12【2品目】恋ふらくふるふわプディング 陸
今日は旦那様がいるから、今日も旦那様がと料理長や女中に断られて何度も奥歯を噛み締めた杏は、今日こそはと、勝手口の扉を叩いた。
扉が開いたと思えば、克哉に頭を下げられる。
聞けば、体調不良のものが出たので仕出し屋に助っ人に行くことになったという。
「克哉さまは、悪くない……ので、謝らなくて、いいです」
杏の言ったことが、意外だったらしい。
克哉は拍子抜けした顔で、そうかと理解していないような返事をした。
仕事がままならないなら、仕様がない。父も母も仕事で手が回らない時があるが、ちょっとさみしい思いを我慢すれば、世話を焼いてくれる。
克哉はまだ呆然と立ち尽くしていた。
彼も楽しみにしていたのかもしれない。
杏の沈んだ心は、少しだけすくわれた。風呂敷を握りしめ、口を開く。
「行かなくて、いいん、ですか?」
杏の言葉で我に返った克哉は、恩に着ると屋敷を飛び出した。
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風邪から快復した空木は、ふとした瞬間に外を見ることが多くなった。雪が降った日は特にさみしそうだ。
そういう時に限って、辰次が遊びに誘うので、杏は気が気ではなかった。
今日の昼休憩も教室のみんなでかくれんぼをしようと校庭や校舎の裏に散って行く。昇降口で立ち尽くす杏の横に辰次が並んだ。
「隠れないのか」
たった一言でも、杏には重くのしかかっる。
かくれんぼをしても、杏はいつだって見つけてもらえない。最初は期待で心を踊らせるが、最後までひとりぼっちで終わる。遊んでいても、遊んでいないと同じだった。
一度も見つかったことのない杏を探すのが、新しい遊びになっているとは本人が知るはずもない。もう、帰りなさいと促されて、やっと杏を呼び出す毎日が続いている。
前以上にさみしい思いをするようになった杏は震える口に力を込めた。
「わたし、鬼、する」
「見つけて声かけれんの」
現実を突きつけられた杏は肩を落とした。諦めて踏み出そうとした背中にふわりと肩掛けがかけられる。
「今日は先生が鬼をしましょう」
ね、と空木に背中から覗き込まれた杏は跳ね上がった。
「せ、先生! あ、あたたたた、か……い、かっこう、して、くだ、さい」
「じっとしてると冷えるでしょう」
杏は肩掛けを返そうとするが、空木は両手を上げて受け取ってくれない。
でも、と言い淀む生徒に、先生は肩掛けをかけなおした。
「この黄色のショール、目立つんです。鈴本さんはとっても強いですから、手加減してもらわないと」
茶目っ気を含んだ言葉はやさしさに満ちている。杏は悩んだすえに、空木の好意を受け取って駆け出した。道具箱横の木箱の中、倉庫横の靴箱と柱の影、今まで見つかったことのない場所をさけ、職員室横の準備室に足を踏み入れる。手頃な机を見つけ、そこの下に隠れることにした。
下級生たちが近くの渡り廊下を駆けていく。体育館で何か催しがあるのだろうか。気になるが、顔を出すわけにはいかない。わざと見つかるのでは、それこそかくれんぼをした意味がなくなる。次々と来る足音を耳に入れないよう額を膝に押し付けた。
一人になって思い出すのは、克哉との約束ばかりだ。小さく丸くなった杏はふてくされた。克哉に頭を下げられてから、数日たっているというのに、菓子作りはまだ実現できていない。仕様がないとはわかっていても、心はわがままだ。先に約束していたのに、と子供じみた気持ちが暴れてる。
悪態をついても誰も聞いていないだろう。心にできた染みをこするように、うそつきと口にする。
ちょうどよく準備室の戸が開けられる音がした。息をひそめる杏に穏やかな声が降りそそぐ。
「見つけましたよ、鈴本さん」
待ち望んでいた言葉に、目頭がじんとした。自分に被さる影が手を伸ばしてくる。
「お客様がいらっしゃってますよ」
空木の声はどこまでもあたたかい。
誰が来たのかと訊こうとした時、アン、と学校では聞くはずのない声が耳を震わせた。
手を借りて立ち上がろうとした杏の涙は驚きすぎて引っ込んでしまう。
同じ視線になった空木は何も言わずに目を細めた。
「こんな所にいたのか。探したぞ」
自分の耳を疑いつつ顔を上げたアンはこぼれ落ちそうなぐらい目を見開いた。
廊下に克哉が立っている。後ろには見覚えのある料理人が押し車と一緒に控えていた。
驚かなかった空木はふふ、と口の中で笑う。お客様とは克哉のことだったらしい。
どうして、学校にいるのか。何をしに来たのか。杏の頭は疑問ではち切れそうだ。つい先程まで妬ましく思っていたはずなのに驚きすぎて吹き飛んでしまった。
放心する杏の耳に雪だ、と何処かで上がる歓声が届く。
透き通った青空を灰色の雲が消していた。窓の向こうで舞い落ちるのは、白い欠片だ。
空木の瞳に、また悲しみが降り積もっていく。
衝動にかられた杏は、か細い肩に黄色い肩掛けをかけた。驚きで見開かれる瞳に己が映る。
ホワイトクリスマスか、と克哉の口から異国の言葉が零れ落ちた。
顔を向けた杏と空木に、克哉は悪戯っぽく笑いかける。グッドタイミングだ、と後ろから受け取った皿を二人の前に披露した。
二つの皿それぞれにのる、黄色の寒天には茶色のたれがかけられ、一番上には白いクリームが乗っている。
「カスタードプディングだ。お嬢さん方には特別にホイップクリームをそえさせてもらった。さぁ、存分に味わってくれ」
互いに伺うように視線を交わした杏は皿と黄金色に輝く真鍮のスプーンを受け取った。机の前に並んで皿を置く。
静かな動きにもカスタードプディングはふるふると震えた。軽くとがったクリームは雪のように白く溶けてしまいそうだ。
杏は白いクリームにスプーンを差し込んだ。軽い感触に緊張しつつ黄色いものと一緒に掬う。顔の近くまで持ってくれば、甘い香りと香ばしい香りが腹に響いた。
もう一度、空木の顔を盗み見れば、恐々と匙にのるものと対峙している。
克哉の作るものは絶対においしい。
杏はそう信じて疑わないので、先陣を切るように匙を口に含む。
ふわりと口がとろけた。否、とろけたのは『かすたあどぷぢんぐ』のはずだ。豊かな香りと甘味が杏の舌を喜ばせている。雪みたいに跡形もなく消えるなんてことはない。余韻が喉へと広がり、口の中に残ったほろにがさに吐息が零れた。
おいしい、と呟いたのは、杏の口か、空木の口か。それともどちらともだったのか。
無意識の言葉は、絶賛に値する。
これ以上ない感想に克哉は口端を上げた。最後まで食べるのを見届けた後、踵を返して体育館へと向かう。杏も慌てて追えば、扉の先には生徒たちが集まっていた。
勢いづいた克哉を止めるものはいない。冷たい空気で胸を満たし、力強く輝く瞳は前を見据える。
「メリークリスマス! 諸君、カスタードプディングはご存知かな?」
克哉は本場仕込みの言葉で、にっこりと笑った。
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空木先生へ
今日、いただいたプディングおいしかったですね。卵と牛乳と砂とうだけで作れるそうです。今度、克哉様と作るので先生も食べてください。
今年は先生とおはなしの練習をしたり、かくれんぼをして とても楽しかったです。ありがとうございました。
来年は自分の口で話せるようにがんばりたいです。
鈴本さんへ
本条様のプディング、本当においしかったですね。みんなと食べられて幸せでした。
先生ばかりではずるいと皆に怒られてしまいそうなので、作り方を教えてください。先生とも一緒に作りましょう。
先生も鈴本さんとたくさんおはなしができてとても楽しかったです。来年はもっともっとお話しましょう。楽しみしています。
では、よいお年をお迎えください。
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