5. 執務室での密談

 太陽の皇国の皇太子であるロイヴァートの仕事は、学生議会以外にもある。

 学園が休みの日は宮殿に戻り、皇太子としての務めを果たさなくてはいけない。だが、数日ぶりの執務室で待っていたのは書類の山だった。

 こんな日は港町で潮風に吹かれたい。しかし、それを行動に移す前にドアを叩く音がし、こちらの了承もなしにドアが開かれる。

 赤髪の長身。幼い頃からロイヴァート付きの従者、シアンだ。彼は机の上を一瞥すると、早速苦言を呈してきた。


「机の上の書類、まったく手がつけられた様子がないのですが」

「……最近のシアンは小言が多いな」

「殿下が僕の仕事を増やしているからです」

「そう言いながらも、ちゃんと手伝ってくれるじゃないか。いい従者に恵まれて何よりだ」


 ドアを閉めて、シアンは持っていた書類をロイヴァートに突きつけた。それを受け取り、書かれている内容にざっと目を通す。


「……殿下は学生議会長としては立派に職務を果たしていらっしゃいますが、皇太子の責務を軽んじていらっしゃるようです」

「そんなことはないぞ。ちゃんと責任は果たしているつもりだ」


 答えると、くわっと目尻をつり上げて抗議された。


「どこがですか! 事務処理は、ほぼ僕がやっていますよ!」

「適材適所というやつだな。うむ」

「何をひとり納得しているんですか。こっちは仕事が増えて、いい迷惑です」

「それはそうと、彼女の情報は何か入ってきたか?」


 領地の報告書を書類でできた山の上に重ね、話の矛先を変える。ぷりぷり怒っていたシアンは真顔に戻り、握っていた拳をおろした。


「ああ……ディアナ姫のことですね。今のところ、怪しい動きはありません」

「念のため、監視はそのまま続けてくれ」

「かしこまりました。殿下は、かの姫をお疑いなんですか?」


 尋ねられ、ロイヴァートは腕を組んだ。


「まだ分からない。だが、侵入者があれを持ち去ったことと、まったくの無関係とは思えない」

「……そうですね。神殿にあった模造品《レプリカ》を盗むなんて所業、初めて聞きましたよ。とんだ罰当たりがいたものです。本物が無事で何よりでした」


 重要な儀式を行う太陽の神殿には、国宝が飾られていた。それが紛失したと報告が入ったときは誰もが嘆いたものだ。


「あれが模造品かは皇族と神殿長のみが知ることだ。見た目は変わらないしな。犯人が知らなかったのも無理はない」

「まさか、本物が宝物庫の奥で、埃まみれだとは思わないでしょうしねえ……」

「言うな。俺も話を聞いたときに耳を疑ったんだ。今は掃除して少しはマシにしたという話だが」

「木を隠すなら森の中ってことなんでしょうか」

「あれは二つ揃ってこそ真価を発揮する。国が二つに分かれた今、力を示す機会は失われた。つまり宝の持ち腐れというわけだ」


 国宝の存在は公にされていない。そのため、民が参拝できる場所よりも、さらに奥に保管されていた。

 ただ、神殿長が持っている鍵でしか開けられない部屋には、他にも価値のあるものが収められていた。けれど犯人は他の金品には目もくれず、宝石のついた短剣だけを盗んだ。

 

(一体、何が目的だ……?)


 一つだけあっても、ただの宝剣だ。そして、本物はいまだ宮殿の中にある。

 ロイヴァートが考えこむ横で、書類の山を二つに分けていたシアンが何気なく問いかける。


「本来は何をするためのものなんです?」

「精霊界の王——大地の精霊を呼び出す儀式で使うらしい。俺も詳しくは知らないが」

「はあ、大地の精霊ですか。呼び出すだけで大変そうですね」

「当然だ。かの精霊を呼び出すのに成功したのは建国の際、一度だけだという。条件が揃わねば姿を見ることすらできない。仮に呼び出しても、気質が荒く、制御はできないといわれている」


 もはや、生きている人間の中で大地の精霊に会った者はいない。どんな姿なのかすら、誰も知る者はいない。

 書類整理をしていた手を止め、シアンが顔を上げる。


「一つだけなら意味をなさない……ということですよね」

「そうだ。二つが揃わねば契約はおろか、呼び出すことすら不可能だ」

「皇国では粗末に扱われていたものの、満月の王家も同じとは考えにくいでしょうからね。盗むなんて真似、そうそうできないでしょうし」

「だからこそ理由がわからない。なぜ、犯人はあれを持ち出したのか」


 仮に大地の精霊を召喚したとしても、自分の意のままに動かせるわけがない。相手は精霊界の王だ。下手をすれば、こちらの身が危ない。

 ロイヴァートは窓の外を見た。太陽の位置は変わらず、外を照らし続けている。雲が流れてきて太陽を隠したが、風の流れが速いのか、すぐにまぶしさが戻る。


「……それに何より、女王の妹が単独で乗りこむなど、普通はあり得ない。表向きは友好国だが、実質的にはいがみ合っているわけだからな」

「そうですね。密偵者として、危険な目に遭う可能性は否定できませんしね」

「彼女は何らかの目的で来た、と考える方が妥当だ」

「それも正面から、ですか。……改めて考えると、ずいぶんと危ない橋を渡っていますね」


 月の精霊のような白銀色の髪を思い出し、ロイヴァートは嘆息した。

 外見はおとなしいが、中身がまるで釣り合っていない少女。責任感は強いくせに、どこか抜けている彼女は、放っておけば厄介ごとに巻き込まれているタイプだ。

 遠くから見守っているだけでは到底、気が休まらない。何に巻き込まれるのか、こちらのほうがハラハラしてしまう。


(ディアナの目的はわからないが、近くにいれば、わかることもあるだろう)


 ロイヴァートは窓から視線を外し、本棚で資料を探しているシアンに声をかけた。


「目的がはっきりしない今、彼女の動向は注意すべきだ」

「承知いたしました」


 シアンが折り目正しく腰を折るのを見て、ロイヴァートは二つの山に分かれた書類の束に視線を戻した。キリがいいところまで終わらせたら、ナッツ入りの一粒チョコレートを頼もうと決意した。

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