1-6 眼科トーク(2)

「嘘はついていません」と聴谷は言った。

「無意識的についてしまう嘘、というのもある」と医者は続ける。「不誠実と言い換えてもいい」

 不誠実。

 誠実ではない。

 そう言われるのは心外だった。

 わたしは何に対して誠実でなかった? と聴谷は考える。医者に、魔法少女と会った話をしなかったことだろうか。しかし、専門家に対して何を語りうるだろうと彼女は思った。頓珍漢なことを言いかねないのだったら、彼女は黙るタイプだった。

 それに――と聴谷は目の前の幼女を改めて観察する――胡散臭い。身長は140cmあるか程度。歩けば白衣の裾が床につくし、袖はかなり余っている。肌は剥いた卵のようにツヤツヤしており、色素の薄い髪がほんのり赤く見えている。大きな目には好奇心と悪戯心が宿っている。


 医者だと思って話していたが、実のところ、聴谷は彼女のことを信頼していなかった。

  

「確かに魔法少女には会いましたけれど、眼を診るだけでそこまで分かるんですか?」

「良い質問だ」

「わたしくらいになると分かる、とも言いたいところだが、一応、種明かしもしよう。事前に連絡があったんだよ――”あなたの病院ところ、紹介したわ”――天津ミラにね」


 天津ミラ。

 その名前を聞いた途端に、頭の中がふわっとした。

 聴谷は努めて無表情を貫いたが、すんでのところで破顔するところだった。


「ああ見えて、あの子は結構モテるんだ」と医者は言った。「だから、君があの子に心を奪われてしまうのも理解できないわけじゃない」

「奪われてません」と即応する。

「ふうん?」

 大きな目。そして不敵な笑み。

「まあ、君がそう言うなら、そういうことにしよう。ひとまずはね」

 椅子を回して、レントゲン写真のようなものをボードに貼る。


 丸椅子が聴谷には低過ぎたので、居心地が悪かった。もちろん病院はリラックスするための場所じゃないが、それにしたって限度があるだろうと思った。


「君のスコアについてだが、これが一時的な負荷で高くなっているならまだ良い。でも、その状態に体が順応し、高いままになるとマズい。魔法少女や怪人になるつもりなら、話は別だけど」

「そんなつもりはありません」

「だったら、なぜもっと早く来なかったんだい」

「三日ですよ」

「その三日は大きいよ」


 聴谷は、膝の上でスカートを掴む。去年から持っていたはずだったが、何色をしていたのか思い出せなかった。彼女に見えているのは、桃色と白色のチェック柄だ。膝下まではある。その長さだけが間違っていなかった。


「遅かった」

「三日前なら」

「そう訊かれると参るね」と北落と名乗る医者は、頭の後ろで手を組んで、椅子を反らす。「それでも、”遅かった”って言っただろうからねえ」

「じゃあ」

「正しいタイミングはいつだったかって?」

 大きな目だけを動かして、本人からすれば見下ろすようにして、医者は聴谷を見る。

「ふふふふ」

 そして、突如体を折り畳む。

 ネズミ捕りみたいに暴力的な勢いだったので、聴谷は怯んだ。

「それはね――聴谷ナノカさん――」

 両手を合わせ、今度は下から覗き込むようにして、医者は続ける。

「もちろん、決まっているじゃないか。天津ミラに出会う前だとも」


 何を言っているんだこのお医者さん。

「何を言ってるんですか」

「”正しいこと”だよ。他にどう聞こえるんだい?」首を傾げる。

 ただでさえ童顔なのに、そうされるとより少女っぽさが増す。


「――わたしの言葉は全て真実から構成されている。わたしが世界の真実の源と言っても遠くない。それとも言い切ろうか? そうしよう。わたしはすべての真実を生み出した。ふふふふ、なんだか、そんな気がしてきたな」

 ぶかぶかの白衣の袖口を合わせて、北落は笑う。

 さすがに逃げ出したくなってきた。


「ほら、ミッシング・リンクってあるだろう?」

 知っているかい、と彼女は尋ね、聴谷が答える前から、知りたまえこの瞬間にと無茶を言う。

「――あれもわたしの名前から取られたんだよ。北落ミスガだからね。正しい発音は”ミッスィング”なのさ。いやあ、世紀の謎の名付け親になるとは、我ながら誇らしい」


 ここで、否定してみることは容易い。スマホで調べて、提唱者の名前を挙げることも簡単だ。

 それでも、北落ミスガは自分の意見を変えないだろう。

 強情さとはまた別で、単に思いついた側から信じ込んでしまうタイプだった。

 それはここまでの問診と検査の中で交わされた会話からも明らかだ。

 端的に言って、聴谷の手には負えない。


「天津ミラ――魔法少女に出会う前って言っても」

「時間遡行しろってわけじゃないとも」と彼女は頷いて、「――タイムマシンなら昨日発明したけどね――」と付け足す。「だが、まあそれはキミに使える代物じゃない」

 存在もしていないんじゃないか、と聴谷は考える。

「魔法少女の到来くらい、誰しも気づいて然るべきだじゃないか」


 話にならない、と否定したい気持ちになったが、聴谷は堪える。

 この虚言癖と思しき少女の言葉は、可燃性だ。否定しようとすれば、それを種にさらに燃え上がる。要するに、話が長くなるのだ。根拠の確かめようのない話ほど、聴谷にとって水の合わないものはなかった。


「オーディション・ウェーブの到来によって、この惑星の大気はすっかり変質してしまった。エーテルという物質が仮定されるようになったのは、君も知ってるね?」

 聴谷は頷くが、それを待たずに北落は続けた。全然噛み合わない。

「そして、今や全ての物質が、エーテルによって繋がっている。言ってみれば、IoTInternet of Thingsの超拡大版だ。世界の情報は、すべてエーテル・ネットワークに記録されている」


 魔法少女と怪人の戦闘のあとに被害が元に戻ることもそうだ、と北落は付け足す。

 時間を巻き戻すように、復元される。

 ただし、三分間という期限付きで。


「魔法少女と怪人も例外ではない。このエーテルを力の拠り所としているからね。もう宇宙を満たすものなんだよ。地上も例外ではなく、ついでに言うと嵐のような働き方をする」


 そこまでの内容なら、聴谷も道徳の授業で聞いたことがあった。


「嵐に備えないバカはいない」

 と、突然に北落が言う。

「わたしがバカだって言うんですか?」

「そうは言わないとも」北落は楽しそうに笑う。「嵐を経験したこともなく、嵐を描写する術も、表現する言葉も持たない者もいるだろうからねえ。そこで彼なり彼女も愚かってするのはアンフェアじゃないか」

 やはりバカにしてる。

 わたしは一方的に憐れむけれどね、と北落は付け加えた。


「キミは天気予報を見るべきだったんだよ」

「……見てました」


 毎晩、天体観測の予定があるのだ。


「モノの例えだよ。キミは正しい天気予報を見ることができなかったし、嵐に備えることもできなかった。気づいたときにはもう巻き込まれていて、キミの身体はメチャクチャになった。参照すべきは、エーテルの勾配だったのさ」


 聴谷には、全然分からなかった。


「魔法少女が怪人の場所を察知できるように、君も魔法少女の到来を知るべきだった」


「無茶ですよ」

「スコア48は、決して低い数値じゃない」北落の目がきらりと光る。


「風が読めれば、嵐の位置は把握できる。怪人の登場に必ず魔法少女の誰かが駆けつけるのは、彼女たちが、この”魔力的な偏り”を見ているからだ。それはふつうのひとには見えないが、特殊な素質がある者には、見ることができる」


 怪人は嵐に囚われた者。

 魔法少女は風見鶏。


「アルファベットを読めない子は少ないが、英文を読めと言われたら苦労するみたいじゃないか」――不可解だけれどね――「魔法少女は、魔力的なエーテルについて、これと同じことをやっているんだよ」

「分かったような、そうでないような」と聴谷は応える。

「経験値だからねぇ。英語を聞いたこともなければ、英文を見たこともない者が、英文を読むことができないのは当然じゃないか」

「それは……」

 北落の言っていることが、正しく聞こえはじめていた。

 丸め込まれていないか? と聴谷は警戒のレベルをまた一段上げる。すでに、今までにないほど高かったが、しのごの言っていられなかった。


「君の視覚異常――世界がピンク色ベースのモノクロに見えているのは、素質が開花したことによる。天津ミラとの接触を契機にね」

 また天津ミラだった。

「嵐のたとえを続けるなら、そいつは気がつかない内にやってきて、キミの身体をメチャクチャにしてしまったんだね。突然外国語で罵倒を浴びせられたようなものだよ。細かい意味は分からなくても、ニュアンスだけで傷つくことはできるじゃないか」

「あの子が嵐だって言うんですか」


「ちょっと違うね。あの子はただそこにいただけだよ。より正確には、魔法少女の頃の習癖で、嵐の来るところにやってきただけだ。だが、これもは君にとっての嵐とは別物だ」

 北落ミスガは白衣の袖口に隠れながら笑う。

 実に愉快そうだった。

 嫌な予感がしたので、慎重に尋ねる。

「わたしにとっての嵐って……」

「天津ミラとの遭遇」

「どういうことです?」

「だって、そうじゃないか。それまでは全く問題なく見えていたのに、彼女と逢ってから世界の見え方が一変したんだろう? 年頃の女の子なら、誰でも分かる単純なことだよ」


「この嵐の名前は、恋という」

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