番外小話:本条邸は今日も仲良し その壱

「坊っちゃん、聞きましたよ」


 背後から忍び寄る声に克哉は肩を震わせた。

 恐る恐る振り替えれば、女中頭が仁王立ちをしている。否、目の錯覚だった。女中らしく体の前で手を重ね姿勢を正しているのだが、厳しい顔で般若を背負っている。

 克哉は頑固な父以上に女中頭に頭が上がらなかった。逃げていても仕様がないので、自分よりも背の低い彼女に向き直る。


「また、杏のことか」

「そうです。どうして、またあの子を泣かせるんですか」

「泣いてないだろう」

「失礼なことをおっしゃったのは何処のどなたでございましょうねえ」


 仕事中は表情を律している女中が遠慮なく鼻じらむ。主人にする行動ではないが、彼女の苦言は尤もなことが多い。人への接し方や令嬢への態度を改めなさいと窘められたのは数えきれない。ことさらよく出入りしている鈴美屋の杏に甘かった。孫が同じような年頃なのもあるが、口達者な彼らより口下手な杏がいじらしくて仕方がないのだろう。

 やれ、話中に寝るわけがないのに寝ていると戯けたことをよく言えるものですね。それ、吐くのを我慢しているような顔なんてほざく口はどの口でございますか。散々な言いようだが、彼女が言っていることは間違ってはいないとわかる克哉は黙って聞き入れる。渋い顔をしてしまうのは、口もそうだが、自分に嘘がつけないからだ。

 言う前に言葉を選べばいいのだろう。わかってはいる。わかっているが、出来るとは違う代物なのだ。


「昨日もお嬢さんは悲しそうに帰られましたよ」

「それは俺のせいじゃないだろう」


 父が邸にいては行動が制限される克哉は苦い顔をした。


「まあまあ、坊っちゃんも杏ちゃんに会えなくてさみしくされてるんだから、そう言わず」


 間に入った料理長は、今日はどうされるんですかと続けた。

 克哉は南瓜を料理長に渡す。


「今までに作ったことのない菓子を作ろうと思う。要は、実験だ」

「――試作では?」


 南瓜を受け取った料理長は孫に言うようにやんわりと指摘した。

 英国エギリスから帰国したばかりの克哉は日本語を履き間違えることがたびたびあった。嫌な顔をせず、むしろ素直に受け取って自分の中の齟齬を書き直す。


「……試作、だな」


 咳払いをひとつして、克哉は声を引き締めた。


「南瓜の甘さを活かしながら、卵と風味付けの牛酪バターを混ぜて焼き固めてみようと思う」


 そう言うや否や、どん、とボウルと木べらが置かれた。踊った木べらが軽い音を響かせる。

 はいはい、と好好爺然とした料理長は作業に取りかかり、女中は食べ過ぎないでくださいねと小言を残して去っていった。

 結果として、粉を使ってないのに、妙に粉っぽいものができた。ほんのりと苦くて、口の中の水を全て持っていくものだ。

 試しに食べた料理長も残念な顔をする。これを作ろうと思った理由を訊ね、事も無げに良策をこぼした。


「前に作られたカスタードプディングはどうです? 甘くて、のど越しもよくて、卵も使っているので滋養にもいいでしょうに」


 は、と克哉は目を見開いた。どうして南瓜にこだわってたんだと嘆く。

 項垂れて額を押さえる彼に、いい大人が何をしている、とは誰も言わなかった。

 料理長は後片付けを始め、戻ってきた女中は喉をつまらせないようにお茶の準備に取りかかる。克哉が食べ物を粗末にしないとわかっていて、なおかつそのように仕付けてきたのは、料理長と女中だ。

 彼らにとって、坊っちゃんはいつまでも坊っちゃんなのだ。






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