大好きな漫画に転生できたと思い込んでる妹にこの世界が実はNTR同人誌だとバレたらたぶん殺される

アーブ・ナイガン(訳 能見杉太)

第1話 白ギャル妹はオタクに優しいけど俺には厳しい

「なかなかの収獲だったぜ……!」

 有明駅近くまで来たところで、思わず呟いてしまう。我ながらキモいが、大して悪目立ちもしていないはず。俺みたいな奴は周りにもたくさんいるからだ。歩きながらずっとニヤニヤしてる人間なんて今日のこの、東京ビッグサイトからの道中に限っては珍しくも何ともない。わざわざ徒歩圏内の賃貸を選んでいて本当によかった。マスクしているとはいえ、今の俺は電車内じゃギリギリアウトな不審者顔だ。

 三年ぶりの夏コミ参戦は、一言で言えば天国だった。パンデミックに終わりが見えない中での、久々のリアルオタ活。溜まってたもんを一気に解放したような爽快感がある。

 しかし、本番はまだまだこれから。この紙袋に詰まった宝石に没頭する熱帯夜こそが、この俺、後藤ごとうきよし21歳大学三年生の、ひと夏のクライマックスになるはずなのだ。

「やべぇ……滾ってきちまったぜ……!」

 夕方でもまだまだお盛んな太陽光線を浴びながら、俺が自宅までのスキップを踏み出そうとしたその時――

「あれ? お兄じゃん」

「ふぇっ!?」

 商業施設から出てきた色白のセミロング金髪ギャルが、俺の顔を見るなり尻に膝蹴りを入れてきた。そんなの別に痛くも何ともないのだが、俺は奇声と共に飛び上がってしまう。

 それもそのはず。このタイミングで一番出会ってはならない人物に、俺は出会ってしまったのだ。

「きょ、京子きょうこ……な、何でお前、ここに……。帰ってくんの明日だったはずじゃ……」

「んー、だって青森、本屋全然ないんだもん」

「んなわけねーだろ……」

 俺の妹、大学一年にもなってこんなバカだったのか……。

「いやいや甘いって、お兄。おばあちゃん家の近所のあそこは潰れちゃっててさ、町まで出て大きめの書店行っても、私が欲しい特典付きのやつは置いてなかったの。青森市とかまで行けばあるんだろーけど、二時間以上かかるんだよ? 運賃もヤバいし。だったらもうさっさと帰ってきちゃった方が合理的じゃん。ここの丸善、めっちゃ良いし。やっぱ好きな本は好きな本屋で買うのが至高だよ」

「結局、予定通り帰ってきてから買えばいいだけの話じゃねーか……久々に会った祖父母との時間よりも優先することか?」

「ムリムリ。ありえないって。てかこれでも発売日から二日遅れだから。二日は我慢したの。でもこれ以上耐えるのはムリ。お兄だってわかるっしょ?」

 わかる。めっちゃわかる。確かにお前の言う通りだ。

 俺の二つ下の妹、後藤京子は、俺と同様、かなりの漫画アニメオタクだ。見た目は俺と真逆の陽キャ白ギャルだけど。

 つまりは、別にコミケに行っていたこと自体は、妹にバレたところで何の問題もない。ていうか元々知られてたし。何なら一度、一緒にコミケ参戦したことすらあるくらいだ。

 だが、今の俺はかつての俺とは違う。もう、妹が知っているピュアな少年ではなくなってしまった。邪悪な世界に足を踏み入れてしまった戦地帰りの男の姿を、お花畑でスキップするのがお仕事みたいな少女に見せていいはずがない。

 というわけで俺はさっさと逃げることにした。

「確かにそうだな、じゃあ俺は先帰って晩飯でも作っといてやるから、お前はスタバ辺りでゆっくり新刊を堪能してけよ。ほら、小遣いだ」

「は? いや普通に自分の部屋で集中して味わいたいに決まってんでしょ。てかお兄、何その紙袋? コスプレ撮影しに行ったんじゃなかったっけ。何か買ったん? 写真集的な?」

「い、いや……っ」

 全然逃げられなかった。思いっきり爆弾に興味持たれた。中身覗き込んできやがった。

「ま、まぁ写真集っつーか、うん、そんな感じ的なあれだ」

 京子の目から逃れるように袋を抱え込む。しかしその対応は逆効果。妹はマスク越しでも分かるくらい、嗜虐心たっぷりの笑みを浮かべて、

「ふーん……際どいやつっしょ。エロコスっしょ。見せてみろよー」

 うりうりと肘で脇腹を突いてくる。うぜぇ……。

「エロくねーから。普通のコスプレのやつだし……」

「じゃあいいじゃん。私相手に今さら何を恥ずかしがってんの? そう隠されると意地でも見たくなってくんだけど」

「恥ずかしいとかじゃねーし。何かめんどくせーだけだし。だいたい、そんなん言うならお前が買ったやつだって見せてみろって話だ。な、嫌だろ? 普通に」

 よし、華麗に話を逸らしたぞ。さすが俺。

「ん。別にいいけど。はい、『黒木屋くろぎやさんはオタクに優しいフリをしたい』二十巻の特典付き限定特装版」

 京子はハンドバッグから一冊のコミックスを取り出し、しれっとした顔で差し出してくる。表紙では、巨乳の黒ギャル女子高生と地味目な男子高校生が背中合わせで立ち、何か神妙な顔で遠くを眺めていやがった。シリアス回に突入しているのが一目で分かる素晴らしい表紙だ。

 いやいやいや、そんなことどうでもいい!

 やられた! この流れはまずい! 完全に墓穴掘った! しかも、よりによって『黒オタ』かよ……!

「ね、私は見せたっしょ? はい、じゃあ次はお兄の番。見せられるはずだよね?」

「ダ、ダメだ」

「はぁ?」

 最悪だ。最悪の要素が組み合わさって最悪のシチュエーションが出来上がっちまった。このままじゃ助からない。人生終わる。

 仕方ねぇ、この方法だけは使いたくなかったが、背に腹は代えられない……。やるしかねぇ!

「お前なぁ、京子! そんなお色気シーン満載の不健全図書を公共の場で晒してんじゃねぇ! このハレンチ不良娘がッ!」

 俺は公共の場で女子大生相手にガチ切れした。大きな声を出すことで無理やり論点をズラすことにした。社会的地位を失墜させることで命を守る選択をした。

 京子も人目を気にして、ここは一旦引き下がるしかなくなるはずだ。

「は? お兄、今なんて言った? 不健全図書? ……黒オタが?」

「ひっ……」

 ドスの効いた声。眼光鋭く貫いてくる双眸。殺し屋に会ったことはないが、たぶん殺し屋のソレである。チビりそう。

「ねぇお兄、まさか本気で言ってるわけじゃないよね? あの神作を穢すようなこと、お兄が言うわけないもんね?」

「は、はい。黒オタは最高の作品ですから。神ですから」

「じゃあ何でそんな悪魔の言葉を吐いたの。冗談でも許されることじゃないよね」

「妹にコミケの戦利品を見られるのが恥ずかしくて、つい……」

「ここまで来てそんな言い訳で私を欺けると思ってんの? ねぇ、何か隠してんでしょ」

 ひ、ひぇ……やばい……完全に怪しまれてる……これは、詰んだ、のか……?

 い、いや! 実物を抑えられなければまだ大丈夫だ! やましいことがあるのはもうバレたようなもんだが、さすがに俺が隠し持っているのが『アレ』だなんてことにまで、すぐさま辿り着けるわけがない! 京子の中に、そんな発想はないはずなんだ!

「ふーん、あ、そっか、そーゆーことね」

 京子は何かに思い当たったかのように心得顔を浮かべ、

「わかった、どうせあれっしょ。黒オタキャラのエロコス写真があるんでしょ」

「…………っ!」

 やっぱり……! 勝手に勘違いしてくれてる! 京子もまさか実の兄が、こんな凶悪な咎人になっちまったなんて想像すら出来ないんだ!

 よし、助かった! これならまだ半殺しで済むはずだ!

「実はそうなんだ、京子……お前の大好きなキャラを穢すような真似して悪かったな……よし、帰ったら半殺しにしてくれ……」

「いやいや、別に怒ってないから、そんなことで。てか正直私も興味あるし」

「へ?」

「コスプレすんのもそれを見せたがるのもそれを見たがるのも、本人たちの自由じゃん、常識の範囲内でなら。まぁ原作リスペクトない奴は確かにムカつくけど、最近のレイヤーさん達はちゃんと作品愛して研究しまくってる人らが多いし。そーゆー人たちに対しては私、むしろ尊敬してるくらいなんだけど」

「京子……」

 京子は慈愛に満ちた穏やかな笑みを浮かべていた。

「だから、お兄がそーゆーのに興味持っちゃうのも分かるよ」

「京子……」

「ね? だから見せて」

「京子……」

「絶対殴らないから。見せて」

「京子……」

「見せろ」

「見せるかぁ!! これだけは絶対誰にも渡さねぇ!!」

「待てや、エロ兄ぃ! どうせ原作無視のエロもく100パーコスプレだろ! 絶対許さないっ!」

 自由だったんじゃねーのかよ、言ってること違うじゃねーか!

 不意をつくように駆け出した俺だったが、即行で背中を掴まれてしまう。くそっ、丸一日立ちっぱなしだったせいで脚力が……!

「渡しなさい、エロ兄!」

「やめろ、離せオタギャル! ……い、いやマジでお前……っ!」

 紙袋を巡って取っ組み合いのようになってしまった俺たち。当然だが野次馬も集まってきている。この際、別に街やSNS上で変人扱いされようが全然構わないのだが、他人を巻き込んでしまうのだけは良くない。もう既に男性二人ぐらいが俺たちの喧嘩を止めようと足を踏み出したのが視界に入った。だというのに、完全にブチ切れて瞳孔かっぴらいてる京子には、一切周りが見えていないようだ。

「もらったぁあああああ!」

「あ、おい!?」

 周囲に気を取られて力を緩めてしまった俺の隙を突くように、京子は紙袋を思いっきり引っ張ってくる。

 その細身のどこに隠されているのか謎すぎる怪力によって、俺の手から奪い取られる紙袋。勢いに乗って飛び出していく薄い本。物理法則に従って体ごと後ろに倒れていく京子。全てがスローモーションのように見える。京子の後頭部が向かう先には、縁石という名の鈍器が備え付けられていて。こうなったからには兄として、何よりも優先しなきゃいけないことがあって。

 だから俺は、反射的に京子の体を抱き留めて――

「「あぎゅっ――!!」」

 ラガーマンのタックルさながら妹を抱きしめて、二人仲良く縁石に頭から突っ込んだのであった。

 はい、死んだ。

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