番外小話:本条邸は今日も仲良し その弐
今日こそは杏と菓子を作ろうと克哉は調理器具を準備していた。
父は新しく取引をするようになった木を見てくると数日、家を空けてることになっている。そこに転がり込んできたのは贔屓にしている八百屋だ。たまに南瓜の数を間違えたりするが、新鮮なものをおいしい状態で、を信条としているので克哉は気に入っている。
息の上がった八百屋はねじり鉢巻きがずれたまま、親戚の仕出し料理屋で腹を壊した者が多数出て、にっちもさっちもいかないと言う。頼る者もいないから、手伝ってほしいと泣きつかれた。
約束があるからと断るには、あまりにも忍びない。困った時はお互い様だ。
八百屋と入れ替わるようにして来た杏に克哉は頭を下げる。
「克哉さまは、悪く、ない……ので、謝らなくて、いいです」
非難の目を向けられるかと思っていた克哉に返ってきたのはそんな言葉だ。てっきり克哉は杏を悲しませると思っていた。
克哉の予想とは裏腹に、杏は残念がってはいるが、仕様がないという顔をしている。
物分かりがいいのは助かるが、腹に落ちない。克哉が穴埋めを考えあぐねていると、まっすぐと目を見据えられた。
「行かなくて、いいんですか?」
杏の言葉で我に返った克哉は、恩に着ると屋敷を飛び出した。
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一日、二日と目まぐるしく働いて、問題が起きたのは三日目だった。
卵がニ百個、入ってしまったのだ。仕出し料理屋の料理長は青い顔をして、間違えて注文した者は膝から崩れ落ちた。
あいにく、卵焼きも茶碗蒸しも両の手で間に合うほどの注文しか受けていない。大々的な宴会の予定もない。いつも世話になっていると客に色をつけるには値が張りすぎる。
何か良策はないかと克哉は考えを巡らせた。要は無駄にしなければいい、買い取ってもらうか、売り払うか。卵をニ百個も買えるような資産家は限られている。買えそうな家を頭の中で数えて、はたりと止まった。
簡単なことを難しく考えなくていいじゃないか。
本条家が買い取ればいい――そう、本条克哉は思い付いた。克哉自身、小遣い稼ぎに翻訳の下請けをしたので金に余裕がある。だが、あくまで名義は本条家にするのだ。今からすることで恩を着させて、菓子作りにいい顔をしない父が口を出しにくくしてやる。澄まし顔をしていた杏を驚かせるのも一興だ。我ながら面白いことを思いついたと感心した克哉は勢いのまま手を上げた。
次の日、仕出し料理屋の料理人たちは職場に復帰した。手を握られて感謝された克哉は学校に使いを出した後、早速作業に取りかかる。
「手伝いましょうか」
「ああ、助かる」
料理長に
砂糖を取り出していた克哉は料理長に声をかけられた。
困り顔の彼が抱えているのはお盆に乗る程度の鉄型だ。
「型はどうしましょう。ゼリイの型を合わせても数がありません」
卵液を作ることばかりで、器の心配までしていなかった。いくらかはケークの型で蒸して切り分けるとしても、生徒全員分をまかなうことは難しい。冷ましてから型から抜いて次のものを作るとなっては、どう考えても間に合わない。
沈黙する二人に一石を投じたのはお湯をもらいきた女中だ。
「仕出し屋から蓋物を借りたらいいではありませんか。それで足りないなら、湯飲みに小皿を乗せてはどうです」
言い終えた女中は自分の湯飲みに息を吹きかけた。
あまりにもあっさりと解決したのでがついていたのですがで、克哉と料理長は頭がついていかない。
すずしい顔の女中はさらに続ける。
「今日は旦那様がいらっしゃらないので、何人かこちらに回せますよ」
「――さすがだな、ツネ!」
「そんなに、囃し立てることでもないでしょうに」
名前で呼ばれた女中は、冷静な顔を繕ってはいるが、口元がやさしく上がっている。
克哉はさっそく提案にのった。女中に蓋物の手配をまかせ、小鍋を手にする。きっちりと腕まくりをして、砂糖と水を入れた小鍋を火にかけた。
ここからは時間との勝負だ。十分の一秒でも狂えば、カラメルはカラメルではないと師匠は豪語していた。
鍋を揺すりながら色、香りを見極め、火から外す。鍋の熱でまだ色の濃さが進むのを水を加えて止めた。もう一度、温めて十二分に溶かした後作業台に引き上げる。満足できる出来映えではないが、これが今の精一杯だろう。完璧にはまだまだ先は長いと項垂れながら、型に流し込んだ。
プディング型が二十、大きな円が三つ、四角が五つ、それから仕出し屋にありったけ借りてきた蓋物の分もできた。数えてはいないが、優に二百は超えているはずだ。
卵液の分離した上澄みと沈んだ淀みをかき混ぜ、それぞれの型に流し込み、
さすがに疲れを見せ始めた料理長が最後のプディングを蒸籠から取り出した。
「坊っちゃん、何処に運ぼうと思われているんです」
「学校だ」
言葉に詰まる料理長に克哉は言っていなかったことに気が付いた。荷車で運べばいいと簡単に考えていたが、自分一人では無理だ。
「そんなことだろうと、
彗星のごとく現れた女中は、坊っちゃんのおかげで、ぜひにと言われましたけどと付け加えた。
彼女の手腕に克哉と料理長は腕組みをして唸る。
「有能すぎやしないか」
「天晴れですね」
「うだうだ言ってる暇がありますか」
どれを運べばいいんです、としかめっ面に囃し立てられて荷を積む。
持ってきてもらった番重にできあがったものをつめて、リアカーに積み込んだ。手慣れている荷運びがこなせばあっと言う間だ。
最後の荷を積み終えた料理長は顔を綻ばせる。
「喜ばれますね、きっと」
克哉は腕まくりをなおしながら、わずかに口端をあげた。
「落とさないように持って行ければな」
「日頃の行いがいいから大丈夫でしょう」
「隠れて菓子を作る臆病者って言われてるのにか」
「誰がそんなことを」
「
「ああ」
「お天道様が沈むまで話すつもりですか」
与太話を切り捨てられてた克哉も料理長も全く堪えていなかった。女中が叱るのは自分達を想ってこそだとわかっているからだ。
「では、行ってくる。帰ってから片付けをするからな」
気にするなと二人に見送られ、克哉は杏の通う学校を目指した。
甘味伯爵 ―恋菓子の料理帖― かこ @kac0
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