4. どうか平等でお願いします

 太陽の皇国は真昼の国。太陽の大精霊の恩恵により、真夜中でも外が明るい。満月の王国とは真反対だ。

 そのため、夜の時間は皆、遮光性に優れたカーテンを引き、家に閉じこもる。

 ディアナは机の引き出しから折り目がついた封筒を取り出し、立ち上がる。同室のフロラルはまだお風呂場から帰ってきていない。

 ぶ厚いカーテンを背にして、白い紙を取り出す。便箋は一枚だけ。そこには短い文章が綴られていた。


『居心地がいいようなら、帰国は強要しません。その方が傷ついた心も癒せるでしょう』


 昨夜見たときと変わらない文面に、心に棘が刺さったような息苦しさが募る。

 白銀色の髪が美しい女王の顔を思い出しながら、ディアナは手紙を丁寧に折りたたむ。カーテンの隙間からはまぶしい日差しが差し込んでいた。

 漆黒の闇に浮かぶ満月はこの国にはない。その事実が否応なく不安をあおる。


(つまり、帰ってこなくてもいい……ということよね)


 自分は見放されたのだ。どこにも自分の居場所はない。ずるずるとしゃがみ込み、膝を抱えて丸くなる。月が、恋しかった。


         *


 色褪せた毎日が淡々と過ぎていく。

 気落ちしたディアナにロイヴァートも気づいているようだが、特に何かを聞き出すようなことはなかった。それはケイトも同じようで、時折心配そうな視線を感じるが、ディアナが喋りたくないことなら無理に聞かないスタンスのようだった。

 おのおの仕事をしていた学生議会のメンバーも戻ってきて、ディアナはロイヴァートの仕事が終わるまで図書室で過ごすのが日課になっていた。

 お昼はケイトと一緒なら安心だと思ったのか、ロイヴァートと顔を合わせるのは朝と夕方だけになった。

 姉からもらった手紙は小さく折りたたみ、今もポケットに入っている。一人きりになったときにそれを眺めてはため息をつく、というのが最近の日常になっていた。

 そうこうしているうちに週は変わり、アンゲリカが指定したお茶会の日になった。


(気が重いなぁ……)


 放課後、招待状に記載されていた裏庭へと向かう足取りは自然と重くなる。わざわざ呼び出してまで一体、何を言われるのか。

 ケイトに欠席する人はいるのかと探りを入れたところ、「そんな人、いるわけないじゃない。お茶会に招かれるのは大変名誉なことよ」と速攻否定されてしまった。


(とにかく、無難に終わらすことだけを考えよう)


 校舎を背に歩いていくと、芝生の中央にレンガを敷き詰めた細い道が目の前に現れる。その小道の先には東屋があった。その横には小さな池があり、蓮の葉が浮かんでいる。

 東屋には数人の女子生徒がすでに集まっていた。ディアナが顔を出すと、アンゲリカがふわりと笑う。先日とは違い、桃色の長い髪を上で束ねている。


「ようこそ、ディアナさん。さあ、座って?」


 周囲の取り巻きは穏やかなメンバーなのか、ディアナの顔を見てもあからさまに嫌悪の表情を浮かべることなく、自然としている。


「……本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「今日のために、とびきりの茶葉を用意したの。まずはミルクなしで飲んでいただきたいわ」


 アンゲリカの横にいた垂れ目の女子が、手際よくお茶の用意をしてくれる。真っ白な茶器は口元に角度をつけた、なめらかな曲線を描いており、取っ手も大きな丸みを帯びたデザインだ。

 アンゲリカの真向かいの席に腰を下ろして待っていると、コトン、とソーサーに載ったティーカップが置かれる。


「……いただきます」


 ティーカップを口元に近づけると、濃厚な茶葉の香りがした。だが嫌な感じはしない。

 続いてカップを傾け、緊張して渇いていた喉を潤す。苦みのない、すっきりとした味わいが口内に広がった。


「美味しいです。優しい味がします」

「ふふん。そうでしょう。飲みやすさにこだわって品種改良しているもの」

「……これはアンゲリカ様の領地で収穫した茶葉なのですか?」

「ええ。うちの主力商品よ。今度はミルクを足してみてちょうだい」


 言われるがまま、ミルクピッチャーを少し傾ける。途端、赤茶色の中に白い渦ができた。ティースプーンでかき混ぜると、さっきより色合いが落ち着いたものに変わる。

 期待したようなアンゲリカの視線に促されるようにして、再びカップに口をつける。


(あれ? ただのミルクティーとは違うわ……何が違うのかしら)


 首をひねっていると、胸中を見透かしたようなタイミングで答えが返ってくる。


「牛乳が違うのよ。うちの牛は少数しかいない品種を育てているの。普通の牛乳より濃くて深い味わいが特徴なの」

「私、牛乳でこんなに感動したの、初めてです」

「こんな機会滅多にないでしょうから、しっかり味わいなさい」

「はい」


 素直に頷くと、満足したように笑みが深まる。


(……アンゲリカ様って、思っていたよりもいい人みたい……?)


 彼女の側近が流行の染め物の話を始め、お茶会は和やかに進んだ。先輩方に囲まれる中、ディアナは基本的に聞き役に徹した。たまに意見を求められるときは無難な回答を返した。

 このまま進めば、平和的にお開きの時間になるだろう。そう思っていた矢先だった。


「わたくし、聞いてしまったの」


 アンゲリカの独り言のようなつぶやきに、他の二人がさっとディアナを見やる。二人分の視線を受けて、しぶしぶディアナは代表して聞いた。


「……何をですか?」


 その答えを待っていたように、アンゲリカが伏せていた瞼を開ける。


「あなた、ロイヴァート様のことをロイと呼んでいるそうね」

「……どうしてそれを……」

「資料を取りに学生議会室に行ったところ、話が聞こえてきたの。でも安心してちょうだい。聞き耳を立てる趣味もないし、すぐに離れたわ」


 おかしい。見た目は穏やかな微笑だが、目が笑っていない。

 ディアナは今すぐ逃げ出したい思いをなんとか抑えて、引きつった笑いを浮かべた。


「ご配慮いただき、ありがとうございます」

「別に礼を言われるほどではないわ。ただ、家族でも婚約者でもないあなたが、あの方を愛称で呼ぶのは感心しないわね」


 凍てつくような眼差しを向けられ、ディアナは唇を引き結んだ。


「……以後気をつけます」

「わかってくださればいいの。今日は実に有意義なお茶会だったわ」


         *


 あらかじめ解散の時間は決まっていたのか、帰ろうとしたタイミングでロイヴァートがシアンを伴ってやってきた。彼はアンゲリカと少し会話した後、傍観者になっていたディアナに「帰るぞ」と当然のように言った。

 仕方なくアンゲリカに一礼した後、先に歩く彼を追う形で小走りする。裏庭からだいぶ距離が離れたあたりで、ディアナは口を開いた。


「あの、ロイヴァート様」

「なんだ?」


 早足で歩いていたロイヴァートが立ち止まったので、ディアナも足を止めた。


「いくら満月の王家の人間とはいえ、やはり特別扱いは困ります。他の生徒にもいらぬ反感を買うだけです。他の生徒と同様の扱いをお願いいたします」

「誰に何を言われた?」

「私が一人で考えた結果です。学園の中では皆、平等が基本でしょう?」


 どう考えても、皇太子が自ら送迎するなんて間違っている。いくら、ディアナが満月の王国の王族といっても、学園内での危険は高が知れている。よくは思われないだろうが、直接手を出す人は少ないだろう。

 ロイヴァートは考えこむように顎に手を当てた。


「……それは、俺がいることで迷惑を被っているということか?」

「そうではありません。……むしろ、助かっています」

「ならいいだろう。平等にするのはいいが、君に何かあれば国家間の亀裂を生むことにつながりかねない。特別扱いは他の生徒を守るためでもある。おとなしく守られていろ」


 それ以上の言葉は受け付けないとばかりに、くるりと背中を向けられる。ディアナはため息をついた。

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