2. 夜を知らない皇太子

 場所は、太陽の神殿から東の外れ。

 鎮守の森は、皇族が儀式で訪れる場所だ。神聖な森は人の手が入らず、鬱蒼と生い茂る樹木のにおいが充満していた。


「これがあれば、世界はあるべき姿に戻る」


 本来は皇族しか触れることができないものを空にかかげ、宝石がまぶしく照らし出される。その光景に目を細め、マントから手記を取り出す。

 走り書きしてある文字を目で追い、ぽつりとつぶやく。


「……残りの準備も進めなくては」


 かすれた声は、風に乗って空の彼方へ運ばれていく。枯れ葉を踏み分ける音に、精霊たちの囁きが混じっていた。


         *


 式典用の豪奢な格好をまとい、鏡に映る姿を確認する。金色の帯やボタンは赤銅色の髪によく映えている。腰に差した飾り剣の位置を直し、姿見をのぞく。


(まあ、こんなもんだろ)


 精悍な面立ちの青年は満足し、部屋の入り口へと向かう。しかし、取っ手をつかむ前に扉が先に開いた。


「困りますよ。勝手なことをされては」


 開口一番に苦言を呈したのは、昔から仕えている従者だ。


「何が問題なんだ。俺は俺のしたいように動くだけだ」

「それが困ると言っているんです! あなたの行動ひとつで、外交問題になるってことをいい加減、自覚してください」


 両手を広げて立ちふさがる従者は、必死の形相だ。


「だが、父上や母上が首を縦に振らぬ以上、適任者は俺しかいないだろう」

「ですから、その役目は親善大使殿に決まったと何度も申し上げています。それに、今頃は隣国に到着した頃でしょう。後から皇太子殿下がのこのこ行ったら、それこそ面目が丸つぶれではありませんか」

「そんな飾りだけの面目など、なくなってしまえばいいんだ。不自由この上ない」


 バッサリ切り捨てると、従者は空を仰いだ。せっかくの好機を見逃す手はないと、皇太子は素早く身を翻す。


(入り口がだめなら、もうひとつの脱出ルートから出るまでだ)


 しかし、窓枠に足をかけたところで逃亡劇は幕を閉じた。風の精霊に行く手を塞がれた皇太子の体はふわりと宙に浮き、寝台の上に降ろされる。

 柔らかなベッドの上であぐらを組み、皇太子は目を伏せた。


「ふっ……主君に無体なことをする根性があったとはな。恐れ入った」

「恐れながら、好きでこんな方法をとっているわけではありません。だいたい、殿下はいつもいつも……」


 従者は頬を膨らませ、主の行動をぐちぐちと非難していく。そして話が昔の行いにまで飛び火し、とうとう小言は終わりが見えなくなった。


(俺たちは、いつまで昔のしがらみに縛られるんだろうな……)


 今日も窓の外は晴天だ。けれど精霊の力で作り出された光に、温かみは感じられない。夜を知らない皇太子は、なぜか隣国の満月が恋しく思えた。

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