第一章

1. 精霊は呼びかけに応じない

 空の鏡がまばゆい光を放っている。

 満月の王国では、真昼であっても太陽が姿をさらけ出すことはない。あるのは変わらず、漆黒の空を彩る月のみだ。

 月光の都は常に仄暗い。そんな中、王国民を優しく包むのは精霊石の灯りだ。時間によって赤にも青にも色を変える不思議な石は、眠った精霊が宿っていると言われている。


「まーた、無意味なことをやってんのか?」


 呆れ声が降ってきて、ディアナは自分を見下ろす少年をにらんだ。


「ほっといて。集中できない」


 再び瞼を閉じ、目の前の札に意識を向ける。

 特殊な和紙で描かれた崩し文字に霊力を流しこむと、文字は一度鈍く光ったものの、すぐに黒い文字に戻る。


(反応はあるのに、やっぱり呼びかけには応じてくれない……)


 下級精霊を呼び出す精霊札でさえ、ディアナは満足に使いこなせない。何がいけないというのか。いくら考えても答えは見つからない。

 少年はベンチの前に回りこみ、銀色の短髪をぐしゃぐしゃにした。


「お前のことを悪く言うやつのことなんて、いちいち気にするなよ」

「……セシルにはわからないのよ。私のみじめさが」


 月宮殿での唯一の味方は姉だけだ。しかし、流行病で両親が他界し、先代に代わって女王となった姉は遠い存在になってしまった。会いたいときに会うこともできない。


「わかった、また陰口でも言われてたんだろ。気にしなきゃいいのに」

「違うわよ」

「だったら何だよ?」


 ディアナはとっさに答えが返せない。

 心の中のもやもやした気持ちは複雑で、うまく表現できそうになかった。


(私はあの頃のまま、何ひとつ変わっていない)


 一人で解決できる問題じゃないのに、頑になってしまうのは悪い癖だ。迷惑をかけたくない思いが歯止めをかけ、いつも素直になれない。

 そんな葛藤を見透かしたように、セシルは諭すように言う。


「ここにはお前の仲間がいるだろ。それとも、俺らじゃ不満か?」

「そんなわけないでしょ! 私を受け入れてくれる人たちに、不満なんて抱くわけないわ」

「じゃあ、別にいいだろ。無理に変わろうとしなくたって」


 まっすぐな瞳に自分の情けない顔が映り、ディアナはうつむいた。


(でもこのままだと……この先もずっと、お姉様の負担になってしまう)


 誰の目から見ても、女王は立派に責務を果たしている。そして、数少ない時間を妹のために割き、そのせいで謂われのない非難を浴びることも少なくない。

 本人がいくら気にしないとはいえ、自分のせいだと責めずにはいられなかった。


「今どき、精霊が使えないやつなんて珍しくないだろ」


 蓮の形をしたランプに囲まれた下町は、薄紅の光に満ちている。半永久的に光り続ける石以外にも、精霊の力はあらゆる場面で重宝されている。精霊を直接使役できない者は、特殊加工された札から霊力を借りて日常を営んでいた。

 しかし、励ましの言葉はディアナの心に冷たく滲むだけだった。自然と声色も沈む。


「精霊札を作ってるセシルに言われても、説得力は皆無なんだけど」

「うっ……」

「何よ、その困った顔。別に慰めてほしいわけじゃないのよ、私は。……修行を続けていたら、いつかは成果があるかもしれない。少しでも可能性があるんだったら、私は諦めたくないだけ」


 精霊札を木のテーブルの上に置くと、横で見ていたセシルが口を開く。


「そうやって、努力し続けるところは嫌いじゃないぜ。俺も付き合ってやるよ」

「仕事の途中なんじゃないの? 別に一人でも十分よ」

「うわ、可愛げがないやつだな。道理で、嫁の貰い手も寄ってこないわけだ」


 感慨深げにつぶやく声に、ディアナの両目がきらりと光った。それから見事な反射神経で正義の鉄槌を食らわす。


「お、お前なあっ……言葉より足が先に出る癖、何とかしろよ!」

「大きなお世話よ!」

「割と本気で痛いんだぞ、これ!」


 足蹴りを受けた膝をさするセシルは涙目だ。


(ふんだ。これを機に、年頃の乙女にかける言葉を勉強したらいいんだわ)


 自分を疎む目から逃げるように、月宮殿を抜け出して下町へ訪れるようになったのは数年前のことだ。そこで出会った初めての友達だからこそ、本音でぶつかり合える。

 そのことに感謝しながらも、ディアナはお説教を始めた。

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