第二章

1. 敵国にも親切な人がいました

 太陽の皇国。光の皇帝が統治する国であり、長年、満月の王国とは敵対関係にある。

 五百年前は両国はひとつの国家だった。民族間の争いが勃発し、国は分裂して何年も戦が続いた。だが、ある事件をきっかけに停戦条約を締結して今に至る。


「なんなの、このまぶしさ……! 目を開けていられない」


 煌々と降りしきる太陽の光。それは生まれて初めて味わうディアナにとって、禍々しい存在に等しかった。目がくらむような光線に耐えかね、目元を覆う。

 満月の王国と同じく、三百年前に太陽と月を失った国。それがこの国だ。


「うう。目に毒だわ」


 ふらふらと歩いていると、目の前からどんっと人がぶつかってくる。


「あ、ごめんなさ……」

「よそ見して歩いているんじゃねぇ!」


 容赦なく浴びせる怒声に、びくりと体をすくませる。


(こ、この人、怖い!)


 これまで侍女から散々に悪口を囁かれてきたが、どれも間接的だった。これほど直接的に敵意を向けられた経験なんて一度もなかった。


(女王の妹だから、今まで面と向かって言う人なんていなかったし)


 しかし、ここは満月の王国ではない。今までのように飾りだけの地位が守ってくれることはない。ディアナは敵国の人間でしかなく、好意は期待するだけ無駄だ。


(気を引き締めなきゃ。自分のことは自分で守らないと……)


 姉から言われた言葉を思い出し、震え上がった体を奮起させる。異変に気づいたのは、そのときだった。


「……私の鞄!」


 鞄の取っ手を握っていた左手は、今はもぬけの殻で。

 先ほど悪態をついた男は、視界のどこにも見当たらなかった。


「と、とにかく探さないと!」


 足がもつれそうになりながらも商店街を駆ける。けれども男はおろか、投げ捨てられた鞄も見つからない。


「はあっ、はあっ……あれが、書状がないと入れてもらえないのに……どうしよう」


 すぐに息が上がる自分が口惜しい。これまで文机に向かう時間が長かったせいか、持久力はあまりない方だ。


「何か困り事か?」

「きゃあ!」


 いきなり声をかけられ、肩が飛び跳ねる。おずおずと振り向くと、見覚えのない青年が不思議そうな顔で立っていた。


(わあ、整った顔。顎もしゅっとして、吸い込まれそうな金色の瞳がきれい)


 赤銅色の髪が耳元から編まれ、右の肩口にかかっている。まるで神話に出てきそうな美男子に思わず目を奪われる。


「おい、聞いているのか?」

「あ……実は今、すごく困ったことになっていて!」


 勢いよく答えると、彼はぶっきらぼうに言葉を促した。


「なんだ。言ってみろ」

「港からここへ来る道すがら、うっかり大事な鞄をひったくられたの。あの中には命よりも大事なものがあるのに。あれがないと……私、行くところがないわ」


 重要な密命を帯びた身。このまま、おめおめと帰国できるはずもない。

 そして、かの学園の敷地に入るには、国家間で交わされた書状が必須だった。


「それなら俺も手伝おう。どんなやつだった?」

「え、ええと……男の人で、体格はがっしりしている感じで……背は普通くらい」


 親切な申し出に戸惑いながらも答えると、青年が手で制した。


「……ちょっと待ってくれ。怪しい気配を探すから」


 そう言うなり、目をつぶった。その途端、彼の体の周りに小さな風が湧き上がる。優しく包み込むような風の膜は、彼が一歩足を踏み出したことで雲散霧消する。


「この近くにはもういないな。地道に探すしかないか」

「そ、そうですよね」

「聞き込みしながら、手分けてして探すのがいいだろう」

「……見つかるでしょうか」


 絶望感を漂わせながら声を絞り出すと、ため息が聞こえてきた。


「ここで凹んでいても状況は変わらない。命よりも大事なものが入っていたんだろう? 鞄の特徴は」

「……色は白で、四角い旅行鞄です。取っ手が茶色で」

「わかった。俺はこっちから探してみるから、お前はあっちを頼む」


 商店街まで戻り、二手に分かれる。ディアナは道行く人に質問しては空振りを繰り返し、路地裏に捜索の手を広げた。人一人がやっと通れるかという細道には、樽や木箱が無造作に積み上げられている。その合間を縫うように歩くが、先ほどの男は見つからない。


(せめて鞄だけでも見つかれば……)


 先ほどのことを振り返ってみても、迂闊としか言いようがない。ここは太陽の皇国。地面に降り立った瞬間から、もっと気を引き締めるべきだった。


(これじゃ国にも戻れない。お姉様に合わせる顔もないわ……)


 自分の失態に泣きそうになる。だけど、泣いていても何の解決にもならない。目尻にたまった涙を手の甲でぬぐい、頭を上げる。

 空にはまぶしいほどの太陽が昇り、視界はいつもよりずっと明るい。満月の王国とは全然違う。頭上を海鳥が通り過ぎていくのを呆然と見つめる。

 ため息を飲み込んで、両手で頬を叩く。パンッと小気味いい音がした。


(反省は後よ、ディアナ! 今やるべきことは書状の奪還!)


 気持ちを奮い立たせていると、袖を引かれた。何だろうと視線を下げると、そこにはつぎはぎの服を着た幼い女の子が立っていた。

 大粒の瞳は太陽の光できらりと輝き、ジッとディアナを見上げている。

 屈んで女の子と同じ目線に合わせると、ぷくぷくの手がディアナの白銀色の髪をつかむ。


「お姉ちゃんの髪、きれいな色ね」

「……ありがとう。これは月の色なの。でも、あなたの赤い髪も鮮やかで素敵よ」

「そうかな? わたしはお姉ちゃんの色の方がすき。きらきらしているもん」


 名残惜しそうに手を離し、女の子は半歩下がった。


「お母さんとお父さんは? はぐれちゃったのかな?」

「ママとパパはお店にいるよ。わたしはお散歩中なの。落とし物があったらママに教える係なの」

「……落とし物を? じゃあ、このくらいの白い鞄を見かけなかった?」


 身振り手振りで大きさを伝えると、女の子はうーんとね、と頭を左右に揺らす。ほどなくして、両手を合わせて頷いた。


「あったよ」

「え、本当っ!? 今どこにあるか、わかる?」

「お店にあるよ。ついてきて」


 思ったより、しっかりとした足取りで先導していく。てってってとリズミカルに歩く後ろをついていくと、宿屋に着いた。

 彼女は躊躇なくドアを開け、カランカランと鈴の音が鳴り響く。


「ママ。帰ったよー」

「あら、今度は早い帰りね。何か見つかった?」

「落とし物をした人を見つけてきた」


 そこでディアナの存在に気づいたのか、女将がぺこりと頭を下げる。ディアナもお辞儀を返し、いそいそと近づく。


「あの……旅行鞄を取られまして。白い鞄なんですが、ここにあると聞いて……」


 女将はゆるく編み込んだ三つ編みを揺らし、まあ、と驚いた顔を見せた。


「ええ、ええ。ありますよ。この子がさっき見つけてきましてね。あたしが運んだんですが、ちょっとお待ちくださいね」


 受付の奥に引っ込むと、すぐに荷物を持って戻ってくる。机の上に置かれたそれは、探していた形と同じもので。


「これ?」

「こ、これです!」


 涙目で肯定すると、女将が苦笑した。いつの間にか、女の子は女将の足にくっついてディアナと鞄を見上げている。


「念のため、中身も確認してみて。何か紛失していないか」

「はいっ」


 ロックを解除し、ぱかんっと鞄を開ける。早速、入っている荷物を確認する。だが予想と違って荒らされた様子はなく、服は折りたたんで置かれたままだ。服の合間に入れていた書状もある。


「どう? ちゃんと荷物は残っている?」

「あ、はい。財布の中身は空になっていますが、他の荷物は無事みたいです」

「災難だったわね。この辺も最近治安が悪くなってきているから。旅行客は特に狙われやすいから、しっかり警戒しておかないと」

「以後気をつけます……」


 しみじみと言うと、女将は声のトーンを落とす。


「あなた、今夜の宿はどうするの? 手持ちがないんでしょう?」

「あ、ええと。これから寮に行くので大丈夫です」


 答えると、女将はあからさまにホッとしたような顔を見せた。


「ならいいけど。道中気をつけるのよ」


 友好条約を結んだとはいえ、両国の溝は今もなお深い。白銀色の髪というだけで、遠ざけたくなる気持ちもわからなくはない。


「拾ってくださって、ありがとうございました。助かりました」


 深々と頭を下げると、女の子が前に出てきて、同じようにぺこりとお辞儀をする。その様子が可愛らしくて、つい笑ってしまう。つられて女の子も笑顔になった。

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