1-2 ファーストほっぺちゅー
黒髪の隙間に、ひとりの少女が見えた。
革靴、白い靴下、便りなさげな膝小僧、栄養失調ぎりぎりの腿を隠すように、スカートが揺れた。真っ赤なスカーフの交差点に光るものがある。ブローチ。
この街のものではないセーラー服を着ていた。
風が桃の匂いを連れてきて、聴谷の前髪をふわりと上げる。
目が合った。
青い色。
キレイ、と聴谷は思った。シリウスみたい。
しかしそれも、思った側から問題ではなくなった。
彼女の髪は薄桃色をしていたからだ。
――まるでニュースで見かける魔法少女のように。
ピンク髪の少女は、青空を背負っている。
人気のない、持て余した住宅地がそのうしろに伸びていた。
まるでこの街全部を従えているかのようだった。
それどころか、世界全部を任されているかのようだった。
完全に主人公だった。
そんな人間に――しかも初対面だ――「どうして昨晩来なかったんですか」とは訊けない。
「優しいんだ」と、彼女は言う。「壊れたオモチャを嘆くなんて」
今日はこんなに晴れているのに、光を忘れたような目をしていた。色はキレイだと聴谷は思う。輝きに乏しい。単なる光の加減とはまた違っていた。確かに聴谷から見れば逆光だが、それ以上の問題を抱えているように思われた。
どうとでも取れる目だった。
聴谷は、自分が疑われていると判断した。
「わたしじゃないですよ」
「チグハグなひとっているのよ」
「はあ」このひと暇なのかな。
「自分で壊して、自分で悲しむひともいる。あなたもそのひとりかもしれないじゃない?」
「――と聞かれましても」
聴谷としては、違うと言っているつもりだった。
そしてその”つもり”は伝わっていないようだった。学校でもそうだった。人間同士は話が通じない。犬や猫の方が分かりやすい――それが聴谷ナノカの価値観だった。
ただの諦めともいう。
ひとりでいる方が気楽だ。
昼は本を読み、夜は星を見るのが彼女の日課だった。せっかく明日から夏休みだというのに、こんなストレッサーに絡まれるのは御免だった。
なので、彼女は立ち上がることにした。ちゃんと背筋を伸ばせば、身長は高いのだ。おまけに目つきもよくはない。前髪をかき上げて、睨みつけでもすれば大抵の相手は怯む。そうやって
「……ッ」
精一杯の威圧の念を込めて、聴谷は相手を睨んだ。
大した効果は現れなかった。
聴谷の方が、ピンク髪の少女より頭一つ大きい。身長差は20cmくらいある。
彼女が本当に魔法少女ならば、それくらいの差はないに等しい。いつもは数メートルの怪人と戦っているのだから。
「魔法少女になんて、なるもんじゃない」
まったく意に介さない様子で少女は続ける。
「……なるつもりも、ありませんけど」
動揺しつつも聴谷は続ける。
「あなたは――」
「わたしは、そう」
短い言葉だけで肯定する。
であれば、これは経験者による貴重な談だ。
けれども、聴谷には別のことが気になった。
「何か事件です?」
魔法少女は無駄なことをしない。基本的には忙しいからだ。
こんな
「なかったらダメかしら」
「そんなことも……」
わたしの方が背が高いのに、なんでこの子は
少女の言葉が本当なら、自分より背の高い相手なんて見慣れているだろうことに、聴谷の考えは至らない。
「あと、さっきのも正確には、”だった”わね。引退してるから」と少女は言う。
「そうですか……」
「興味ないのね」
「持ってほしいんですか?」
「別に」
「じゃあ」わたし行きますね。
聴谷は踵を返したが、気にせず声がかけられる。
「――ただ、不審よね」
そう言われてしまうと、立ち止まらざるをえなかった。聞き捨てならない。不審、嫌疑――勘弁願いたい。聴谷ナノカは、とにかく目をつけられたくないのだ。
振り返る。
「あなた、信じてるわけ。わたしが魔法少女だったって」
「そりゃあ……」
「なぜ?」
鋭い問いに背筋が伸びる気がした。
隠すようなことなどないはずなのに、自白を強要された気分だった。
「……髪がピンクで、光るブローチを持ってるのって、魔法少女だけですよね?」
小学校の道徳でも習う。
ビビットカラーの髪色と輝くブローチが、その証。
常識だ。
「ふうん――見えるんだ」
「見えるもなにも」明瞭ではないか。
「ご愁傷さま」
ここで少女はフッと笑う。何らかの感情からというよりも、ただの息継ぎのように思われた。
「なにがです」
「スマホ貸して。ロック解除」
意味が分からなかったが、言われるがままにしてしまった。ひとに言われると、意思は弱い。
彼女は無表情のまま自撮りを敢行する。
「どういたしてまして」
聴谷が何も言わないうちから、彼女はそう言う。
この子はあれだ――と聴谷は思う――自分に価値があると思っているタイプだ。
いや魔法少女なら、あながち間違いでもないのか? わたしは興味がないけれど。
「見えなくてもいいものが見えちゃうひとって、いるのよね」
そう言いながら、セーラー服の胸ポケットからケースを取り出して、カードを渡してくる。
名刺――天津ミラ。
くじら座と同じだ。
「そういうの、わたし達は”素質がある”って言うのよ」
「なんのです」
「魔法少女。あるいは怪人」
「興味ないんですよ」
「”今の”あなたはね」と天津は頷いた。
「これから何か――」
「起こるわよ。もしかしたら、”すでに”ね」
「意味が分かりません」素直な感想だった。
「自ずと分かるわ」
「なんとかしてくださいよ」
「引退してるのよ、わたし」
ただ――と、彼女は名刺を示した指をひっくり返す。
聴谷は名刺の裏を見た。
「……お医者さんですか?」
「特殊なね。わたし達みたいなのを専門にしてる」
わたし”達”って。
「一緒にしないでくださいよ」
「何かあったらそこに行きなさい」
話が微妙に噛み合わないのだから、聴谷だってムキになる。
「イヤです」
そう言うと、天津は息をつくようにささやかに笑った。
「ま、それも自由だわ。お互い女子高生だもんね。好きになさい」
そこで天津は聴谷の頬に顔を寄せ――いつも通りの猫背に戻っていたから、ちょっと爪先立ちになるだけで十分届いた――軽くキスをした。
「――ッ、何するんです!」
突き飛ばそうにも、すぐ離れたので、聴谷の手は空を切った。彼女の腕も長かったが、天津の身軽さの方が上手だった。やはり元だとしても魔法少女ではあったのだろう。
「ああ、うっかり」と天津は自分の唇を押さえる。「わたし達ってこうだったのよ」
「わたしは違います」
「癖って抜けないのね。改めるわ」
「謝ってくださいよ」
「誤ったじゃないの」
「……字が違います」
「別れの挨拶よ。忘れなさい」と天津は勝手に続ける。「わたしには何もしてあげることもできないし、そうするつもりもない。問題が起きたとして、それはわたしのせいじゃない」
自治外よと言って、天津は歩き出す。
聴谷は身構えたが、天津は通り過ぎるだけだった。
「ただ、ひとつアドバイスはしてあげる。さっきの、他のひとに見せてみなさい。あなたの異常が分かると思うわ」
「自撮りのことですか?」
「知ってると思うけど、変身前って髪の色は普通なのよね」と彼女はさらに付け加える。「ピンク色に見えてるなら、魔法少女のアウラを見てるってことなのよ」
知ってるでしょ、ベンヤミン、と天津は言う。
ドイツの文学者のことなんて、と聴谷は思う。
「わたしの茶髪がピンクに見えるのは、世界に二種類だけよ。味方か、敵か、その予備軍」
「三種類じゃないですか」
「わたしに味方はいない。だから二種類」
そんな寂しい話があるだろうか。
仮にも魔法少女だったのなら、同僚のひとりもいるはずだった。ニュースとかを見る限りそうだ。一昔前ならともかく、現代の魔法少女は必ずチームを組む。活動を援護する組織も公民問わず存在する。
もっとも、仕事仲間が友人とは限らないだろうけれど、味方であることには違いないだろう。
とはいえ、聴谷は反論はしなかった。
そんな状況には、自分にも心当たりがある。
それに、彼女のこともよく分かっていないのだ。
「フェアウェル、知らないひと。勝手に助かりなさいな」
そう言って、天津ミラは道の向こうに行った。
しばらく聴谷はその場に立ち尽くしていた。
今の出会いはなんだったのだろう。
事態は簡単だ。話のなかなか通じない女に絡まれて、訳の分からない話をされた。ついでに勝手に自撮りもされた。あと名刺ももらったし、いくつかアドバイスもいただいた。
――なんだ、結構いろいろしてくれるじゃん、と聴谷は思う。
だからって、
「ていうか、わたしも道、そっちなんだけどな……」
万が一、変な女に再会するのもこりごりだったので、彼女は結局、迂回することに決めた。
そして歩き出したところで、ずっと立ち話をしていたことに気づいて、少し破顔した。ずいぶんバカらしかった。
天体望遠鏡のことは頭からすっかり抜け落ちていた。
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