第二章
2-1 呪いを解くための計画(1)
聴谷は髪を切った。
計画のために必要だったからだが、夏休みにアカ抜ける――自分もそうなりつつある事実に、彼女は気恥ずかしくなった。馬鹿らしかった。
それでも、彼女は自分が特別だと思っているわけではないので、髪が切られていくのを甘んじて受け入れていた。
そもそもこの美容室を紹介してくれたのは、三川ルリだ。彼女のことは信頼している。計画に協力してもらうことへの対価のようなものだ。
「可愛いんだから」と三川は言った。「そうじゃなくても、ちゃんとしなきゃダメ。勝負のときは特に」
遮光カーテンみたいだった前髪はきれいに揃えられた。嫌でも世界がよく見えるようになった。もっとも、今の彼女には、ほとんど薄桃色のモノクロに見えているのだが。
鏡に映る自分は、まるであのとき見た魔法少女のようだ、と思ってしまった。
髪がピンク色で、目が大きく見える。
背中の真ん中まであったものも肩までにされた。全体的に体が軽くなったし、釣られてウキウキとする心がいた。
計画――殺すのでも叶えるのでもなく、こちらから辞退する。
要するに、フる。
・・・♪・・・
「わたしなら殺せるけど」
眼科での話をした後、三川ルリは言った。
ぞっとするような気配を逆立てて、眼鏡の奥に妖しげな光を灯らせて。
滅多に見ないリアクションに、聴谷は少し怖くなる。
呑まれてしまいそうな瞳だった。
「そんなこと望んでないですよ」と答える。
「そう?」
「そうです」
三川は気配を納めて、長いため息をついた。こめかみを揉む。
「その医者と元・魔法少女を名乗る女は、グル」
「どうでしょうか」
聴谷には本当に分からなかった。医者は確かに信用ならない人物に思えたし、元・魔法少女の天津ミラについても情報がほとんどない。スマホにある写真だけが、彼女の実在を示している。
この点については、その気になればもっと深掘りすることはできた。
魔法少女に関連する組織は少ないし、その特殊な性質上、情報もオープンにされている。天津ミラが本名でなく、いわゆる源氏名的なものであれば、調査のしようはいくらでもあった。過去の活躍についても確認できるだろう。
しかし、それをしなかったのは、それ以前の問題だったからだ。
「グルだとしても、目的が分からないんですよね」
「その、元・魔法少女を名乗る女に何か問題がある、とか」
「どういう……」
むしろ問題だらけだった、と言えそうでもあった。
「今のそいつ、誰か特別なひとを待っているんじゃない」
三川はそんなことを言った。
「どういうことですか」
「ナノちゃんも知っていると思うけど。基本的に、魔法少女は恋愛禁止。ファンの声援を力に変えている人種だから、仕事をする上でやっぱりリスクがある」
過去には、パートナーの存在を明確にした魔法少女もいたはずだ、と聴谷は思い出す。興味がなくても聞こえてくるくらいのニュースになっていた。彼女の場合は、メディアとファンの両方が好意的に迎えたので、シーズンが終わるまで活躍を続けることができた。
「そういうのに憧れたんじゃない」と三川は続ける。「恋はされても恋のできなかった女の子が、引退を機にやってみたくなった、とか」
考えられない話ではない――のだと思う、と聴谷は思う。いや、正直なところ自分の感覚とはかけ離れていた。けれども、一般的にそうなのだと言われれば、なるほどと手を打ちそうなところでもあった。それに、今まで読んできた本の中や、星座の逸話にしたって、恋に焦がれる物語は登場する。
「それで、キス」と三川が引き継ぐ。「気に入った子に呪いをかけて、医者ぐるみで我が物にしようとしている。殺すか成就させるしかない? 視野狭窄」
彼女は唇を噛む。
「さすがにそこまでは……」聴谷は戸惑った。
大掛かりすぎないか?
それに自分にそこまでの魅力があるとは思えなかった。
「ただの挨拶って言ってましたよ」
「わたしとしては」と三川は胸ポケットの出っ張りに指を置く。煙草の箱のある位置。「元・魔法少女を名乗る女が、誰彼構わずキスしてるなんて思いたくないけど」
彼女はそう言って、舌を出す。きれいな舌だった。
それはその通りだ。
「だから、ナノちゃんに何かあったんだと思う。あの子を惹きつけるような何かが」
「そんなこと」
と、聴谷は即座に否定しようとする。
願ったり叶ったりだ、という言葉が浮かぶが、それは念入りに抑圧する。
「思うに」と三川は指を唇に当てる。煙草が吸えないのだ。「恋に恋する場合はともかく、恋愛関係には必ず二人以上が必要。そしてそこには双方向性がある」
「双方向性? 向こうはこちらをなんとも思ってなくてもですか」
「”思っていない”って矢印は仮定できる」
確信めいた言い方だった。
経験済みのようだ、と聴谷は思う。
考えてみれば、今までルリさんとはそういう話をしてこなかったけれど、彼女に恋愛事情があってもおかしくはないのだ。開架番号44xの前では、そういう話はタブーとされてきただけで。
聴谷には、三川が現を抜かすほどの大恋愛をしている姿が想像できなかった。どんな表情をして、相手はどんなひとなんだろう――そこまで考えて、まるでひとの裸を想像するような下卑た真似をしていることに気づき、中止した。
「でも、今回は向こうにもその気はあると思うから」と三川は続ける。「ナノちゃんが選ばれたのが偶然じゃなくて、ちゃんと向こうにその自覚があるなら――まだあると思う、勝機」
「勝機」
「ナノちゃん、”一目惚れだ”って言われて嫌だったでしょ」
「それはそうです」
自分が言い出したわけでもないのに、自分の気持ちを勝手に決められて、気持ちの良いわけがない。呪いまでかけられて――なんてオカルトな響きだ――自分の大切にしているものを奪われていることには、怒りも感じる。
理不尽だ。
「だったら」と三川。「諦めてもらおう」
聴谷にはまだピンと来なかった。
「呪いをかけたのが意図的なんだとしたら、それを解くことだってできるんじゃない。ナノちゃんがそんなことに付き合えない、もうすでに別のひとと付き合っている、って言うなら、そいつも諦めるんじゃないかと思うけど」
「別のひとと付き合っているって……」
聴谷は周りを見回した。
図書館に併設の公園、そこのベンチテーブルの上にはコンビニで買ってきた(聴谷としては、奢られた)サンドイッチなどが置かれている。
もちろん、他にひとなどいなかった。
「そ、わたし」
聴谷は三川を見る。
「わたしと付き合って、ナノちゃん。――フリでいいから」
三川はそう言って、春の綿毛のように微笑んだ。
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