あかい十字 後篇


 任せて下さい。奥さまは必ずお護りします。

 繰り上げで徴兵されていた遠子は、容態の悪い若い将校の付添というかたちで一時帰国を命じられ、帝都東京にいた。軍用機から従卒に抱えられるようにして降ろされてきた陸大あがりの陸軍将校は遠子に頼んだ。

 妻が産み月間近なのだ。初産のそちらの方が心配だ。あなたは外地に戻る前までのあいだ、妻の面倒をみてやってくれないか。

 春先の三月に大空襲があったばかりの五月下旬だった。山手にも空襲がおきた。遠子は妊婦を連れてビルの地下の防空壕まで逃げたがそこはもういっぱいだった。看護婦の遠子と妊婦を見ると男たちが立ち上がって場所を空けてくれようとした。身体的不足や結核などで徴兵検査に受からなかった男たちは負い目を抱えて肩身狭く生きており、たとえ内地であっても死に場所を探しているようなところがあった。この大空襲はそのような男たちにとっては晴れの日、死に方用意なのだ。

 すると将校夫人が遠子の手を引いた。このまま海まで逃げましょう。

「海。なぜですか」

「最後は海を見ながら死にたいわ」

 炎で炙られている空は夕焼け空のようなあかい空だった。その色に白い頬を染めさせて若い夫人はにっこりと笑った。

「わたくし、喘息を治すために千葉の海辺に預けられて育ちましたの。泳ぎも得意ですのよ。多少の波には負けないほどよ。いざとなったらこの川に潜り、火の海をこえてあなたを海にまで連れて行ってさしあげますわ」

「それには及びません」

 子癇による意識障害を疑ったが、妊婦の眼は正気だった。遠子は夫人の防空頭巾に飛び火した火を掌で叩き落とした。旋回する爆撃機が落としてくる焼夷弾があたりを火の海に変えていた。

「お腹のお子さまに差し障るような真似はさせられません。いざというのであれば、その時にはわたしが奥様を肩にかつぎ、敵機と競争してでも海まで走ります」

「勇ましい方。それではわたくしも負けてはおられません」

 都会の裕福な家庭で育ち、女学校を卒業した年に陸軍将校に嫁いだ夫人は、今度は遠子の腕についた火の粉を蛍を追うようにその手で払い落とした。火災の風に髪を乱しながら夫人は云った。

「主人が申しておりましたが、空襲というものは長くは続かぬものなのだそうです。数時間耐え忍べばきっと朝を迎えることが出来ます。頑張りましょう」

 将校夫人の言葉どおり朝はきた。炭と変わった焼死体から流れ出した脂が路面を黒く染めていた。親しんできた世界を焼きつくした朝だった。

「船はいけません」

 共に死線を超えて親しくなった夫人は心配のあまり遠子の手を握った。

「制空権も制海権もすでに敵に奪われておりますが、魚雷に沈められるばかりの船よりはまだ飛行機に希みがあります。飛行機で戻られるのよね? そうおっしゃって」

「はい、軍用機で戻ることになっております」

 遠子は夫人の手を両手で包み返した。

「優先的に飛行機に乗れる公用腕章を看護婦はもっております。ご安心下さい」

 将校夫人の出産を見届けてから、遠子はまた戦地に戻って行った。



 赤十字の看護婦たちは何処へ行こうとも、何を失おうとも、白地に赤い十字の入ったブローチだけは必ず携帯した。そこに全ての使命が詰まっていた。白い花に血を落としたような小さな丸い金属。直撃弾を受けて死んだ看護婦の傍にもこのブローチだけが焼け残っていた。わたしたちは赤十字の看護婦。自らこの道を選んだ。



『約一割。どこの戦場でも約一割が人間であることを破壊されます。精神を病んだ兵士の数は六十七万人。正気を取り戻す者がいても社会復帰の制度が整わず、二十代で兵隊にとられた彼らは虚しく老いて窓に格子のはまった精神病院で死んでいくのです。戦場に散った従軍看護婦の戦死者は千人以上。この中にも戦争が原因で自殺した女たちがいます。しかし記録上はほとんどが戦死または戦病死。精神を病むことは不名誉なことであり、心の脆弱な将兵は日本軍にはいないというのが建前でした。いいえそれすらも建前です。死にざまがご家族に知られると、愛する娘を戦地に送った内地のご遺族がどれほど苦しむことでしょう。だからみんな戦死。』


 一足さきに日本に帰るわね。

 もしあなたが生きて国に戻れることがあるのなら、わたしの代わりに存分に生きてちょうだい。桜を見る時にも、蝉しぐれを聴く時にも、紅葉や降り積もる雪の寂しさにも、死んでいったわたしたちのことを想い出して。みんなの想いを連れて行って。母国の大地を踏むことが出来たなら、生き残ったあなたのその眼がみるものが、死んでゆくわたしたちが見るもの。


 腰にぶら下げた自決用の手りゅう弾は重かった。青酸カリの小瓶は心もとなくて、気づかぬうちに落としてはいないかと常に衣嚢を探っていた。わたしはこの手で二人殺している。一人は病が進行して連れて行けなくなった同僚。乞われるままにモルヒネを呑ませた。もう一人はソ連兵。裏口から病院のなかに女を探しに来たソ連兵に威嚇のつもりで発砲した。弾が兵士にあたり、頭部盲管銃創で翌日死んだ。

 

『見習いの少女たちを護らなければなりませんでした。前線に出ていく衛生兵の死亡率が高く、その不足を補うために経験のない看護婦養成所の十代の少女たちが次々と招集されていたのです。救護班の班長でした。わたしがその班では最年長だったからです。二十二歳でした。』


 十年前は父母の旅館の庭で士官さんたちと鬼ごっこをして遊んでいた。

 数年前は使命感に燃えて、看護婦養成所で学んでいた。

 だからわたしは先のことを悲観してはいなかった。数年後には戦争は終わり、十年後には日本で平穏に暮らしているのだろう。きっと。



 録音は最後になっていた。

「尚道、いるの」

「あ、おかえりお母さん」

 音源に聴き入っていた尚道ははじかれるように顔を上げた。

「あなた期末考査中でしょう? 呆けた顔をして、余裕あるのね」

「余裕はありません。まるでありません」

 尚道は再生をとめ、あわてて仏間から出て行った。


『戦争反対に異論などありません。戦争がつくりあげる人間性というものはあるでしょうね。兵器の一部のようになってしまう。人体実験に協力した看護婦もいます。軍属ですから命令されたら断れない。連れて来られた者たちを宥めすかして安心させて術台に乗せるのが役割でした。敗走する中で足手まといの看護婦は銃殺してしまおうと協議されることもありました。でも敵の待ち伏せに遭うと兵隊さんが看護婦は逃げろと云って、盾になって死んで下さった。

 戦地帰りの看護婦に逢うとすぐに分かります。互いに何も云わなくとも。』


『いまの若い看護婦たちに伝えたいことなどありません。伝えたところで伝わらない。土台がまるで違います。

 医療現場でわたしが云うことは簡単です。ああ今日は笑顔なのね。それでいいわ。どんなに辛いことがあっても患者の前で私情を出さないで。その眼と手をゆるめないで。あなたがたは看護婦なのです。それだけです。』




 そこは戦場だった。砲弾の音が骨身を揺らし、爆裂で吹き上がった土塊が礫となって落ちてくる。頭がい骨を叩き通り抜けていく爆発音。戦闘機の翼の音が肉を削ぎ、戦車が逃げ遅れた兵の生身をばきばきと砕いた。

 誰かが叫んでいる。

「長瀬さん。長瀬さん」

 呼ばれても決して振り向かない。わたしの軍属名で呼びなさい。それが唯一わたしの身を戦場で守るのだ。

「長瀬救護班長」

 誰もがそうであったように、わたしもただ一途に信じていた。戦場に駆り出された何百万人もの同胞と同じように神国を護り抜くためにこの奉職をしているのだと。

「班長。これを」

 衛生兵から手布を顔に押し付けられた。

「鼻血が出ています」

 口と鼻を覆った布きれに何かが広がっていく。知らなかった。いつの間にか血を出していた。顔全体に赤い味が染みついているせいで自分の出血に気づかなかった。

 制服を着たまま野営の天幕の中で横になる。いまから眠れるのは二時間だ。その後は交代して夜勤に就く。 

 夢の中、彼はわたしの前にやって来る。士官服に身を包み、青葉の木陰を歩いてくる。わたしの身は彼に応えようとするが、夢にひたれる時間はない。目覚めると両脇には制服が真っ黒に変わるほどに擦り切れた看護婦たちが気絶したように転がって眠っている。

 夕暮れにそよぐ草波、インクが滲んでいくような燃える空。耳鳴りと、穴の底に散らばる兵士たちの腕と脚。

 戦場の空に毛細血管のように雷がはしり、風が唸り出した。

「死ぬのが怖い」

 看護婦たちはそんな男たちを受け止める。その抱擁は本能であり、死するほかない彼らの足掻きだ。しがみついてくる瀕死の男たち。

 おかあさん。

 わたしの胸にすがって若い兵士は泣き伏す。家に帰りたい。裏庭のひよこに餌をやっていたおかあさん。

 夜明けの太陽がその白銀で川べりにそよぐ葦を染めていた。

 死ぬ前にみせる男たちの臆病や恐怖を女のわたしたちは受け止める。わたしたちの想いを受け止めてくれる人は戦場に誰もいない。それがわたしの選んだ職業だ。

 直撃を受けた骨の中で臓腑がぐつぐつ煮えている。狂った兵士が涎を垂らして笑いながら徘徊するのを連れ戻す。軍隊流のしごきや虐め、戦争神経症で、精神を狂わせていく兵士たち。

 外傷は切断術が主だった。負傷するとガス壊疽するので早く切断しなければならない。麻酔薬が不足すれば硼酸ほうさん軟膏や鎮静剤を麻酔の代わりに用いた。持っていろと云われて脚をもち、軍医がその脚を切り落とす。胴体から離れた重たい脚に引きずられて看護婦はみんな前に転んだ。

 男たちが震えている合間をわたしたちは歩いて見廻る。彼らのからだを清拭しその排泄物をとる。男たちがどれほど脳をやられ臓器をやられ正気を失って狂っていこうとも、わたしたち看護婦は狂わない。そんな暇などない。

「お疲れになったでしょう。後はやります」

 膝の上でこと切れた若者を見つめていると、簡易担架が用意され、死んだ者は担送されていった。遺体は穴の底に落とされる。出来るだけ土葬をすることにわたしたちはこだわった。水葬はだめ。何処に流れていったか分からなくなるから。

 死者の尊厳を守ってやるのはここまでだ。


 日赤看護婦への招集令状は終戦になってからも届いた。引き揚げてくる復員兵や開拓民のために、病船や港の検疫場で看護婦の動員が必要だったからだ。関東軍が新京、図們、大連の三角地帯に退却後、棄民として満州に残された人々に降りかかった悲惨。そこでも看護婦が自決したり病死したり暴行されて殺されている。

 引揚者が乗る病院船にわたしたちは乗り、介護し、復員兵を満載した列車が通過する駅では具合の悪そうな者に声をかけて降ろして回った。

 わたしの胸には赤十字のブローチ。これがわたし。

 死にゆく彼らの眼にわたしはどう映っていたのだろう。男の衛生兵には決して見せない反応を彼らはみせた。女が手を添えた途端にぱっと顔に生気が戻り、何かを伝えようとしていたあの血だらけの唇は。

 彼らがこの国を護ろうとしたのは愛する人たちのため。この未曾有の国難にあって、それでも想うことは君のことだけだよ遠子さん。


 六十歳くらいまではまだ体力に衰えを感じなかった。どんな山岳でも踏みしめていけそうに想えた。若い頃の経験からくる自己過信なのかもしれなかったが本当にどんな密林でも山でも、雲の彼方まで行軍できそうだったのだ。

 神宮外苑競技場で雨のなか行われた男子学生の学徒出陣壮行大会。あまり知られていないことだが、あれより二年もはやく、まだ看護学校の学生だった看護婦は招集されて戦場に出陣している。学徒出陣は男子よりも看護婦見習いの方が先なのだ。


 戦争帰りの看護婦は鬼婦長といわれて、どこの病院でも怖れられた。看護婦を見下して偉そうにしている男の医者でもわたしたちを前にすると萎縮した。多分、わたしたちの眼が深い洞穴の暗黒か、殺人鬼に似たそれになっていたからだろう。

 後悔のない人生かといえば違う気もする。しかしわたしはこの生涯に納得をしている。わたしはわたしのすべきことを理解し、どのような状況であっても救護員十訓にそって全力を尽くしてきた。

 生まれ変わってもまたわたしは看護婦になりたい。赤い十字の徽章をつけて白い制服に身を包み、必要ならば戦場にもいこう。看護婦がいないと誰ひとりとして戦争は出来ないのだ。

 想い切って飛び込もうと決めたその腕の、あなたが護りたいと希うものがわたしであったから、恥じない人間であるように生きたのです。

 いつかそこに行きますから待っていて下さい。そしてわたしの名を呼んで「よくやったね」と云って。

 逢瀬というほどの回数もなかったが、洗い立ての敷布に包まれているようだった。

「軍港が一望できる。あれが今ぼくが配属されている艦だ」

 山道の上り口で自転車を止めた。海原が眼下に広がり、青空には大艦隊のような雲が日光を浴びて悠々と流れていた。

「漆器を磨いているのと、ぼくと遠出をするのとどちらが良かった?」

「映画がよかったです」

「映画は明日」

「まさか明日も一緒に」

「ほんとうに嫌なら女の子はついて来ないから間違えてない」

「それはどこかの自惚れ屋さんからきいたことでしょうか。信じたの?」

 山を降りる時は手を引いてくれた。帰り道の自転車。終わらないで。このまま何処までも二人乗りをしていたい、清浄な風が吹く沿岸を。 

 わたしの命のなかで繭の中のようにそこだけがいつまでも眩しく、白い。



[了]

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あかい十字 朝吹 @asabuki

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