2-2 箱庭運命(1)
ここにはなんでもある。
何にでもなることができる。
ただし、そこにあるものに限る。
・・・♪・・・
トメリ市の大型商業施設、「ベイデイルとめり」はかなり大きい。JR沿線上にあって、市内の中心駅から20分程度の南トメリ駅からはコンコースで繋がっている。あらゆる店がつまっており、ショッピング専用の小都市言えそうな規模がある。
この街に住む人間がしっかり買い物をしようとすれば、必然的にここに行き着くことになる。
当然、地元の商店街は死んだ。
そういう風に考えるとき、聴谷には、そのショッピングセンターはどこか鯨骨生物群集を思わせる。自分たちの普段過ごす環境とは全く異なって、独立した生態系があるような気がするからだ。
巨大な白い体躯と、どこにも繋がらない内部の活況。
天気のせいだ、と彼女は思うことにする。
今日はずいぶん曇っている。砂の舞った海の底のように暗い。
三川ルリが停めた車から降りると、聴谷はめまいのする頭を押さえた。ただの曇りならよかったが、今の彼女には毒だった。白色の圧が強いと、桃色が濃く映る。以前までなら気にもしなかった大気の流れも、今の視界ではよく判別がついた。
「大丈夫?」
三川がサングラスを差し出してくる。ティアドロップ型。少し古いような気もしたが、彼女がかけるならちょうど良い気がした。
自分に似合うだろうか、と余計なことを考える。
「かけといた方がいい、多分」
いくらか楽になった。どういう仕組みなのか、自分でもよく分からない。まだ違和感が残ってはいたが、気遣いが嬉しかったので、それ以上は文句を言わないことにした。
地面を這うような線が見えていた。
たどると、駐車場の隅の方にわだかまっている。
「あそこ、何かありませんか?」
「うん。事故じゃない」
「事故……」
「黄色いテープが貼ってある。文字は読めないけど」
「立ち入り禁止か”KEEP OUT”ですよ」
映画かドラマで見た知識で聴谷は答える。
その車はちゃんと停めてあるように見えた。異常があったような気がしたが、今の自分の目は信用ならない。壊れたというよりは破壊されたという風に見えていた。単にぶつかったというよりも、千切られたような痕があるように。
・・・♪・・・
「手足はゴツい方がいい」
三川に最初に買ってもらったのは、ワークブーツだった。
撥水、除湿、そして何より高耐久――魔法少女の台頭によって、素材技術は格段に進歩した。一般的な価格帯の靴でも、性能面では申し分ない。何より、三川の言う通りゴツかった。
奢ってもらう立場の聴谷には、文句のつけようがなかった。
勝負をするには衣装から、とも三川は言った。
しかし、勝負も何も、聴谷には交際経験がない。人間の付き合いに興味がなかったからだ。いざコーディネートせんとしても、知識もなければ他に頼れる相手もいなかった。もちろん、と言うべきか、三川が名乗りをあげる。
目が珍しく輝いていたとなれば、聴谷には辞退することはできなかった。
自分の小遣いで出せる範囲で、と彼女は言ったのだが、三川がそれを許さなかった。
「わたしが出す」
「悪いですよ」
「端金」
そんなことはないだろう、と靴の値段を見て聴谷は思った。普段本を買うときは気にしないのに、こんな時に気になるものなのだな、と目を背ける。手に入れた金は全て本か天体観測用の機材に注ぎ込んでいたから、自分ではどうにもできないのも事実だった。
「そういえば、ルリさんって稼いでるんですか?」
今すぐ履き替えてとのお達しに従った聴谷は、新品の靴を見ながら質問する。
「多少は」
聴谷の足元を見て頷きながら、彼女は答えた。
「そのう」
「副業で、稼いでいる」後腐れない言い方だった。「ライブの方は大したことない」
「そういえばギター、やってるんでしたね」
「ナノちゃんは来てくれないけど」
「呼んでくれてないじゃないですか」
「呼んでも、多分、来ない――立って」
言われるままにする。
普段履いている革靴よりも更に底が高い。よろめきかけた。
「やっぱり、女の子は、ゴツい靴を履くべき」
それって性癖では? と聴谷は思うが、言わない。
自分より背の低い三川が更に小さくなった。
ジーンズ一本にしたって大した値段だった。
通い慣れているのか、ちょっとした街みたいな規模のショッピングセンターを三川はすいすい進む。胸を張って行く。その後ろ姿は勇敢な警察犬みたいで、聴谷は自分もかくあるべきなのだろうかと思ったりした。
普段猫背の彼女も、少し背を伸ばしてみる。
夏休みとはいえ平日だからか、人は少ない。
着せ替え人形の身分も手伝って、勇気を出してみた。
「もし、本当に付き合ったとして」とふと思って、自分に服を当てている三川に尋ねてみた。
「どこに連れて行ってくれるんですか?」
眼鏡の縁から見上げて、
「アウトドアかライブかな」と答える。
「ルリさんのですか」
「ライブの方は違う」
さっきも言った、というように目で制してくる。
「わたしのよりも良いのはたくさんある。残念ながら。そっちの方がナノちゃんも気に入ると思う」
はたして自分は一体どんな曲を聴くと思われているのだろう、と彼女は考える。サブスクライブしているサービスが提案するままに聞いているの、というのが正解だ。グッドもバッドもしない。ただ、周囲の騒音をシャットアウトするためだけに流している。
それよりも。
「アウトドアは所有しているんですか」
「”我が物と思えば軽し”って詩がある」
図書館司書らしい言い方だな、と聴谷は思った。彼女も彼女で、正しい句を知らないのだから、どうしようもなかった。
「ナノちゃんほどじゃないけど」次の服を当てながら「わたしも好きだから」
星空が。
聴谷は急に寂しくなった。努めて考えないようにしていたし、確認もとっていないが、おそらく今の自分は、夜空を見ることができない。単純にすべての色が桃色のモノトーンになっているだけであれば、五光年譲って、そういう色の天体写真だと思うことができる。しかし、現実には、染色は完全にランダムだった。
今の彼女には、以前なら見えないものが見える。
駐車場で見た地面の線もそうだ。
何かが泳いで潜ったような痕跡。
「だから、早くケリをつけよう。見せびらかして」
力強く、三川は言う。
なんだか込み上げるものがあった。
「そうですね」と聴谷は言った。「あと、できれば暗い目の色でお願いします」
「ダメ」
「え」
「放っておいたら黒子になっちゃうんだから」
「……裏方でいたいんですよ」
「その顔で?」
聴谷は驚いた。馬鹿にされたかと思った。
「――無理がある。ちゃんと可愛いの、自覚すべき」
呆気に取られている聴谷から一歩引いて、三川はうっとりするような表情を見せた。
会心の出来だそうだ。
「表は日本古典文学の研究生、裏はエージェント」
そう三川ルリは頷いた。
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