2-3 箱庭運命(2)
2-3 箱庭運命(2)
食事の前なので、手を洗いに行くと、吐いているらしいひとがいた。
ひとはいろんな理由で戻す。異物や毒物を感じたときや、病気のとき、そして精神的理由からも。
そんなことがあったものだから、聴谷は食欲が失せてしまっていた。
三川はステーキを頼んでウキウキとしている。まだ手元にはない。その代わりの呼び出しブザーは鳴るべき時を待っていた。
平日でひとが少ないとは言え、フードコートはほとんど満席だった。”小都市”中の人々が集まるのだ。
「あいつ」と三川が言った。
彼女が睨む先を聴谷も見る。
何を指し示しているのかは、すぐに分かった。
――元・魔法少女、天津ミラ。
薄桃色の中でもすぐに見つけることができた。唯一彼女だけが元の色彩のままだったのだ。聴谷はそのことに少なからず感動し、もう少しで涙を流すところだった。彼女に会えたことがではない――そんな覚悟はできていない――世界に色があることが嬉しかったのだ。
しかし三川はどんどん進む。
向こうも気づいたようで、こちらを見た。
「あら」
「ナノちゃんにかけた呪いを解け」
開口一番がそれだった。
「ナノ……?」天津ミラは分からないという顔をする。
「わたしのことです、聴谷ナノカ」
「あなたのことは覚えているわ。名前は初めて聞いたけど」と言いながら、ハンバーガーの包みを開ける。「どう、何か起こったでしょう?」
まるで面白いことかのように彼女は言う。
事実、天津の想定ではそうだったかもしれない。
聴谷は違う。
「目が見えなくなりました」と切り出す。「世界が薄桃色に染まっているんです」
「あら」
予想外だと言う風だった。それは聴谷のことのようにも、ハンバーガーの味についてのようにも聞こえた。どうとでも取れる声だった。
二人は彼女が食べ終えるまで待つことになった。間抜けな時間が流れた。幸い、小さなバーガーだったらしく、数口で片付く。その代わり、彼女の前にはそれらが山のように積まれているわけだが。
「で、なんだっけ」と包み紙を丁寧に折りたたみながら、天津は問う。「呪いって言ったけど、どんな呪いのこと?」
「だからこの目のことで……」
ここで聴谷は参った。
自分から一目惚れしているんです、なんてことは言えない。
だが、三川は違う。
「医者に会った。ナノちゃんの視覚異常は、この子があんたに恋しているからって話」
「ふうん」
天津はニヤニヤする。それなのに、目だけがどこか虚だった。それは先日初めて会ったときと同様で、生気の抜けた印象を与えるものだった。
「そういうこともあるんじゃない?」
「わたしは違うと思う。恋してるのは、あなたの方」
「そう思う根拠は?」
「その一、あなたは引退したばかりで寂しい。その二、あなたは恋に憧れがあった。その三、ナノちゃんは可愛い」
聴谷は論理的じゃないと思った。
あまりに感性的な理由を挙げたので、彼女は戸惑う。
「論理的でないし、結局ただの惚気じゃない」
「感情の話をしている」
三川は鼻を鳴らした。
「それに、魔法少女相手に解く理屈はない」
「元、だけど、確かにそれもそうね」と天津は笑う。「でも、ブラックボックスだからって論理的思考を放棄して良い理由にはならないわよ?」
その考え自体には、聴谷も賛同する。宇宙についてだってそうだ、と考えかけるが、自分が現実逃避しようとしていることに気づいて、抑えた。
「整理するわね」天津はドリンクを飲む。「あなた方は、呪いの元凶はわたしにあると考えている。わたしがその子に一目惚れしたのが原因だと。……どうしてそうなっちゃったのかしらね」
「あの医者は信用ならない。あなたも」
「だからわたし達が嘘をついて、事実は逆だと考えたわけ? 短絡的ね。浅はかね。バカみたい」
三川はムッとした表情を浮かべた。
「それに、わたし達は付き合っている」
言ってしまった、と聴谷は胸が少し傷んだ。
その設定を演じることで合意は済んでいる。しかし、その時が今日だとは思いもしなかったのだ。
覚悟ができていないのだ。
正確でないところを演じるという不誠実に。
天津は舌先をちろりと出した。
「はいはい、それはご馳走様。お付き合いは神聖不可侵にして、ナノちゃんとやらは不貞を働くことはない、とそう言いたいわけね」
「ナノちゃんは、誠実だから」
その言葉は、おそらく今もっとも聞きたくない言葉のひとつだった。
「誠実。誠実。誠実ねぇ」
元・魔法少女の目が、聴谷を見た。サングラス越しに、目の奥、脳の中まで見透かすような鋭い視線だった。自分が今この瞬間にも不誠実を働いていることが、暴かれそうな気がして、聴谷は居心地が悪くなる。
その目に悪戯心のようなものが、一瞬、きらりと灯った。
「面白いわ。話にノって上げる。ひとに二心なし――そんな妄信的な確信、嫌いじゃないから」
ずいぶんとウキウキした様子で天津は言った。
彼女はひょっとすると、ひととの会話に飢えていたのかもしれない。
「是非聞かせてほしいものだけど」と天津。「百歩譲って、わたしがあなたに――」
彼女は聴谷を指差した。
「――好きになってもらうために、呪いをかけたとします。ちゃんと見えるようになりたかったら、わたしのことを好きになりなさい。首尾よくいったとして、”恋は盲目”は強化されるようにしか思えないんだけど」
「それは……」
その通りだと聴谷は思っていた。
「でも、恋と愛は違う」
三川は断言する。
医者もそのようなことを言っていたな、と聴谷は思い出す。
そこに果たして説得力を求めて良いものか、彼女には分からない。違うものだということは分かる。しかしそれで、物の見え方が変わるほどのものなのか、どちらもよく知らない彼女には想像だにできなかった。
「なるほどね」
天津は一旦引き下がる。
「じゃあ次の質問。次っていうか最後ね。一番大切な質問よ」
うんうん、と頷いて、彼女は言う。
人差し指は裏返され、その腹が誘うように締めされた。
「わたしがあなたのことを好きだと仮定して、わたしの方から関係を切ってほしいと懇願されて」
元・魔法少女の表情からニヤついた笑顔が消えた。
「――それで、どうしてわたしが諦めなきゃいけないわけ?」
魔法少女は諦めが悪い。それは個性豊かな少女達に共通する性質だった。
引退したところで、それは変わらないのだろう。
真面目な表情に、聴谷も三川も言葉に詰まった。
「挑戦されたから受けるけど、本当にわたしが好きだったら、絶対に諦めない。呪い? ――便利な言葉ね――使うわよ。活用する。相手に付き合ってるひとがいるから何? そんなこと、諦める理由にならないじゃない」
空気がピリついていた。
二人とも、天津ミラという少女のことを何も知らなかったのだ。
しばし間を空けて、彼女はぽんと手を合わせる。
「まあ、ただの思考実験だけどね」
少しその場が和らいだ。
「でも実験ついでに言うと」手を合わせたまま、揃えた指先越しに彼女は言う。「呪いを解けってわたしに言うのは、お門違いって奴よ。ユルシャじゃない方のナントカさん」
「三川ルリ」
「ルリちゃん」年下だろうに、天津はあえてそんな言い方をする。「あなたの大事なナノちゃんが、わたしに心を奪われているってのは、想像し難いものだろうけど、想像だにしたくないものだろうけれど、十分起こりうることなのよ」
「この子を軽んじることは許さない」
三川は身を乗り出すので、聴谷は止める準備をする。
「呪い? この子に? 問題なのはそこじゃないじゃない。その子の移り気の方よ。そんな気にさせたあなたの方に問題があるとは考えないわけ? あなたの言ったことが全部本当で、本当に付き合ってるんだとしたら、手綱はちゃんと握っておかなきゃ」
三川は呼び出しベルを強く握りしめた。
「――たとえば、自分磨きするとかして」
三川が勢いよく踏み込んだ。「ルリさんっ」と聴谷は小声で制する。
タイミングよく、ベルが鳴った。
三川は止まる。
「落ち着いてください」
「……取ってくる」
「一緒に行きましょうか?」
「いや、いい。一服もしたい」
三川が人混みに紛れるのを見送って、聴谷は天津を見た。
「勝っちゃったかしら?」
ポテトを摘む少女に、聴谷は呆気に取られてしまう。
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