引退した魔法少女にキスされて好きになるとでも思った?(仮)

織倉未然

第一章

1-1 昨日、魔法少女は来なかった。

 キスには一千通りの意味がある。

 ある魔法少女がキスしたのは、ただの気まぐれからだった。


・・・♪・・・


 聴谷ゆるしゃナノカは、天文部を引き継いだ。

 他の部員はいない。先輩の代で最後だった。

 目の前のコルクボードには、他の部活や同好会のポスターが貼ってある。

 新入部員募集中、新メンバー歓迎。

 聴谷は心の中で首を捻らずにいられない。

 

 天文部の活動内容は、天体観測をすることだ。彼女は星が好きだったし、それについて調べたり、実際に見るのも好きだった。街の外れにある天体観測所には入り浸っている。

 けれども、そのことを他の誰かと共有したいと思ったことはなかった。

 自分だけが良さを分かっていればいい――そのスタンスを貫いてきたし、これからもきっと、それは変わらない。

「ポスターの一枚も貼りなよ」と先輩は言った。

 だからこうして、学内掲示板の前に来てみたわけだが、やはり貼り出そうという気にはならなかった。


 彼女に声をかける者はいない。猫背でもなお背が高く、前髪は目にかかり、全体に陰鬱としたオーラを纏っている。

 一方で、存在感が希薄だった。浅く静かな呼吸は気づかれない。紺色の制服は、彼女が着ると喪服のようにも見える。総合すると、影のようだった。ちょうど柱の影と重なるように彼女は立っている。

 聴谷なのかは、一学期の間、ほとんど誰とも口を利かなかった。

 このときもそうで、誰かが彼女に声をかけることはない。気づきもせず通り過ぎていく。

 仮に誰かが来ても、ロクに応対しなかっただろう。


 なぜなら、それは誠実でないと思うからだ。


 ひととの関わりをあまり好まない彼女だったが、話しかけられたことには答える義務があると感じていた。

 相手の心中を慮り、望まれた回答をして、必要であればケアもすること。

 可能であれば、星のことだけ考えていたい――そんな彼女にとって、それは単に面倒なだけではなかった。嘘をつくことにも等しい。

 本当は相手のことなどどうでもいいのに、想っているふりをする。決して得意でもないそんなことをして、自分はともかく、相手を傷つけることになる。


 うん、やはり面倒だった。それは、誠実じゃない。


 彼女は掲示板の前から去ることに決めた。

 大体、終業式の日にポスターについて悩んでも仕方がないのだ。


 明日から、夏休み――魔法少女と怪人の戦いがひとつの佳境を迎えて、中・長編のストーリーが繰り広げられる時期だ。

 世の中は沸き、メディアは口吻を熱くし、世論は是非を問う。

 けれども結局は、魔法少女の勝利にみなが喝采を送るのだ。そして、秋が来る。


 一般人たる聴谷なのかにとっては、それもまたどうでもいい話だった。

 こんな地方都市が舞台になることは滅多にない。

 ましてや自分が関わるだなんて、到底考えられない。

 全ての”仮に”が乗り越えられたとして、その時は万難を排してでも、無関係を貫くだろうと思う。


 それが聴谷にとっての誠実さであり、二番目に大事にしていることだった。


 一番は、星を見ること。

 人間世界の些事とは無縁の星々――法則に基づいて、自分たちの運命を進む彼らのなんと魅力的なことだろう。素直で、誠実で、忖度がない、などといった言葉すら、彼らの本質からは外れている。

 人間の言葉はただの飾りに過ぎないし、冗長だ。

 ただ行くこと。

 シンプルで素晴らしいと彼女は思う。かくありたいと常々思っている。


 そんなわけで、いつも通り、聴谷ナノカはひとりで帰路についた。


・・・♪・・・


 いつもと違う点があったとすれば、この街にしてはやけに日差しが強いことだった。

 眩しく、制服からシャツから素肌までを焼くように暑い。遠くに見えるビルは蜃気楼に揺れていて、アスファルトはすでに蒸発していた。住宅地は変形していた。蝉はかろうじて鳴いているようだった。まさしく虫の息だった。


 さすがに髪を切りたいかも、と聴谷は思った。無意味だなと思った。


「あ……」

 目の前に天体望遠鏡が捨ててあった。粗大ゴミとして。日焼けした鏡筒ボディを見るに、かなりの年代物だ。しばらく使ってなかったのだろうし、メンテもろくにしてなかったのだろう。

 よく観察してみて、驚いた。

 鏡筒の真ん中には殴りつけたような痕があり、大きなヒビが入っていたのだ。ひび割れの大きさから見れば、成人男性だろう。あるいは蹴り飛ばしたのかもしれない。


 こんなことをするくらいなら、わたしにくれればよかったのに。


 猫背がさらに丸くなる。

 天体望遠鏡の死体。破壊されたもの。

 もしも魔法少女がいれば、と思わずにはいられなかった。


 魔法少女が怪人を倒せば、被害は元通りになる。それは今や現実の事象だった。

 オーディション・ウェーブによって変質した大気は、直前の状況を覚えている。

 魔法少女の呼びかけに応じて、大気中のエーテルは、被害を復元していくのだ。

 でも――この天体望遠鏡はそうなっていない。

 それが意味するところは明白だった。

 昨晩は、ひょっとすると怪人は現れたかもしれないが、間違いなく魔法少女は現れなかった。正しくは、怪人すら現れなかったのだろう。そうでなければ、粗大ゴミとして丁寧に捨ててあるはずはない。そこには人間としての愛着が感じられた。

 

 つまり、これは、人為的な事件だ。

 誰かの八つ当たりで起こった、悲しい事件。

 そして、こういった些事には、魔法少女は介入しない。

 人数が限られているし、ここは地方の小都市だからだ。


「あーあ」

 今度は声に出して、聴谷は言う。

「わたしが魔法少女だったらなあ」

 誰にともなく呟いた。 

 追悼の言葉のようなものだった。

 

 けれども、予期せず応答があった。

「――やめといた方がいいわよ」

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