんねえ。全然明日でもいい話なんだけど。起こしちゃた?」
紀子のテンションが異様に高い。取り合えず重大事ではなさそう。
ただ気がつけばビデオ通話になっていたので、私は頭からタオルケットを被ると、目を少しだけ出して応対する。
私の目、間違いなく充血してる。正直まだ息も荒い。ついさっきまでの恥ずべき振舞いを、察してしまわれたくはない。
「ど、どうしたの、大丈夫? 声が上擦ってるよっ?」
「ぜ、ぜんっぜん大丈夫。き、気にしないで」
声に気持ちが残っていたらしい。ビデオ通話のビデオの方ばかり気にして、肝心な通話の方に気が回らなかった。
「で、な、何?」
「あ、そうそう。うんっ、本当に慌てる話じゃないんだけどさ。里菜って夏季休暇の消化ってまだだよね?」
私はとにかく前のめり気味で紀子の話を聞こうと躍起になる。返ってきたのは夏休みの事だった。
うちの会社、夏季休暇はバラバラに取りたい時期を申請してから取るルールだ。本当に何でこのタイミングで聞くのだろう。
「うんっ、まだ申請すら出してないよ。暑過ぎるから少し涼しくなってからが良いなって思ってるの」
この回答に偽りはない。ただ真夏、本当に取りたくなかったかと言えば正直嘘になる。
飛行機チケットさえ安かったら鹿児島の海を水着でエンジョイしたかった。皆が休みのこのシーズンは腹が立つほど高くて諦めざるを得なかった。
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