11【2品目】恋ふらくふるふわプディング 伍

 杏は辰次の後ろをついて歩いていた。母は兄に見舞いの付き添いを任せようとしていたが、かんかんに怒った父に連れていかれる。代わりに、たまたま店の前で道案内をしていた辰次に白羽の矢がたった。杏は母を止めようとしたが、空木の見舞いに行くと話してしまったので、辰次の答えは行くに決まっているの一択だ。

 空木は今日も学校を休んだ。空木の代わりにきた先生が気合いが足りん、自己管理ができとらんとお冠だった。先生は一度も風邪をひいたことがないんですかと聞いたのは辰次だ。よく言ってやったと杏は初めて彼を見直したので付いて行くことにしたのだ。

 四歳から使いをこなしているので、町の地図は頭に入っている。後二つ、角を曲がったら空木の家だ。実家は呉服屋を営んでいるらしい。呉服屋ののれんをくぐり、思わぬ人物に出くわした。固まる杏に対して、相手は道端で猫を見つけたみたいだ。


「アン、使いか」


 動きを止めた杏は我に返って、首を横に振った。わ、と声を上げる辰次に顔を向ければ、さらに声が上がる。

 勢いあまって、杏の髪が辰次に当たったようだ。

 ごめんと小さく謝る杏に、出鼻を挫かれた辰次はしぶしぶといった様子で、いいけどと返した。克哉の値踏みするように見て、何事か言おうとするのを表に出てきた女性に邪魔をされる。


「ごめんなさいね、立て込んでて」

「あの、空木先生いますか」


 取って返そうとする女性は辰次の声でまた戻ってきた。


あおいの生徒さん? あの子、風邪をひいているのよ。うつしたら悪いし、会わない方がいいわよ?」

「大丈夫です。ちょっと会ったらすぐに帰ります」


 な、と辰次に同意を求められた杏は大きく頷いた。

 眉を八の字にした女性は奥の部屋と克哉を見やり、かんがえあぐねている。


「部屋を教えてもらったら大丈夫です」


 女性が何か言う前に、辰次が機転を利かせた。

 じゃあ、と女性も提案に乗る。


「お構いもできなくて、申し訳ないんだけど……ここから二番目の左側の部屋にいるから声をかけてやって」


 辰次は言われた通り、左の二番目の障子に声をかけた。


「空木先生、いますか」

「え? 辰次くん? ど、どうぞ」


 空木は学校ではなかなか見ない慌てぶりを見せた。

 迷惑だったのではと考える杏とは反対に、辰次は気にも止めずに取手に手をかける。失礼します、と職員室に入るような声がけと共に勢いよく障子が開けた。

 杏は辰次の影から顔を出したが、布団はもぬけの空で掛け布団もない有り様だ。

 ばさばさと雪崩落ちる音がした方へ顔を向ければ、かけ布団を被った空木がいた。

 無遠慮に進んだ辰次が畳から拾い上げたのは通信簿だ。


「なんで仕事してんの?」


 視線をあらぬ方向へやった空木は、スミマセンと片言で謝った。

 そうだろうそうだろうと頷いた辰次は腰に手をあて、釘を刺す。


「わざわざ休んでるのに、仕事したら意味ないじゃん」

「ゴモットモデス」


 部屋の入り口に立つ杏は目を真ん丸にして、空木の姿を見ていた。悪さをして叱られている兄の姿が重なる。大人が子供に怒られることもあると初めて知った。

 よし、と言い放った辰次はその場で胡座をかく。

 どうしたものかと悩んでいた杏は空木の苦笑いと目があったので、障子を閉じて正座した。

 上目使いで様子をうかがうと、困ったように眉を下げられる。どうぞ、と座布団を出されたので火鉢の横に落ち着いた。


「恥ずかしいところを見られてしまいました」


 照れ隠しをするように空木が笑う。

 杏は髪が乱れるのも気にせずに首を振った。膝の上にのせた風呂敷が目に入り、ぴたりと動きを止める。何か言いたそうに軽く口を尖らして、風呂敷の結んだ部分を手遊びし始めた。

 目ざとく見つけた辰次はすぐに訊ねる。


「何、持ってきたんだ?」


 空木は、萎縮する杏と辰次の間に入った。


「何か、飲み物を準備しましょう。お茶でも大丈夫ですか」

「あ、あの」

「はい。何でしょう」


 慌てて顔を上げた杏に空木はゆっくりと返事をした。


「お、お湯がほしいです」

「お湯ですね」


 白湯がいいのだろうと空木は頷いた。

 微妙なズレを感じた杏は慌てて言い直す。


「ぁ……ち、ちがい、ままますっ。く、くず湯を、ももも持って、きた、ので、えっと」


 飲みませんか、と消え入りそうな声が提案した。

 合点のついた空木は火鉢の鉄瓶鉄やかんを指差す。


「これでいいなら、すぐに用意できますよ」


 何度も首を振った杏はまるで赤べこだ。

 ちょっと待っててくださいね、と言い置いた空木は台所の棚から湯飲みを二つ取り、少し考えて注ぎ口のついた小鉢と匙を追加した。

 杏は持ち込まれた道具を使って、早速作業に取りかかる。まず、湯飲みの一つに湯を注ぎ、少し置いた後、その湯をもう一つの湯飲みに移した。最後に小鉢に湯を移して、二つの湯飲みにくず粉を入れる。ほどよく冷めた小鉢の湯を戻し、だまがなくなるまで混ぜた。白い液に熱湯を注ぎ入れ、とろみを確認してから砂糖と小豆粉を入れれば出来上がりだ。


「上手ですね」

「混ぜるのは、得意です」


 空木の誉め言葉に杏は誇らしげな様子で出来上がったばかりのくず湯を二人に差し出した。

 火傷をしないよう、よくよく息を吹き掛け一口飲んだ空木は、ほっと息をはく。ゆっくりと胃の腑に落ちるくず湯が体をあたためてくれた。

 辰次も満足そうな顔をしている。

 特に会話もなく、飲み終えた空木は小さく息を吐いた。


「明日は学校に行けそうです」


 空木のゆるんだ顔に、杏と辰次は体の力を抜く。

 念には念をおして仕事をするなと言い含めた辰次と杏は部屋を出た。


「空木先生、イマイチだったな」


 辰次の独り言のような声は、廊下の静寂に消えた。杏も空木の目元に出来た隈が心配だ。

 二人が店の表に戻った時、ちょうど克哉も用事を終えたらしかった。流れで三人で帰る形になったが、会話はほとんどなく克哉一人だけが話す状況だ。

 辰次は途中で困っている人を見つけて、その時に別れた。

 家に帰るまで相槌を打つだけだった杏は克哉を見上げる。


「元気になるお菓子ってありますか」


 唐突な質問にも関わらず、克哉は真剣に考えてくれた。頭の中で算段がついたのか、杏の髪をぐしゃぐしゃに撫でる。


「明日、調理場に来い。一緒に作るぞ」


 ぱっと顔を上げた杏は大きく頷いた。


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