シリウス・ウォーカー

織倉未然

第1話

 あーあ、人生が小説だったらなあ。

 聴谷 ゆるしやナノカの感想はそれだった。

 視線の先には天体望遠鏡が捨ててある――粗大ゴミとして。日焼けした鏡筒ボディを見るに、かなりの年代物だ。しばらく使ってなかったのだろうし、メンテもろくにしてなかったのだろう。

 問題はそこではなかった。

 状態だ。

 鏡筒の真ん中には殴りつけたようなあとがあり、大きなヒビが入っていた。

 こんなことをするくらいなら、わたしにくれればよかったのに。

 猫背がさらに丸くなる。

 わたしが小説家だったなら――と彼女は考える――少なくとも、書き直すことはできる。


 ニュースを騒がす魔法少女のように。


 魔法少女。華やかな衣装に身を纏い、光を放ち、巨大な怪人と戦う。当然、街が破壊されることもあるが、怪人の浄化が済めば、被害はすべて元に戻る――そういう奇跡を行う女の子たち。

 さながら、不要な描写を一節丸ごと消去して、辻褄を合わせるように。

 あるいは、昔は正しかった星座を忘れて、新たな星座を据えるように。

 記憶と記録だけは残る。

 よくある話だ。アニメとかでもよく見る。聴谷が小さい頃からやっている。


 ただし、現実には――というか、想像してみれば明らかだが――彼女たちにも限界というのはある。目の前の天体望遠鏡がそうだし、昨晩聞こえてきた喧嘩もそうだった。「そんなもの何になんのよ」という女のひとの声と、「うるせぇな捨てりゃ良いんだろ捨ててやるよ」という男のひとの声。

 一般的な消灯時間を過ぎれば、星がちゃんと見えるくらいに寂れた街なのだ。

 争う声なんて反対側まで届く。

 そして、ひとびとのいさかいに、魔法少女は干渉しない。

 誰かが怪人になれば別だ。

 誰もならなかった。

 聴谷ナノカは、騒がしい声を聴きながら、星が流れるのを待っていた。

 星は流れなかった。

 そういう夜もあるし、諦めもつく。そんなことには慣れている。けれども、壊れた天体望遠鏡は、そういかなかった。彼女が常々望んでいたものが、こうして無惨に死んでいる。

 隠していた将来の夢が、知らない間に砕けていたような気分になった。

 人間関係とかいう、宇宙から見れば些細なライン上の出来事で、人間性とでも言うべき矮小さでもって、破壊されている。

 納得がいかなった。

 どうして、魔法少女は現れなかったんだ?

 聴谷はその場にうずくまる。

 黒い前髪が遮光カーテンみたいに影を作る。その内側で彼女は泣かない。唇を噛みもしない。星空の覗き窓だったはずの砕けた筒の、焼けた肌を撫でる。埃が固まって、ザラついていた。どうしてこういうことが起こるのか、彼女にはまるで分からなかった。

 どうして、昨晩は誰も怪人にならなかったんだろう。

「あーあ」

 今度は声に出して、聴谷は言う。

「わたしが魔法少女だったらなあ」

 追悼の言葉のようなものだった。


 予期せず応答があった。

「やめといた方がいいわよ」


 黒髪の隙間に、ひとりの少女が見えた。

 革靴、白い靴下、便りなさげな膝小僧、栄養失調ぎりぎりの腿を隠すように、スカートが揺れた。真っ赤なスカーフの交差点に光るものがある。この街のものではないセーラー服を着ていた。

 風が桃の匂いを連れてきて、聴谷の前髪をふわりと上げる。

 目が合った。

 青い色。

 キレイ、と聴谷は思った。シリウスみたい。

 しかしそれも、思った側から問題ではなくなった。


 彼女の髪は薄桃色をしていたからだ。

 まるでニュースで見かける魔法少女のように。


 ピンク髪の少女は、青空を背負っている。

 人気のない、持て余した住宅地がそのうしろに伸びていた。

 まるでこの街全部を従えているかのようだった。

 それどころか、世界全部を任されているかのようだった。

 完全に主人公だった。

 そんな人間に――しかも初対面だ――「どうして昨晩来なかったんですか」とは訊けない。

「優しいんだ」と、彼女は言う。「壊れたオモチャを嘆くなんて」

 今日はこんなに晴れているのに、光を忘れたような目をしていた。色はキレイだと聴谷は思う。輝きに乏しい。単なる光の加減とはまた違っていた。確かに聴谷から見れば逆光だが、それ以上の問題を抱えているように思われた。

 目瞬まばたきする度、曇っていく。

 どうとでも取れる目だった。

 聴谷は、自分が疑われていると判断した。

「わたしじゃないですよ」

「チグハグなひとっているのよ」

「はあ」このひと暇なのかな。

「自分で壊して、自分で悲しむひともいる。あなたもそのひとりかもしれないじゃない?」

「――と聞かれましても」

 聴谷としては、違うと言っているつもりだった。

 そしてその”つもり”は伝わっていないようだった。学校でもそうだった。人間同士は話が通じない。犬や猫の方が分かりやすい――それが聴谷ナノカの価値観だった。

 ただの諦めともいう。

 ひとりでいる方が気楽だ。

 昼は本を読み、夜は星を見るのが彼女の日課だった。せっかくの夏休み初日から、こんなストレッサーに絡まれるのは御免だった。

 なので、彼女は立ち上がることにした。ちゃんと背筋を伸ばせば、身長は高いのだ。おまけに目つきもよくはない。前髪をかき上げて、睨みつけでもすれば大抵の相手は怯む。そうやってかわすのが聴谷流の処世術だった。アリクイみたいなものだ。

「……ッ」

 精一杯の威圧の念を込めて、聴谷は相手を睨んだ。

 大した効果は現れなかった。

 聴谷の方が、ピンク髪の少女より頭一つ大きい。身長差は20cmくらいある。

「魔法少女になんて、なるもんじゃない」

 まったく意に介さない様子で少女は続ける。

「……なるつもりも、ありませんけど」

 動揺しつつも聴谷は続ける。

「あなたは――」

「わたしは、そう」

 であれば、これは経験者による貴重な談だ。

 けれども、聴谷には別のことが気になった。

「何か事件です?」

 魔法少女は無駄なことをしない。基本的には忙しいからだ。

 こんなすたれた街に来るからには、事件があって然るべきだ、と聴谷は思った。そっちの方がずっと気になる。同時に、もしそうなら、なんで昨晩じゃなかったんだ、とも思うことになるが。

「なかったらダメかしら」

「そんなことも……」

 わたしの方が背が高いのに、なんでこの子はひるまないんだ?

 少女の言葉が本当なら、自分より背の高い相手なんて見慣れているだろうことに、聴谷の考えは至らない。

「あと、さっきのも正確には、”だった”わね。引退してるから」と少女は言う。

「そうですか……」

「興味ないのね」

「持ってほしいんですか?」

「別に」

「じゃあ」わたし行きますね、と彼女は踵を返そうとした。

 今日は図書館に用事があったのだ。

「――ただ、不審よね」

 そう言われてしまうと、立ち止まらざるをえなかった。聞き捨てならない。不審、嫌疑――勘弁願いたい。聴谷ナノカは、とにかく目をつけられたくないのだ。

 振り返る。

「あなた、信じてるわけ。わたしが魔法少女だったって」

「そりゃあ……」

「なぜ?」

 鋭い問いに背筋が伸びる気がした。

 隠すようなことなどないはずなのに、自白を強要された気分だった。

「……髪がピンクで、光るブローチを持ってるのって、魔法少女だけですよね?」

 小学校の道徳でも習う。

 ビビットカラーの髪色と輝くブローチが、その証。

 常識だ。

「ふうん――見えるんだ」

「見えるもなにも」明瞭ではないか。

「ご愁傷さま」

「なにがです」

「スマホ貸して。ロックは解除」

 意味が分からなかったが、言われるがままにしてしまった。もとより意思は弱い。

 彼女は無表情のまま自撮りを敢行する。

「どういたしてまして」

 聴谷が何も言わないうちから、彼女はそう言う。

 この子はあれだ、自分に価値があると思っているタイプだ、と聴谷は思う。いや魔法少女なんだからあながち間違いでもないのか? わたしは興味がないけれど。

「見えなくてもいいものが見えちゃうひとって、いるのよね」

 そう言いながら、セーラー服の胸ポケットからケースを取り出して、カードを渡してくる。

 名刺――天津ミラ。

 くじら座と同じだ。

「そういうの、わたし達は”素質がある”って言うのよ」

「なんのです」

「魔法少女。あるいは怪人」

「興味ないんですよ」

「”今の”あなたはね」と天津は頷いた。

「これから何か――」

「起こるわよ。もしかしたら、”すでに”ね」

「意味が分かりません」素直な感想だった。

「自ずと分かるわ」

「なんとかしてくださいよ」

「引退してるのよ、わたし」

 ただ――と、彼女は名刺を示した指をひっくり返す。

 聴谷は名刺の裏を見た。

「……お医者さんですか?」

「特殊なね。わたし達みたいなのを専門にしてる」

 わたし”達”って。

「一緒にしないでくださいよ」

「何かあったらそこに行きなさい」

 話が微妙に噛み合わないのだから、聴谷だってムキになる。

「イヤです」

 そう言うと、天津は息をつくようにささやかに笑った。

「ま、それも自由だわ。お互い女子高生だもんね。好きになさい」

 そこで天津は聴谷の頬に顔を寄せ――いつも通りの猫背に戻っていたから、ちょっと爪先立ちになるだけで十分届いた――軽くキスをした。

「――ッ、何するんです!」

 突き飛ばそうにも、すぐ離れたので、聴谷の手は空を切った。彼女の腕も長かったが、天津の身軽さの方が上手だった。やはり元だとしても魔法少女ではあったのだろう。

「ああ、うっかり」と天津は自分の唇を押さえる。「わたし達ってこうだったのよ」

「わたしは違います」

「癖って抜けないのね。改めるわ」

「謝ってくださいよ」

「誤ったじゃないの」

「……字が違います」

「別れの挨拶よ。忘れなさい」と天津は勝手に続ける。「わたしには何もしてあげることもできないし、そうするつもりもない。問題が起きたとして、それはわたしのせいじゃない」

 自治外よと言って、天津は歩き出す。

 聴谷は身構えたが、天津は通り過ぎるだけだった。

「ただ、ひとつアドバイスはしてあげる。さっきの、他のひとに見せてみなさい。あなたの異常が分かると思うわ」

「自撮りのことですか?」

「知ってると思うけど、変身前って髪の色は普通なのよね」と彼女はさらに付け加える。「ピンク色に見えてるなら、魔法少女のアウラを見てるってことなのよ」

 知ってるでしょ、ベンヤミン、と天津は言う。

 ドイツの文学者のことなんて、と聴谷は思う。

「わたしの茶髪がピンクに見えるのは、世界に二種類だけよ。味方か、敵か、その予備軍」

「三種類じゃないですか」

「わたしに味方はいない。だから二種類」

 そんな寂しい話があるだろうか。

 仮にも魔法少女だったのなら、同僚のひとりもいるはずだった。ニュースとかを見る限りそうだ。一昔前ならともかく、現代の魔法少女は必ずチームを組む。活動を援護する組織も公民問わず存在する。

 もっとも、仕事仲間が友人とは限らないだろうけれど、味方であることには違いないだろう。

 とはいえ、聴谷は反論はしなかった。

 そんな状況には、自分にも心当たりがある。

 それに、彼女のこともよく分かっていないのだ。

「フェアウェル、知らないひと。勝手に助かりなさいな」

 そう言って、天津ミラは道の向こうに行った。


 しばらく聴谷はその場に立ち尽くしていた。

 今の出会いはなんだったのだろう。

 事態は簡単だ。話のなかなか通じない女に絡まれて、訳の分からない話をされた。ついでに勝手に自撮りもされた。あと名刺ももらったし、いくつかアドバイスもいただいた。

 ――なんだ、結構いろいろしてくれるじゃん、と聴谷は思う。

 だからって、ファーストほっぺチューを奪ったことを許すつもりもなかったけれど。

「ていうか、わたしも道、そっちなんだけどな……」

 万が一、変な女に再会するのもこりごりだったので、彼女は結局、迂回することに決めた。

 そして歩き出したところで、ずっと立ち話をしていたことに気づいて、少し破顔した。ずいぶんバカらしかった。

 天体望遠鏡のことは頭からすっかり抜け落ちていた。

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