1-3

 市立図書館に向かう間、聴谷は何度もスマホを開いた。

 天津ミラの写真を見ては、画面を消し、また少しして見返すといった具合だった。もっとも、単に見るというよりは、睨むといった方が適切だった。

 そうしている内、なんで無表情なんだ、と疑問に思えてきた。

 

 ――笑えばきっと可愛いのに。

 

 聴谷は基本的に犬派だったが、写真の少女には子猫を思わせる何かがある。今はあどけなさが抑圧されきっているが、パーツには可能性が隠されていた。


 ――魔法少女なんだろ、笑えよ。


 そうも思う。

 怪人の魔の手からみんなを救うヒーローのはずだ。ファンも多いし、彼女らもそれが力になると知っているから、サービスを欠かさない。

 自分とは全く違う世界に住んでいる少女たち――才能に溢れ、使命を持ち、みんなに求められ、それに応える仕事ポジション。彼女たちがいるおかげで、どれだけの人々が勇気づけられていると思っているのか。


 そのひとりが、今とてもつまらなさそうにしている。

 なんだか聴谷には納得がいかなかった。


 ――不公平だ。


 彼女は頬を撫ぜる。

 一瞬の柔らかさだったのに、まだ唇の感覚が残っているような気がした。ふわっとした感触が蘇っては消える。羽毛で撫でられるように、胸の奥底がくすぐったかった。

 正直なところ、複雑な心境だった。

 キスひとつで、選ばれたような気分になっている自分がいるのも確かだった。そんなことない、気のせいだ、と大部分は否定しているが、まるであのメディアの中の魔法少女に特別な目をかけてもらったかのような気がしていた。

 聴谷はもう一度スマホを開く。時刻を確認するだけのつもりだったが、次の瞬間にはすでに天津ミラの写真を見てしまっている。


 ――なんで仏頂面なんだ。


 せめてこの子が笑顔なら、すべては素直に進むだろうに。


 ・・・♪・・・


 聴谷が市電を降りると、待ってましたとばかりに灼熱が抱きついてくる。

 頭の中の疑問は気化してしまい、納得いかないという感想だけが残った。


 ――何に? 暑さにだ。暑さと笑わない魔法少女にだ。


 何か支えを求めたのだろう、聴谷は真っ直ぐ図書館に入ることはしなかった。

 あえて公園の方を覗いてみる。

 近くの教育大の学生だろう数人が、未就学児と思しき子らにサッカーを教えていた。チームという意識がないようで、自分のポジションなど度外視で、少年たちはボールを追っている。彼らの目的は明確だった。


 その様子を、木にもたれかかるようにして見ている喫煙者がいる。

 金髪のウルフカット。左耳にピアス。黒縁眼鏡をかけている。ワークブーツの彼女はポケットに両手を入れながら、煙草をふかしていた。エプロンをしているところから、司書だと分かる。

 敷地内禁煙だったはずだけどな、と聴谷は思うが、詰めていくことはしない。

 彼女の煙草の匂いが好きだったからだ。


 紫煙は木々に紛れる。

 司書――正確には司書見習いの三川ルリは、たまに業務を抜け出す。風の流れを計算に入れ、面倒のないようにルールを破る。彼女にとって、縛られるというのは非常にストレスのかかることなのだ。ここにいる理由は、ただ本が好きだからだった。

 しかしそれにも限界がある。

 ここには人間が来るのだ。そして、三川ルリは人間があまり好きではなかった。


 風向きが変わるまで、あのひとはあそこにいるのだろうな、と聴谷は思う。

 そのことを確認して、彼女は図書館に入ることにした。


 自動ドアが開くと冷気が逃げ出してきた。

 ――ああ、世界が変わる。

 洗うような冷気の中に、ぐっと足を踏み入れる。

 人間の土地がそこにあった。

 ――ただいま。

 そう心の中で呟いたのは、彼女が一日の大半をここで過ごすからだった。家には、寝るときと少ししかいない。特別家庭に問題があるわけでもなかったが、本の数が段違いだった。幼い頃からずっと入り浸ってきたのだ。もはやここがホームである。

 ――照明、変わったのかな。


 いつもは白い光が少し色づいて見えていた。

・・・♪・・・


 

 開架番号44x。宇宙のコーナーの前に聴谷は立っている。前髪を大きなヘアクリップで留めているのは、ちゃんと広く見たいからだ。

 新しい本はないか、書庫から出てきているものはないか。語りかけてくるものはいないか――霊感じみたものまで使って、彼女は本の背表紙を眺めている。いつもの聴谷にとって、この状態は「待っている」状態に等しい。

 アイディアが降ってくるのを待っている。


 今日に限って言えば、問題の核は明確だった。

 自分のこの見え方についてだ。


 書名をザッピングしながら、彼女は考える。


 天津ミラの言葉によれば、茶髪がピンク色に見えているらしい。アウラを見ている、と彼女は言っていた。でも、図書館の照明も薄桃色に見えている。これもアウラで説明できるのか? 図書館のアウラ。茶色と白色。関連はなさそうだ。そもそもアウラってなんだっけ。

 そもそも、魔法少女絡みの話なら、エーテルの方をあたって見た方がいい気もする。


 エーテル――魔法少女と怪人の関係を説明するために復興された、仮定の物質。宇宙的な気象現象オーディション・ウェーブによって、活性化されたとされる仮想の媒質だ。魔法少女と怪人の話をする際には、避けることができない単語でもある。

 聴谷にとっても、馴染みのある単語だ。宇宙、気象、それから文化に至るまで、最近の本には必ずといっていいほど登場する。なんでも可能な、と言っても過言じゃないほどに便利な概念。今はまだ動力として使えていないから、放置されている。


 ――いや、あとにしよう。


 彼女は目についた本を手に取るのをやめた。

 考えられることはまだあるはずだ。なんでも可能な物質に答えを求めるのは、思考放棄と同じだ、と思い直す。

 

 ――市電のひと達は、変に見えていなかったはず。

 定かではない。ちゃんと観察していなかったことが悔やまれた。

 笑わない魔法少女の写真にうつつを抜かしていたからこうなる。


 ――この色覚異常はどこまで進行するんだろう。


 聴谷は不安になった。

 空はどうだ。特に夜空は。

 たった一人の女の子の髪色が変に見えるだけであればいい。

 問題は、星空に変な色がつくことだった。

 聴谷にとっては死活問題だった。


 似たケースはあるんだろうか? 背表紙は何も言わなかった。何も降ってこない。聴谷は天を仰いだ。薄桃色をした図書館の照明が降り注ぐ。変に甘い匂いがして、彼女は目眩を覚えた。小さくよろめく。


「大丈夫?」聞き慣れた声がした。

 司書見習い、三川ルリだ。

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