2-4 箱庭運命(3) - 波が来る

 三川ルリが去った後、聴谷は急に孤独になった。

 こんな時に煙草なんて、と彼女は思いかけ、それでも吸いたいものは仕方がないかと捉え直す。図書館にいる時から自由にやっている彼女を、今更自分の都合で引き止めることもできない。

 代わりに喋ってくれるひとはいないのだという事実が、聴谷を落ち着かなくさせていた。

 ここは、自分がいかなければならない。

 

 でも、すでに、作戦は失敗しているようなものだった。

 そもそもどんな展開を期待していたんだっけ、と聴谷は考える。


 わたしとルリさんが付き合っている(虚偽の)事実を提示して、(片想いしている前提・仮定の)元・魔法少女に諦めてもらうこと。それで呪いを解いてもらうこと。

 当然、想定していた丸括弧の中身が破綻してしまえば、上手くいかなくなる。

 

 そこで得たものは、あろうことか敗北感だった。圧倒的な敗北感。

 魔法少女という生き物の、諦めの悪さを考えをに入れていなかったのもある。自分たちの前提が通ずるものだという過信もあった。総じていえば、考えの甘さが招いた事態だった。

 しかし一方で、やはり自分の置かれている状況や貼られたレッテルを認めたくないという気持ちも聴谷にはあるのだった。


 わたしの主たる心とは別に、”本当は”こんな子のことが好きだなんて――


 それだけは、認めたくない。

 これだけは、譲れない。


 目の前にいるのは、諦めの悪い女。

 その彼女と相対するのなら、自分にも諦めの悪さとか頑固さが必要な気がした。


 これは聴谷にとって発見だった。誠実でありたいという理由から、人間関係から遠ざかっていた彼女にとって、どこか誠実と相反する着想だった。自分を通すためには、ひょっとすると、角を立てることを恐れない勇気のようなものが必要なのかもしれない、と。

 

 自分に何ができるだろう、と聴谷は思う。


 しびれを切らした天津が、ポテトを振りながら、聴谷に声をかけた。 

「まあ、ここに座りなさい」

 ポテトは口に。

「あ、はい」

 椅子を引く時に音を立てないよう気にしながら、聴谷はおとなしく座ってしまった。やってしまった、と思ったのは、考えが途切れてしまったことだ。何か啖呵を切るべきだったような気がしたのに、彼女の言う通りになっている。


 天津はハンバーガーのトレイを横にどけて、腕を手を組む。

 その上に顎を乗せながら、唐突に、

「ね、わたしのこと好きなんでしょ」などと言う。

 ひとがひとで事情が事情なら恋しかねない笑顔。

「そんなことありません」

 強く否定したいのに、人前だからか大声が出せない。

「そんなに嬉しそうなオーラ出しちゃって」

 ムッとしたが、記憶は蘇ってくる。

「……ベンヤミンでしたっけ?」

「もう一般的な意味合いよ」と彼女は笑う。

「だとしても、そんなオーラ出してません」


「うっそだー」

 机を押し出すように、仰け反る。あの眼科医といい、魔法少女に関わる人間はみんなオーバーリアクションなのだろうか。


「ま、分からなくもないけどね。わたしってモテるから」

 恥ずかしげもなくそんなことを続けた。

 一度自分の思ったことは変えるつもりがないようだった。

「過去形じゃないんですか?」と聴谷は言ってみる。

「あなた知ってる? わたし、たくさんファンがいたのよ」

「知りませんが、魔法少女だったなら、変な話じゃ――」とそこまで言って、聴谷はふと違和感に気づく。「――そちらは、過去形なんですね」

「あれはわたしが現役だった頃の話。ねぇ、なんで魔法少女が人気か分かる?」

「可愛いくて強いから、ですか」

「それもある」否定はしない。「大事なのは、諦めなかったからだと思うのよ」

「今は違うと?」

「今でも基本的にはそうね。でも、肝心な時に諦めちゃったから」

 深くは聞けない気がしたので、聴谷は黙る。


「罪な職業よ」両手を伸ばして、爪を見ながら「それこそ、呪いにもかけられちゃうくらい。期待も大きかったし、望まれることにはできるだけ応えようとしてきたわ。ファンサービスでほっぺにキスくらいするわ。魔法少女同士の挨拶でもしてたし、気に入った子に限ってだけど」

「わたしだけじゃない」

「あなたが特別ってわけじゃないって点では、そうね」

 特別じゃないのは良い。

 しかし、少しだけ嫌な気分になった。

「わたしは確かにチャーミングな存在ではあった。でも、あなた達の言う呪いなんて存在しないし、事実かけた覚えなんてないの。キスにしてもそう。”またしてほしい”、”今後は自分だけを見て”ってのは、ファンの領分を超えていると思わない?」

「そう思います」

「あなたのことを言っているのよ、聴谷なのかさん」と彼女は真面目な顔をする。一体いくつの表情を持っているんだろう、と思わずにはいられない。


「そういうの、厄介なファンって言うのよ」


 言うに事欠いて、厄介なファン――聴谷は驚いた。

 事実誤認も甚だしい、と言いたかった。すべての前提が間違っている、と。次いで、自分の気持ちも知らないくせに、それどころか自分のことも何も知らないくせに、という言葉が続く。しかし、どれもが口をついて出ることはなかった。

 それだけ驚愕したというのもある。

 何よりもショックだった。

 自分の最も避けてきたところのレッテルがまた一枚増えた。それが嫌で、他者と関わってこなかったと言ってもいいのに、自分の知らないところで、自分が何者か決めつけられている。


 ――理不尽だ。

 

「まず、ファンじゃありません」

「もうファンじゃないってよく聞いたわね」

「もともと違うんです」

 信じてください、と言おうとして、自分が懇願しようとしたことに気づき、恥じた。

「呪いをそうして認定したように、わたしにとっては同じことなのよ」

「わたしは――」声が大きくなりそうになったのを抑えながら「ただ目を治してほしいだけで」


「”勝手に助かりなさい”っていうのはね」と彼女は聞こうとしない。「わたしにできることはないってことなのは分かるわよね?」

「それは、分かります」

「自分で言っといてなんだけど、十分じゃないと思うわ」

「どういうことですか」

「あなたは今、分水嶺にいる。スコア、高かったでしょう?」

見習い尺度アプレンティス・スコア〉、73。

「進路を決めるべきなのよ。魔法少女になるか、怪人になるか。もちろん、どちらも選ばないってこともできるけど、オーディション・ウェーブは気まぐれよ。突然スポットライトが当てられることだってある。そうしたら、もうあなたは舞台の上なの。終わりなき選別のための」

 

 終わりなき選別。

 魔法少女になった者も、怪人になった者も、決まって「選ばれた」感覚を得る。これ自体は不思議な話ではない。実際に人智を超えた力が手に入るのだから、ある程度の全能感もついてくる。

 実のところ、オーディション・ウェーブがどういった原理で発生する気象現象なのか、科学的には明らかになっていない。ただ、魔法少女と怪人だけが”なんとなく”その到来を感知できる。身体に取り込まれたエーテルが一定以上になると、それらが共鳴して察知できるようになる、との見解もあるが、推測の域を出ていない。

 

 聴谷にしてみれば、全然実感のないことだった。

 すべての原因が目の前の少女にあると言ってしまいたい。

 仮に選ばれることになったとしても、それはこの子のせいであるとして、逃げてしまいたい。


「でも、今のあなたは魔法少女じゃない、じゃないですか」と言ってみる。「辞めることだってできるんじゃないですか?」

「あるわ」即答だった。「でも覚悟が必要よ。みんなが憧れるチャンスを不意にして、あるいは怪人になるかもしれない可能性に怯えながら、そのまま生きていくってこと、あなたにできる?」


 決めつけられた上に、覚悟を問われた。

「そんなもの、ありません」

 素直な感想だった。あるわけがない。


「じゃあ、あなたが怪人になったときは、わたしがなんとかしてあげるわ」と天津は言う。「正確には、わたしじゃないけれど。魔法少女にはまだ伝手があるから、それを使ってね」


 彼女はドリンクを飲む。

「それか、そうね」唇からストローが離れた。「もしあなたが”わたしは厄介なファンです”って言うなら、試しにキスしてあげる。それであなたの中の何かが落ち着いて、スコアも下がるかもしれないじゃない?」

 面白そうに彼女は言った。

 全然面白くなかった。

「本当ですか?」と聴谷は尋ねる。

「どうかしら」

 きっとしないだろう、と聴谷は思う。


「それに、今日じゃないわね」

 彼女は両目を瞑る。

 シリウスのような蒼い目が隠される。

 何かの到来を待ち構えるかのように。

 雑踏が沈黙に流れ込んでくる。


「波が来る」と天津ミラは呟いた。


 ――突然、空が暗くなった。

 直後、ヒビ割れた鐘楼を打つような音が聞こえた。

 虹の色相を反転させたような光の輪が、空に広がる。

「オーディション・ウェーブ……」と聴谷は呟いた。


 瞬間、電気が落ちてあたりは暗くなる。

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